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映画『ONODA』にみる不条理な世界

2021.10.09 Sat

フィリピン・ルバング島で終戦後29年間も潜伏、日本軍の兵士として戦争を継続していた小野田寛郎さん(1922~2014)の実話をもとにした映画『ONODA』が全国公開中です。上映時間が174分という長編ドラマですが、副題は「一万夜を越えて」、たしかに小野田さんがジャングルで過ごした時間を表現しようとすれば、この何倍あっても終わらないかもしれません。

 

小野田さんがルバング島から帰還したのは1974年で、その2年前の1972年には、米国領のグアム島で「発見」された旧日本兵の横井庄一さん(1915~1997)が帰国していたため、ふたりは比較されていました。私は、横井さんに対しては、戦争が終わったことも知らずに、ひたすら隠れていた「敗残兵」で、同情の思いを強く抱きましたが、小野田さんについては、スパイの養成機関といわれた陸軍中野学校で訓練を受けた軍歴が報じられたこともあり、同情というよりも、プロの軍人のおそろしさを感じました。

 

だから、外国人の監督が「大日本帝国軍人の鑑」ともいえる小野田さんをどう描くのか、興味がありましたが、アルチュール・アラリ監督は、映画では、軍人として職務を忠実に実行し続けた小野田の誠実さが現実の世界では空回りだったことを描くことで、小野田の悲劇性を浮き彫りにすることに成功していると思いました。

 

小野田を見つけた日本の青年、鈴木紀夫は小野田に「パンダ、小野田さん、雪男に会うのが夢だった」と語ります。小野田は遊撃戦を戦っていたはずなのに、祖国の若者からはパンダや雪男の同列の未確認生物のような存在になっていたわけで、滑稽とも見えるこの奇妙な構図がうまく表現されていました。

 

戦争を続けている小野田はルバング島の人々を傷つけ殺しますが、地元の人々からすれば、食料を奪うやっかいな存在ということになります。映画では、29年遅れの作戦任務解除命令を受けて投降、移送される小野田を島民が見送る場面がありますが、島民は冷たい視線を小野田に浴びせているように見えました。大真面目な戦闘行動も、視点を変えればただの犯罪だということでしょう。小野田の生き方に共感しながらも、彼を英雄視はしないという制作者の意図を感じました。

 

アラリ監督はフランス人で、なぜ小野田に興味をもったか、日本人としては、そこに興味があります。映画の宣伝資料に掲載されている監督インタビューによると、以前から「冒険をテーマにした映画を創りたい」と考えていたところ、父親から小野田さんの物語を聞き、運命的なものを感じ、関係する資料を集め、日本にも取材に来たそうです。

 

非情な軍人だった小野田は、ジャングルで一緒に暮らしながら、最後に「戦死」する小塚金七との交友のなかでは、兵士とは別の人間らしさを見せ、鈴木紀夫との会話のなかでは、心情を吐露するクライマックスの場面がありました。戦争の不条理さを観客は納得すると思いますが、監督の思いもここに出ていると思いました。上記のインタビューでは、「私にとって、小野田さんとは、あくまで物語を動かす架空の人物であったため、小野田さん自身の主観に囚われたくはありませんでした」と語っていました。実在の小野田さんにこだわらず、脚本も書いた監督が自分の想像する小野田に自由に語らせたのでしょう。

いま、なぜ小野田なのか、日本人にとって、小野田さんの帰還は半世紀も前の出来事ですが、戦争に兵士を送り出している国はたくさんあります。米国はことし、20年に及ぶアフガニスタン戦争から撤退しましたが、米国と共にNATO諸国も兵士をアフガンスタンに派遣しています。不条理な戦争で苦悩する兵士というテーマは、日本人が思う以上に普遍性があるのかもしれません。この映画は、今年のカンヌ映画祭で、コンペティション部門とは異なる「ある視点部門」でオープニング作品になったそうです。

 

 

考えてみれば、コロナの感染症が拡大するなかで通勤を強いられた「企業戦士」にとっても、理不尽だという思いを抱いた人はたくさんいると思いますし、運悪く感染した人たちは、がんばったとほめられるどころか、防止策が不十分だったとか、通勤は義務ではなかったとか、はしごをはずされたと思った人もいたのではないでしょうか。組織とはそういうものなのでしょう。この映画でも、徹底抗戦を小野田たちに洗脳する中野学校の上官が登場します。

アフガニスタン戦争といえば、そのきっかけは2001年9月11日の同時多発テロで、当時私は新聞社のワシントン駐在で米国全体の取材責任者という立場でした。テロが続くおそれがあるなかで、仲間の記者や助手の安全を確保することに努力したつもりで、翌年、帰国しました。会社のえらい人たちから「ご苦労さま」ぐらいは言われるのかと思っていたら、ある日、えらい人から「帰国したのに、あいさつがない」となじられました。組織なんてそんなものです。

 

懸命に戦っているつもりが、いつのまにかはしごをはずされ、空回りしているだけ、という悲劇を演ずるな。いまさら間に合わないのですが、そんな教訓を私は得ました。

 

冒頭、及び文中の写真は映画『ONODA―一万夜を越えて』(エレファントハウス配給)から。 ©bathysphere ‐ To Be Continued ‐ Ascent film ‐ Chipangu ‐ Frakas Productions ‐ Pandora Film Produktion ‐ Arte France Cinéma

 


この記事のコメント

  1. 杉浦 右藏 より:

    氏名追加
    私は22年前、フィリピンのマニラにに足掛け3年滞在しました。コレヒドール、バターン半島も見ました。ルパング島は此の外のマニラ湾の入り口に有ります。小野田少尉は情報を得る間近に居たはずで、何でこんな長きに任務を遂行したのか不思議に感じます。

    2021.10.09再

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