お客さん、不安や憂鬱について話すことはつらいものです。なにしろ愉快な話ではありませんから。それでも時代が時代ですから、眼を背けているわけにはおれません。私の見るところ、現代日本には三つの不安がありますナ。いえ、あなたや私には、もちろんいろいろな悩みや不安がたくさんありますよ、親のことや、子供のこと。それはそれとしての話です。
(1)最初の不安…人口の衰退
なんといっても現代日本第一の不安は人口の衰退現象である。すでに05年から日本の総人口は減少している。このままいけば50年後には、1億人を割れ、21世紀の終わりには8千万人くらいに落ち込んでいるだろう、と言われている。高速道路も新幹線もない、自動車を生産する工場も大都会もなかった江戸時代でさえ、田畑を耕作して3千万人を超える人口を養えたこの国で、人口減少のトレンドを転換することができず、無気力なまま数世紀がたつと、やがて計算上は日本人がいなくなる。
人口減少についてはいくつもの原因が指摘されている。もっとも単純なものは、女性が一生の間に産む子供の数が2人以下になってもう40年経つということである。総人口の半分を占め、かつ子供を産むことのできる女性が、2人以下、実際には1.2人程度の子供しか作らない状態が半世紀も続き、海外からの移民がなければ、人口は減っていくのは致し方ない。これは全く計算上明らかな事実なのだ。幼児死亡率が低くなって、生まれた子供はまず育つとなると、余分の子供を作っておく必要などない。企業経営と同じで無駄な在庫はいらないというわけだ。
ところで、何故女性は子供を作らないのか、という話になると説明は雑多で、議論は百出する。戦後、女性が解放され、教育をうけるようになって、職業婦人が多くなった。収入が男並になると、女性は結婚して、子供など作って拘束されるより、自由でいたい。子供が欲しくなっても、煩わしい結婚などしたくないので、シングルマザーを選択する。場合によっては、精子バンクで理想のDNAを手に入れ、あとくされのない形で子供を得ることもできる。男も、結婚してコストが増えるよりは、独身で居続けるほうがいい。このごろは何でも金さえだせば、手に入る。家事はアウトソースすればい。
もっとも、慰めはある。歴史上、総人口が長期に減少した民族はいくつもあるし、現在でも同じ局面に遭遇している国も少なくない。しかも、どの民族も1千万人以上いた社会では、消滅してしまった例はない。つまり、ある種の調整を試みているのだろうが、それがどこまで続くのか誰も分かっていない。
総人口が減り続け、いわゆる日本人という種族が限りなくゼロに後で、周辺から他の民族が入り込み、なかなかいい土地ではないか、と暮らし始めることすれば、日本人というのは何のためにこの繁栄を作り出したのか、後世の誰かは不思議に思うだろう。
(2)二つ目の不安…株価の長期低落
株式市場を眺める投資家は憂鬱になってしまう。なにしろ、平均株価が長期に低落傾向にあるからだ。これは現代日本にとって大きな不安である。1989年、所謂バブル景気の絶頂でつけた値段38,915円をピークにして、20年間長期低落傾向下なのだ。09年3月の7,000円水準は、02年の以来の安値更新記録であることはもちろん、30年前、1981年の株価水準なのである。
これは具体的にいうと、バブル景気のはるか昔に、たとえば当時の代表的企業であった日立に、1970年の初頭100万円を投資した株主は、40年経っても少しも増えていない。
それどころか、40年間のインフレを勘案すると、大損をしていることになる。あのころならクラウンも買えたが、今じゃ、軽自動車も買えないからだ。
つまり、日本株は、09年秋には50年前から投資していても、損失を抱えている水準だ。高度成長の絶好調の時に株式投資をしていてもなお損失である。まして、20年ほど前に買い始めていれば、投資資金はほぼ半分以下になっている。これでは、私的な企業年金あるいは公的年金の運用でさえ期待しているほどのリターンが得られない。アメリカ人の言うように分散投資を徹底して、市場の平均値に投資していても儲からないのである。理屈どおりなら、日本株のウエイトを下げて、海外市場に分散投資しておくしかない。ところが、それが可能になったのは、せいぜい20年だ。
バブル景気までは、国内では消費ブームになっていた。3C、カー、クーラー、カラーテレビが三種の神器などが、家族の夢であった。あの時、サッサと車でも買っておけばよかったのに、我慢して投資した報いがこれじゃ、情けない。思わず、愚痴も出る。
個別の企業の株価がたとえば倒産するような場合には、限りなくゼロになり、ついには倒産してしまうこともある。おなじように平均株価が長期に低迷し、ゼロに接近していくかも知れないという悪夢は恐怖をおぼえさせる。投資家にとって、倒産する企業の株式への投資ほど怖いものはないからである。確かに個別の株式会社が倒産することはあっても、上場企業すべてが倒産するリスクまで心配するのはただの杞憂だと慰められればいい。この悪夢から脱出するには、株式資産をそもそももたないか、あるいは海外の株式に分散投資することしかないのである。国内の投資家が国内で投資することに不安で、海外市場を物色しているというのは実に奇妙な光景である。いや、日本株式会社というのは、本当に資本主義でやっていけるのだろうか。
(3)第三、老いの不安
日本社会三つ目の不安は、社会そのものの老齢化である。これから老いて行く人々は不安である。なにしろ自分たちを支えてくれるはずの若者たちがいない。老後の資金など不安になるのは当たり前だが、動けなくなったときに介護してくれそうな人がいなくなっているのはもっと切実な心配なのだ。
歩ける間は、お金が心配になる。仕事をやめた後になって、不動産のほかに、美術品などがある人はもちろん何の心配もない。そんな人は、3千万老人のせいぜい5%だ。普通は、住む家と年金と預貯金があるだけで、これでなんとか、2、30年持ちこたえなくてはならない。これは現役で働く以上の節制と工夫のいるゲームである。
なるほど、老後の資金は、いくつかある。不動産の賃貸料、利子、配当、あるいは資産の売却金、それに年金である。このうち年金は労働人口の減少とともに減らざるを得ない。利子は超低金利が解消するメドがない。配当は企業の利潤にかかっているが、これも株価が長期低落傾向である限り、多くは望めない。結局、資産を売却するか、預貯金の元本を取り崩すしかなくなってくる。
年金は、平均すると一月、一人あたり12万円で、もっと少ない人のほうが多い。もちろん、夫婦共働きで、それぞれ20万円の年金という例外もある。これで月々不足分を預貯金の取り崩しで補填すると、年間100万円かかると、30年では3千万円がなくなる。そうなると国全体では900兆円の金融資産が要る取り崩されることになる。現在国全体の個人金融資産1500兆円の7割弱は老人世代の所有だとすると、計算上はなんとかなる。しかし、老齢世代には歴然たる格差がある。
だから、3千万人老人の少なくとも3人に1人は、老後のどこかで資金的に行き詰る。医療どころか、日々の生活もできなくなる。金のあるうちに死ねればよいが、使い切った後まだ生きねばならぬとなるとこれはちょっとやっかいなことになる。個人的な対処法は、仕事を辞めた後、できるだけ早く、生活の合理化を図ること、酒もタバコもやめ、よく歩き、一日できれば一食にし、シンプルライフに徹することである。
しかしながら社会全体では、実にやっかいな人々を抱えることになる。多くは犯罪老人になるか、それとも徘徊か、痴呆老人を演ずるしかない。それが総人口の4割に達したとき、この社会はどうなってしまうのか、誰にも確かな答えがない。不安の先に、恐怖があるのか、ないのか、それすら分かっていない。
お客さん、あなたはこういう不安の時代をどうやって生き抜きますか。三つの不安のそれぞれの先にはなんともいえないほどの恐怖が潜んでいます。え、とても生きていけそうもないですって。いえ、いつかは誰もが死んでしまいます。そんなことは分かっているのですが、死ぬ前にどうやって生きているだろうか、そのことを考えているわけです。いや、いや大変ですな。