中国の医療事情をNHKが特集していた。かつて社会主義だった時代(現在の政治体制は昔のままだが、経済的には市場主義)は医療は無料だった。それが今では市場経済化の流れの中で、北京にある公立同仁病院の収入に占める公費の割合は5%にすぎないのだという。あとはすべて患者の負担だ。
毎朝、まだ暗いうちから患者や患者の家族が診察券を求めて並ぶ。中には前の日から並んでいる人もいる。診察券を手に入れるのにお金を払い、治療費は前払い(院長の方針だそうだ)。払えなければもちろん診察してもらえない。「経済的に苦しい人の面倒を見るのは国の仕事」と「公立病院」の院長が言い切るところがすごい。形は「公立」でも実態は違うという感覚なのだろうか。
この病院には「差額病棟」がある。診察費(普通の20倍)から何から特別の料金を払える人は、待たされることもなく、たくさんの医師や看護師に囲まれて快適な医療を受けられる。院長は「レストランにもファーストフードと五つ星レストランがある。医療にも選択肢が必要」と言い切る。人の命の重さには違いはない、という人間社会が醸成してきた「理想」など、そのかけらもない。
儲かる差額治療を増やすために新しい病棟を建てる計画が進んでいる。その計画書には「庶民の要望に応えるため」と書かれ、早朝から並ぶ人々の写真が掲載される。それだけではない。公立病院なのに、別会社をつくって「五つ星」の民間病院を全国展開をするのだという。裕福な層だけを狙って、最先端の医療機器を揃え、「差額治療」を行う。差額治療を受けられるのは、党幹部や新富裕層だ。温家宝首相も同仁病院で手術を受けたことがあるのだそうだ(当局の許可が必要だと言われて、院長が鷹揚にうなずき、「それは俺に任せておけ」と言うのもうなずける)。
子供の目を診察してほしいと田舎から出てきたある家族は、網膜剥離という診断をもらうまでに年収の半分を使った。比較的裕福な農家だったのに、祖母の脳溢血と子供の網膜剥離で借金をしなければ治療もできない生活だ。祖母は病院にかかることをあきらめ、自宅で家族が点滴をしている。
網膜剥離の治療にあたった医師から、「3カ月か、苦しかったら半年に一度でもいいから再検査」と言われたときの両親の顔。検査はしたいがそのお金をどう工面するのか。借金に借金を重ねての治療はもう限界であるように見える。北京から700キロも離れた(東京から岡山ぐらいだろうか)田舎にはろくな医療施設もない。政府に言われて健康保険に入った(どうも民間の保険のようだ)が、領収書を持って請求に行くと、「入院したわけではないから払えない」と突き返される。本当にそうなのか、担当者の無知なのかわからないが、この家族にとっては何の役にも立たない健康保険だった。
日本の医療制度、とりわけ現在の国民皆保険制度を考えた人は、日本人の恩人と言ってもいいかもしれない。健康保険証があればどこの病院でも治療を受けることができる。そして治療費が高いから病院に行かないという人がそれほどたくさんいるわけではない。先端医療が進んでいるとは言えないかもしれないが、全体的なレベルは世界に誇ることができる水準である。この医療制度がなければ、乳児死亡率が世界最低とか、平均寿命が世界最高の国になることはできなかっただろう。
そして今、日本は、皆保険制度を維持するという命題の下に、医療費の抑制に懸命だ。政府が狙っているのは、要するに、医療に対する公費支出の削減である(中国も医療費負担に耐えきれなくなって、医療費のほとんどを患者負担にした)。診療報酬の引き下げや患者負担の拡大、そして医師数の制限。それを実現するために病院の株式会社化や民間保険の拡充。あるいは混合診療の導入。
しかし医療に市場経済原理を持ち込めば、そこに生まれるのは医療格差である。それは中国の現状に如実に表れている。公立である同仁病院の院長までもが、貧乏な人は国が面倒を見ろと言い放つさまは、ちょっと背筋が寒くなってしまう。皆保険制度がないアメリカでは、高額の保険料をうことができず、民間保険に入れない人々が4700万人もいるのだそうだ。足にけがをした男性が、自分で傷を縫っていたのは、マイケル・ムーア監督の『シッコ』という映画だったろうか。
医療費をどのように賄うのか。それは医療が基本的に無料の国でも大問題だ。要するに若い世代で年寄りを支えることができなくなりつつあるからだ。しかし日本の場合、保険料や税金などのいわゆる国民負担率は西欧諸国に比べると低いのである。日本よりも国民負担率が小さい先進国はアメリカしかない。その意味では、国民の負担を増やして医療費を賄うという選択もありうると思う。
なぜなら税金を上げることは(たとえそれが消費税であっても)、所得の多い人が多くを負担することになるからだ。もし医療費の個人負担を増やせば、所得の多寡にかかわらず負担することになり、所得に対して逆進性が最も強くなる。つまり所得による医療格差が生じることになって、国民の不安が高まる。
医療に対する国民の不安をどうするか、中国では大問題なのだという。温家宝首相が大地震で甚大な被害を被った四川省にすぐ飛んでいったのも、国民の生活を指導部が見守っているという姿勢を示すためだった。しかし首相が涙を流したり、ニコニコするだけでは、医療に対する国民の不安は解消されないことは確かである。