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ウクライナ戦下に『戦争の文化』(ジョン・ダワー著)を読む

2022.04.20 Wed

ロシアによるウクライナ侵攻は、住民への深刻な被害をもたらしています。なぜ、戦争の指導者たちは、国際法が禁じてきた「文民」(civilian)への攻撃を厭わないのでしょうか。そのヒントをさぐろうと、昨年末に発刊されたジョン・W.ダワー著『戦争の文化』(岩波書店)を読み直しました。

 

本書は上下2巻、700ページを超える大作です。2001年9月11日に米国で起きた「同時多発テロ」とその後の米国の対テロ戦争を、真珠湾攻撃から広島・長崎への原爆投下にいたる第2次大戦と比較しながら、膨大な資料を使って検証し、戦争の底に流れる「文化」をえぐり出そうという壮大な試みです。

 

ゲルニカ

 

著者は、米軍による広島・長崎への原爆投下や東京空襲と9.11に共通するものとして非戦闘員である一般市民を意図的に標的にしたことをあげ、それまでの戦争とは質的に違っていると指摘しています。これまでの戦争でも非戦闘員の殺戮はありましたが、第二次大戦では、戦争が国民を総動員する「総力戦」になったため、相手国の兵士だけでなく国民総体を標的とし、国民に「衝撃と畏怖」を与える必要がでてきたというのです。

 

「非戦闘員を意図的に殺すことは、古来、戦争では珍しいことではない。第二次大戦において、非戦闘員に対する意図的殺戮が、『総力戦』と『心理戦』を意味する新時代の本質的部分になったのである(上巻212頁)

 

そのルビコン川を渡るきっかけとして著者があげているのは、1936年の初めにイタリアがエチオピアで行った病院などへの爆撃やマスタードガスの散布、同年のスペイン内戦化でドイツがフランコ政権を助けるためゲルニカなどバスク地方に行った空爆、さらには1937年に日本が中国の上海などを対象にした空爆をあげています。

 

相手国の国民の生命と士気を喪失させるのを目的とした爆撃を今日では「戦略爆撃」と呼び、ドイツによるゲルニカ爆撃や日本による重慶爆撃(1938)を起点とする見方もあります。しかし、著者は「戦略爆撃作戦は、イギリス空軍が1942年にドイツで開始し、米陸軍航空軍が1945年に日本を対象に完成させた」と書いています。規模が大きく戦略性のある空爆には、英国のランカスター(1942年運用開始)や米国のB29(1944年運用開始)のような大型爆撃機の登場が必要だったということでしょう。

 

ゲルニカ爆撃は、それをモチーフにパブロ・ピカソ(1881~1973)が描いた作品「ゲルニカ」を1937年のパリ万博で展示したことで、「空爆によるテロの恐怖を示す世界的シンボルとなった」と著者は指摘しています。朝日新聞の「天声人語」(2022年4月15日)も、ウクライナにおけるロシア軍の蛮行は「戦争犯罪」の疑いがあると指摘するうえで、「ゲルニカ」を取り上げ、「死んだ子を抱く母親。倒れた兵士。おののく馬――。叫び声まで聞こえるような作品」と評しています。たしかに、「ゲルニカ」はウクライナのニュース映像と重なります。(下の写真は、ゲルニカ=ルモ・ムニシピオにある実物大のレプリカ)

東京大空襲

 

本書によると、日本での爆撃目標を選定する作業が本格的に始まったのは1943年2月で、米軍はユタ州の実験場に日本とドイツの労働者階級の住宅のレプリカを作り、焼夷弾を投下して破壊する実験をしたとあります。ドイツ用の住宅はレンガ造りの集合住宅、日本家屋は木造で、実験結果は「日本の都市がドイツよりもいっそう焼夷弾攻撃に適している」ということになったと記述しています。

 

米国の用意周到ぶりには驚きましたが、この日本家屋の設計したのは、アントニン・レーモンド(1888~1976)という建築家だったそうで、建築家まで動員したのかと、思いました。レーモンドはチェコ出身で、フランク・ロイド・ライトのもとで学び、帝国ホテルの建設で来日、その後、日本で聖路加国際病院などを設計しました。余談になりますが、東日本大震災で多くの犠牲者を出した石巻市立大川小学校は、モダンな建物で、普通の公立学校とは違うという印象を持ったのですが、設計者の北澤興一氏はレーモンドが戦後、再来日して日本で設立したレーモンド建築設計事務所で学んだ人でした。本書で、レーモンドの名前を見たときに、大川小の建物の源流ともいえる人だと思った次第です。

 

米国は、実際に空襲を始める2年も前から、こんな大規模な実験をしていたわけで、その準備をみれば、米国が空爆の表向きの理由にした軍需施設への攻撃とは別に、当初から市民の居住地域を焼き払うという目的が明確だったことがわかります。住宅地を焼夷弾で焼き払えば、多くの住民が死傷するのも計算ずみだったということになります。

 

本書によると、1045年3月10日の東京大空襲の記事がニューヨークタイムズ紙に掲載されたのは5月30日付で、大きな扱いの記事ではなく、見出しには「日本人の焼死100万人」という「誤報」(実際には11万人)が書かれていました。著者は、これだけの数の「『天皇の臣民』が死亡したと平然と書いて、(誤報を)そのまま今日まで放置しているのである」と書いています。100万もの死者を出した攻撃に驚きも痛みもない記事が出るのが「戦争の文化」ということなのでしょう。(下の写真は空襲で焦土と化した東京。Wikipedia所収)

その一方で、軍人のなかには、こうした戦略爆撃が戦争犯罪にあたると意識していた軍人もいたことも記しています。東京空襲を指揮したカーチス・ルメイ(1906~1990、空軍大将)について、当時の部下だったロバート・マクナマラ(1916~2009、ベトナム戦争当時の国防長官)は、ベトナム戦争を描いたドキュメンタリー映画(2003年の『戦争の霧』)のなかで、ルメイは「もしわれわれが負けていたら、われわれは全員、戦争犯罪人として訴追されていただろう」と語っていた、とあります。

 

広島・長崎

 

大型爆撃機が本格的な「戦略爆撃」を可能にしたように、原爆という新しい武器が「戦略爆撃」の質を劇的に変化させます。著者は、原爆の投下をめぐる米国内の化学者や軍人、政治家の意見を克明に追っています。(下の写真は広島への原爆投下の写真と長崎の被害を写した写真。広島市と長崎市のHPから)

・原爆を開発する過程で計画に関与した科学者は、「核戦争の手段を有効に管理する国際管理組織」が創設されなければ、核兵器は「文明の破壊者」になると警告した。

・実験の直前、原爆の開発にかかわった7人の科学者は、砂漠か無人島での公開デモンストレーションを行うことを提案していた。

・原爆の実験成功(1945年7月16日)以前に、米政府の委員会が広島、小倉、新潟など原爆投下の候補地を選定し、軍にはこれらの都市への空爆を除外させ、原爆の威力を明示させようとした。

・原爆の実験に立ち会った軍人も化学者も原爆が「世界の終末」を予感させるという感想を抱いた。

・トルーマン大統領は2945年7月25日の日記に、「史上最も恐ろしい爆弾」を手に入れたと記し、「女性や子どもではなく、軍事施設と陸海軍の将兵を目標としてこの兵器を使用するよう命じた」と、“虚偽的な表現”を使った。

 

都市全体が死滅することを知りながら、女性や子どもを標的にしないようにと命じたと、トルーマンが日記に書いたのは、自分が非人道的な指導者ではない、という歴史に対する言い訳だと思います。それほどの兵器である原爆を一度ならず二度までも米国が使用したのはなぜか、著者は当時の陸軍長官だったヘンリー・スティムソン(1867~1950)の伝記を書いたエルディング・モリソンの記述を引用して、「原爆投下のプロセスに吞み込まれた人間の心理」を説明しています。

 

「人間が特定の目的をめざすとき、論理的にも本能的にも、一種の美学からも、最高点を達成しようとするものである。原爆製造のため、四年にわたる手探りの労苦を経験すれば、内部から規定する慣性によって、おそらく誰もが、ひとつの結末へと動かされていったであろう」(下巻61頁)

 

ウクライナ戦争で、ロシア軍は非人道的だという理由で、条約で禁止されたり、問題視されたりしている兵器を多用しているようです。手にした玩具を使いたがるのは幼児の本性ですが、兵器を使いたがるのは軍人の「慣性」なのでしょうか。

 

戦争犯罪

 

著者は、第2次世界大戦とイラク戦争を比較するなかで、戦争犯罪についても1章を用意して検証しています(第14章 法、正義、犯罪)。大戦後、連合国はドイツと日本の戦争犯罪に対してはニュルンベルク裁判と東京裁判で、それぞれ戦争犯罪を裁きました。その訴追した歴史がイラク戦争における米軍の捕虜虐待に対してブーメランのように米国に戻ってきたと指摘しています。

 

東京裁判では、「平和に対する罪」(A級犯罪)で東条英機らが裁かれましたが、これとは別に、通常の戦争犯罪(B級犯罪)と「人道に対する罪」(C級犯罪)に問われた約5700人の軍人たちは、マニラなど各地に設置された連合国側の軍事法廷で裁かれました。そのなかで、戦争末期のフィリピン戦を指揮した山下奉文(1885~1946、陸軍大将)は、B級戦犯としてマニラの米軍の軍事法廷で裁かれ、死刑判決を受けて処刑されました。(下の写真は、マニラの軍事法廷で裁かれるため拘留される山下奉文。Wikipediaから)

本書によると、フィリピンを奪回しようとした米軍に対して日本軍は、数万に及ぶフィリピン人の「ゲリラ」や一般市民を虐殺し、山下はその責任を問われました。この裁判の結果、「指揮官責任」が戦争犯罪のひとつとなったわけですが、それがイラク戦争で、イラクのアブグレイド刑務所やグアンタナモ基地での米軍による捕虜や収容者への虐待や拷問が明らかになった際に、「指揮官責任論」が浮上したのです。

 

しかし、この論議は盛り上がらないままに終わったようで、著者は次のように、指揮者責任論のありようを語っています。

 

「第二次大戦後に米国が推進しようとした戦争犯罪の先例づくりと法的原則は、ニュルンベルク裁判と東京裁判の終結と同時に忘れ去られてしまった。(中略)ベトナムでもアフガンでもイラクでも、残虐行為について指揮官の責任が真剣に問題にされることはなかった」(下巻199頁)

 

著者は、米国の指導者が国際法を無視する例として、9.11テロが起きた日の夜、ホワイトハウスの緊急会議に集まったスタッフの前で、ブッシュ大統領が下記のような言葉を発したと書いています。

 

「国際法の専門家がなんと言おうと、構うもんか。叩きのめしてやる」(下巻180頁)

 

ウクライナ戦争で、ロシア黒海艦隊の旗艦モスクワを失ったとの報告を受けたプーチンも、こんな言葉を吐いているのだろうと想像しました。

 

戦争犯罪における「指揮官責任論」が忘れられたわけではありません。国際刑事裁判所(ICC)は、その憲法ともいえるローマ規程の第28条で、「指揮官その他の上官の責任」を具体的に規定して、戦場での実際の犯罪を知っていたり、抑止しなかったりした場合などには、犯罪行為に加わっていないときでも指揮官や上官の責任が問えることになっています。

 

2010年から19年までICCの裁判官を務めた尾崎久仁・中央大学特任教授は、朝日新聞のインタビュー(朝日新聞デジタル2022年4月16日)のなかで、ICCは「『重大な国際犯罪』をした個人を裁くことを使命としていますから、犯罪行為に重い責任を負っている責任者、指導者をターゲットにすることになっています。軍の犯罪であれば、最低でも司令官クラスです」と語っています。また、プーチン大統領については「要件を満たせば、逮捕状の発付まではいくと思いますが、身柄が確保できなければ裁判が始められないので、そこが一番のネックになります」と述べ、「逮捕状の発付」の可能性に言及しています。プーチン大統領が山下将軍の亡霊に怯えることがあるかもしれません。

 

戦略的愚行

 

本書を執筆するきっかけになったのは、9.11の直後に、アルカイダによる奇襲を日本の真珠湾攻撃と比較する論説があふれたことに歴史学者として不快感を抱いたからだと、著者は「プロローグ」で書いています。たしかに奇襲という手法や西洋を排撃する「聖戦」という意識は似ているかもしれないが、それを日本軍国主義やイスラム過激思想の特異性として片づけていいのだろうか、というのが著者の問題意識なのです。

 

それを決定的にしたのが米国によるイラク戦争で、「アメリカが解放したはずのイラクに収拾しがたい混沌と大きな苦難が生まれるにつれ、私の不快な感覚はいっそう強くなった」と書いています。「戦略的愚行」という言葉は、真珠湾を攻撃した日本の軍閥を指すものでしたが、イラク戦争の失敗によって、この言葉が米国にも向けられるようになったというのです。

 

ロシアによるウクライナ侵攻も、歴史的には「戦略的愚行」と評価されることになるでしょう。戦争の勝ち負けは別にしても、ロシアが国際社会のなかで孤立し、経済的にも苦しい立場に追い込まれるのは必至だからです。

 

この戦争の異常さに目を奪われている私たちは、戦争の目的から残虐な手段まで、すべて「プーチンの戦争」だと思っています。だから、クーデターでプーチン大統領が放逐されることを期待する声も耳にします。しかし、宣伝(プロパガンダ)や報道規制だけではなく、ウクライナやベラルーシを統合した大ロシアの復活を夢見るロシアの人々の願望のうえに膨らんだ「戦争の文化」が「プーチンの戦争」を支えている側面を忘れるわけにはいきません。

 

それを無視すれば、いずれプーチン氏が退場しても、第二第三のプーチンが登場して世界の平和と安定を脅かすことになるかもしれません。

 

東京大学の入学式で、来賓として招かれた映画監督の河瀨直美さんが「ロシアという国を悪者にするのは簡単」と述べたことが話題になりました。この言葉だけを聞くと、ロシア擁護論ではないかと思いますが、よく読むと、双方の「正義」を見定めたうえで、自分は侵略者とならないという立ち位置をしっかりと固めてほしいという新入生へのメッセージであることがわかります。『戦争の文化』に流れる思想でもあると、私は思います。東京大学が公表している河瀨さんの祝辞のウクライナについての部分は下記の通りです。(写真は東京大学のHPから)

「例えば『ロシア』という国を悪者にすることは簡単である。けれどもその国の正義がウクライナの正義とぶつかり合っているのだとしたら、それを止めるにはどうすればいいのか。なぜこのようなことが起こってしまっているのか。一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないだろうか?誤解を恐れずに言うと『悪』を存在させることで、私は安心していないだろうか?人間は弱い生き物です。だからこそ、つながりあって、とある国家に属してその中で生かされているともいえます。そうして自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性があるということを自覚しておく必要があるのです。そうすることで、自らの中に自制心を持って、それを拒否することを選択したいと想います」

 

戦争を最終的に決断するのは、そのときの指導者です。しかし、戦争は、戦争決定に至る政治・外交プロセスがあり、為政者の判断の背景には、その国の経済力や国民の欲求などがあります。戦争は、指導者の資質、政策決定の仕組み、国民の社会的意識の構造、さらには相手国の対応など、複雑な多元方程式で成り立っています。「戦争の文化」です。

 

ロシアの戦略的愚行を止めるには、ウクライナとロシアとの軍事的な均衡による「停戦」が不可欠で、そのためには、NATO諸国による軍事物資の供給だけでなく、武力介入も含めた支援で、ウクライナ側が軍事的な攻勢に出る必要があると私は思っています。戦争を止めるには戦争しかないのだと思います。

 

そして、停戦を永続させるためには、当事国である両国を含めた世界の人々が「戦争の文化」を超える「平和の文化」を育てていくという険しく長い道を歩むしかないと思います。


この記事のコメント

  1. 村咲虎 より:

    初めて読みました。マクラマナの名前が思い出せず検索で見つけました。
    もっと前からこのような記事を読みたかったと思います。
    映像の世紀で、マクラマナが東京大空襲に違和感を持っていて、ルメイに反対したことを知りました。へんですが、犠牲者のお陰でもあります。

  2. 高成田 享 より:

    ウクライナの市街地にミサイルを撃つことへの疑問や罪悪感を持つロシアの政治家、軍人、外交官はいないのでしょうか。

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