大手メディアが伝えない情報の意味を読み解く
情報屋台
社会
文化
国際
暮らし

映画「おクジラさま」:和歌山県太地町の鯨イルカ猟を取り上げた、公平且つ優れた作品

2017.09.12 Tue
社会

平成29年 2017 9月
仲津真治

全世界的に話題となってしまった「和歌山県の太地町 那智勝浦の近くの
鯨・イルカ漁」について、この程、邦画が制作・上映されていますので、
関心があり、見て参りました。 満席でして、内容は公平且つ均衡が取れており、
なかなかの力作でした。

(1) 何故、タイトルが「おクジラさま」か?

上映は今のところ、東京渋谷の「ユーロ・スペース 03-3461-0211 渋谷区円山町
1-5」一箇所ですが、其処で、女流監督・プロデューサーの佐々木芽生さんやポス
ター制作の山口さんのトークショーがあって、このタイトルの謂われが分かりま
した。 曰く、「江戸時代五代将軍綱吉」の採った政策、「生類憐れみの令」が
もたらせる「お犬様」と言う呼称から来ているようです。

あの令は往時の人々を苦しめ、評判さんざんの措置で一代限りで廃止されました
ものの、世界史の視野で見ると、他に類例を見ない動物愛護令の由、 この事を
念頭に置いて、そもそも今次の事件を引き起こした、米国初の鯨愛護の運動など
を揶揄した表現となっている由です。

因みに、「A WHALE OF A TALE」と言う英題も付いていて、現に佐々木監督は
普段在ニューョークの映画人の様です。 日本国内では目下更に八箇所での上映
を検討・交渉中との事ですが、海外では対欧米で難渋している様です。

(2) 太地町のイルカ猟を批判的に取り上げたドキュメンタリー映画はの原題は、
「The Cove」の由、それは英語で「入江」の意

その名は太地漁港を擁する風光明媚な小湾の事を指していますが、町は僅か人口
三千、其処は「日本の古式捕鯨の発祥の地」として知られ、それぞ町を繋いでき
た元として、博物館に展示がありました。 実に四百年に亘り、捕鯨の伝統が受
け継がれて来たのです。

これに対し、米国の反捕鯨の活動家が関係者を動員して、暴力的にと形容される
ほど、力を入れて制作した映画は、翌2009年にアカデミー賞を取り、一気に話題
をさらいます。

(3)  彼ら活動家は、「鯨やイルカは人のように賢く、その言葉で遣り取りし、
歌を唄う。 人類とともに共存し、保護されるべきだ。然るに、太地町始め日本
では捕鯨でそれらを殺し、食し、ショーなどに利用する。許せない。」と言う
分けです。 1970年代から運動が始まりました。其の強引さは米国人も
驚かせましたが、自己主張の強さは其の文化の然らしむるところです。

代表的な団体は、Sea Shephardと言い、映画では主にスコット・
ウェスト父娘と、リック・オリバーという元いるかの調教師が登場します。
特に、最後の人物は、フリッパーというテレビシリーズで「イルカ」の娯楽産業
を築いた前歴があり、その反省から、この運動に関わっていると言います。
また、彼らは、活動に必要な資金、旅費、経費など自前と寄付に拠っている
と言います。映画コーブの動員力は大きかったと言います。

因みに捕鯨国は今や少数派となっていますが、かつて米国などは捕鯨大国で、
1850年代は隆盛を極めていました。 もっともそれは荒っぽいやり方で
鯨油を取ると、残る肉、骨、皮など全部大海に捨てる雑なものでした。
それは「無益な殺生」に近いものだったのです。

(4)  その点、日本の捕鯨は、食料、油などはもとより工芸品に至るまで、何から
何まで利活用するもので、現に太地町ではその存続の源となっている鯨に感謝し、
像や絵を置き、儀式、祭礼を行っています。絵巻物も残っています。

斯くて、映画はこれらを典型的に対峙すると、二つの文化の対立になるとして、
その上で、色んな様相を描き、紹介しています。 映画の邦題には、
「二つの正義の物語」という副題が付いています。

以下、分かり易くするため、多くの事や発言を列挙します。

(5)  鯨やイルカ(鯨の中で、体型約四m以下の小型のものを言う由)は海に戻った
哺乳類と謂われ、人に似て非常に賢いとされていますが、こう言う見方自体に
差別的とする考え方があります。

旧約聖書が「神は自らに似せて人を造った」としているのは、人間特別視の
世界観と見られています。 これに対し、仏陀の入滅に際し、これを嘆き悲しん
だ人々のみならず、五十種を越す生き物、衆生が集う様子を描いた涅槃図が
多く描かれており、人を特別のものと見ない仏教的世界観の典型が其処に顕れて
いると言います。

これに対し、「自身の死の意味を理解している生き物にとっては、理解して
いない生き物より死の苦痛が大きいだろうから、その苦痛を与えることは
避けよう」という見方があります。

これは鯨やイルカが他の動物と違い、「自身の死を理解している」と捉えている
からでしょうが、犬や猫などを飼い、其の死を看取ってきた自身の体験からする
と、其の様子は矢張り苦痛に満ちていて、懸る見方には賛成できませんね。

(6)  太地町漁協の人

「イルカを殺すとき現場を隠すのは、その行為を恥じているからだ」
と言う反捕鯨派からの批判に対し、「牛や豚を屠殺するところを見せますか。
普通それは人目にさらすものではないでしょう。」と反論します。

映画「The Cove」以来の反捕鯨派のキャンペーンが効果を上げてきたからか、
そうした人々は米国に限らず、各国に増えており、この映画でも世界各地での
動きが紹介されていました。

(7)  或る太地町の漁師

生活が懸っているという漁師達に対し、寄付金を提供するから追い込まれた
イルカを解放してほしいとのシー・シェパード側の提案について、「汗水垂らし
て得たお金ならまだ分かりますが、寄付ではね。それに一回で済む話ではないし、
今後を担う若い世代の事を考えると・・・・。」と言います。

(8)  三軒太地町町長は、伝統と町民の持続的生存をうったえ、「本州の最南端に
位置する私どもの町は、東京から七時間余りも懸る交通の便の悪さを抱え、水に
恵まれないため、米も野菜も採れないところ、たまたま沖合を鯨が通ることに気
付き、生きるために、四百年も前になるが、それを組織的に獲ることを学び漁法
を確立してきたのです。」と語ります。 かつて、「鯨一頭、七浦を潤す」と
言ったと申します。

戦後の食糧難の時代には、「マッカーサー最高司令官」の推奨で、日本は国際捕
鯨連盟に加盟、捕鯨を再開、1960年には捕鯨高が世界第一位となります。

「だからこそ、戦後を生き延びた人々には鯨に命を助けられたと言う感謝の念を
持つ人が多いのだ」と三軒町長は言うのです。 私ども自身を含め、確かにその通
りですが、ただ、この点大きく状況が変わりました。 本格的な商業捕鯨は無く
なり、調査捕鯨が細々と続けられ、鯨肉の供給は大幅に減って、人々は鯨肉を
余り食しなくなったのです。

現に、この映画でも鯨事業には理解を示しつつも、「自分は食べない」という
地元民を写していました。理由を聞かれると、ずばり、「美味しくない」と答え
ました。 三千人の町民が皆知り合いという集落と申します。 これは相当度胸
の居る応答ですね。

一方戦後、町は米国にならい、水族館を作り、鯨漁の文化の啓発に努めるように
なりました。 現町長は、更にそれを発展させ、外洋に繋がる展示までして、鯨
やイルカのことは、太地町に来れば何でも分かるようにしたいと抱負を語ってい
ます。 現に其の水族館では、展示をし生きている姿を見せて初めて、
理解が深まり広がるとしています。 これは、他の水族館や動物園、植物園に
通じる考え方です。

(9) 他方、反捕鯨派のリーダーのスコット・ウェストは、伝統、文化まで持ち出
して説明する太地町側に対し、「伝統というならば、切腹や帯刀」を今時復活さ
せるのか、時代は変わったのだ。」と切り返します。

それに牛・豚・鶏などの家畜は各々国内で管理され、再生産に向いているが、
境界のない海は実質誰も管理できず、其処に鯨やイルカが棲んでいると主張する
ものの様です。 ただそう言うならば、魚も同じですね。

ともあれ、彼はしたたか、「太地町こそ今や世界最大の娯楽用イルカの供給地、
ここさえ事業を辞めさせれば、勝負は付けられる」と踏んでいる節がある
ようです。

(10) 「捕鯨賛成派の日本人から無言電話を受けたり、売国奴とのメイルが届い
たことも在ると言う活動家の女性は、感情が先走り、データが少なく、客観的な
事が良く分らず困っていますと語っていました。いろいろ起きているようですね。

さらに、今や日本人は、一人当たり年ハム一枚相当の鯨肉を食べる所まで、
鯨食しなくなっている由です。その人は、今回のようなシー・シェパード発の騒
動が納まってしまえば、日本人は鯨文化の事など、忘れてしまうだろうと言って
います。

(11) 元AP通信の「ジェイ・アラバスター」は、会社の指示で、太地町に取材に
出かけ、歓迎されない異様な体験をして、今までの日本での経験が生きてこない
ことを知って、何と溶け込み実際を認識しようと、この町に住みます。驚くべき
決心と実行ですが、その言には重いものがありました。

彼は、
「圧倒的な反捕鯨派のキャンペーンや諸活動、メディアの利用に対し、太地町の
行政側も漁民の側もほとんど黙ったままで、これと言った行動も起こさず、
あまりにもやり方やメディアの利用が下手です。」
と言うのです。

これは、太地町に限らず、日本側の行政や企業側一般に言えることかも
知れません。

そして、シー・シェパードのあの映画制作やアカデミー賞受賞以来約八年の歳月
が立つ中、やっと、佐々木監督の作品が登場したのです。

これで日本側の主張も公けに出てきたことになりますから、事態は第二のステー
ジに入るような気がします。 英語によるアピールが大切でしょう。

 

 

この映画鑑賞のあと、渋谷の街を駅まで歩きました。 道玄坂の通りの「くじら
料理の店」はちゃんと営業していました。 結構客が入っていたようです。
其処にひとつの現実を見た感がありました。

そう言えば、もう二十年にもなるでしょうか、我が家に客人二人の来訪があった
ときのことを思い出しました。 そのとき、家内が「鯨」のハリハリを買い込ん
できて、焼き肉をし、水菜と醤油味で戴いたところ、客人二人が「とても、
おいしい」と言い、調理の仕方を控えて言ったときのことを。


この記事のコメント

  1. 中北 宏八 より:

    書かれている通りのようですね。いずれどこかで見たいと思います。

  2. 杉浦 右蔵 (技術士) より:

    新橋の集yuが閉鎖されてから、仲津真治先生と御対面の場を失いましたが、情報屋台に精力的な所見Memoを発信されていることに心服しています。特に映画・催し展の鑑賞の多さは凄いと感じます。「鯨イルカ猟」など全てに日本政府の対応は無策無能力だと実感しています。秀才を集めた官庁・外務省を指揮する政党政治家はもっと無能ですね。シルクロード旅行記も良かったです。継続は力なりです。御礼まで。

中北 宏八 へ返信する コメントをキャンセル

内容をご確認の上、送信してください。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

社会 | 文化 | 国際 | 暮らしの関連記事

Top