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長州の野望挫いた奥羽越列藩同盟

2019.07.22 Mon

参院選の結果が出ました。全体的には低調で、燃えない選挙戦だったと思います。そのなかで、今回の選挙で注目したのは、改憲を強く打ち出した安倍首相が狙っていた「改憲勢力3分の2」の獲得に失敗したこと、地方1人区で接戦が予想された秋田、宮城などの選挙区で野党統一候補が競り勝ったこと、そして山本太郎氏が率いるれいわ新選組が躍進したこと、の3点です。

 

今回の参院選は全般的には低調で、全体の投票率は48.80%でした。補選を除く国政選挙で投票率が50%下回ったのは、1995年の参院選(44.52%)以来だそうです。明確な争点がなかったこと、九州地方が大雨で投票の出足が鈍ったこと、テレビ(とくに民放)が参院選を積極的に取り上げなかったことなどが考えられます。

 

テレビ報道が選挙を積極的に取り上げなくなったのは、2014年の衆院選に際して、自民党がテレビ局に対して「公正な報道」を求めたことが影響していると思います。政権与党がテレビ局に送った文書で「あるテレビ局が政権交代を画策して偏向報道を行った」としたうえで、出演者の発言回数や時間、ゲスト出演者の選定、街頭インタビューの使い方などについて「公平中立」を求めたのです。

 

これが結果的には選挙期間中の報道を委縮させ、それからの選挙でも同じような状況が続いています。テレビ局にすれば「選挙では視聴率が取れない」ということでしょうが、自民党からの圧力や意向を忖度し、選挙を面白おかしく取り上げることができなくなった、というのが本当のところでしょう。

 

民放の選挙報道を振り返れば、2005年の“郵政選挙”では、小泉政権が進めようとした郵政民営化に反対する自民党内の“守旧派”と民営化を支持する“刺客”候補との争いを大きく取り上げたため、結果的には野党候補が埋没し、自民党の大勝につながりました。また、2009年の衆院選では、政権交代になるかをメディアが大きく取り上げたこともあり、実際に自公から民主党への政権交代が実現することになりました。

 

民間のテレビ放送が独自の視点(守旧派対刺客、政権交代の可否)で選挙を面白く取り上げていたのを、公正を求める放送法をたてに、まるでNHKのような“厳正中立”報道を政府・与党が求めれば、民放としては、選挙報道で文句を言われるぐらいなら、ほかの話題を取り上げるということになると思います。今回の選挙でも、民放が話題にしたのは、徴用工や貿易規制をめぐる日韓の摩擦と吉本興行タレントの“反社”との付き合い問題でした。

 

今回の選挙戦は低調だったと言いましたが、私はそれが政権側の作戦だったように思います。もともと安倍首相が狙っていたのは衆参同時選挙だったのですが、リーマンショックのような経済変動がなく増税を延期することはできず、ロシアとの北方領土交渉も進展せず、首相が北朝鮮に乗り込んでの拉致問題解決も進まず、解散の大義名分を見つけることが難しい状況でした。そこで、政権が期待したのは静かなる選挙で、有権者が政治に大きな関心を向けないまま、現状維持の民意が反映されれば、改憲に反対する野党は埋没し、結果的に改憲勢力が3分の2を上回るというステルス作戦だったと思います。

 

それが成功せず、自民党は現有議席を減らすことになったのは、選挙直前に持ち上がった「2000万円の貯蓄が必要」という年金問題をきっかけに、庶民の暮らし向きが選挙の争点になったからだと思います。秋田、山形、宮城、大分などでは、自民党の現職が野党統一候補の新顔に敗れています。イージスアショア問題が県民の怒りを買った秋田は別かもしれませんが、地方の有権者の根底にあったのは、暮らし向きへの不安だったと思います。2000万円問題で有権者の意識が自分の生計に及んだときに、アベノミクスへの疑問も高まったのでしょう。

 

接戦のなか、自民党候補が岩手、秋田、山形、宮城、新潟で次々に敗れていくのをテレビの速報で見ながら、「長州の野望挫いた奥羽越列藩同盟」という言葉が浮かんできました。150年前の戊辰戦争で、長州と薩摩を主体とする新政府軍に抵抗した会津、仙台、長岡などが組んだ奥州越列藩同盟は敗れ、それが東北に対しては「白河以北ひとやま百文」という軽視と、ひいては東北の地方振興を遅らせる遠因にもなったと思います。

 

もちろん、安倍首相に奥州を鎮撫した薩長の意識はないでしょうし、秋田藩は新政府軍に付きましたし、会津藩の福島は自民党の現職が議席を守りましたから、現在の東北や新潟の有権者に戊辰戦争の思いはなかったと思います。しかし、東北が過疎で疲弊し、農村地帯では日米貿易交渉で、日本は自動車を守るために農業を捨てるのではないかという不安があったのはたしかでしょう。山形では、長岡昇さんのコラムが指摘していたように、自民党の現職は東京で育ち、山形をふだんの生活拠点にはしていなかったようで、「地元を馬鹿にするな」という有権者の意識が少なからず投票行動に影響したのではないでしょうか。

 

1人区で最後まで当落が決まらなかった宮城県を制した立憲民主党の石垣のりこさんでした。消費増税の凍結を掲げる野党統一候補でありながら、「消費税廃止」を訴え、同じ主張の山本太郎さんの応援を仰いでいました。消費税廃止の訴えが勝因とは思えませんが、暮らし向きを前面に打ち出した山本太郎さんが応援に入ったことは勝因のひとつではないでしょうか。

 

そこで、立憲民主党の枝野さんに一言、元仙台市民としてお願いしたいことがあります。それは、石垣さんをいじめないでください、ということです。テレビでは、「消費税がゼロではいけないのですか」と、応援に来た枝野さんに石垣さんが質問し、枝野さんが苦り切った表情でいる場面が写し出されていました。あの表情のまま、枝野さんが党の方針に従えと石垣さんに迫るのなら、官邸主導で多様な意見を封じている自民党と同じになるのではないかと心配するからです。

 

2009年の総選挙を思い出してください。官主導のムダな予算を民主党政権が削れば増税は不要だと主張して、政権交代を実現させたのが民主党でした。ところが政権を取ると、その公約を果たさないまま、消費増税路線に転換し、最後は「三党合意」で、消費増税に合意しました。これが民主党を支持した有権者への裏切りと映り、それが民主党政権の崩壊につながったのです。

 

私は、消費税が社会保障財源として必要だと考えていますが、逆進性のある消費税は最後の財源で、社会的格差がひろがっていることや、上場企業の収益が過去最高を更新していることを考えれば、まず所得税や法人税の引き上げをするのが筋だと考えています。だから、消費増税の凍結と税制の見直しを掲げている立憲民主党の主張が間違っているとは思いませんが、消費税を5%から8%に引き上げた以降の消費の伸び率の低下をみれば、消費税の引き下げや廃止論を党内議論で抑え込むことには賛成できません。

 

今回の選挙戦で、自民党はステルス作戦だったのではないかと言いましたが、野党を率いる立場の立憲民主党も存在感を示しませんでした。2017年の衆院選で、立憲がそれなりの議席を取れたのは、希望の党を率いた小池百合子代表から「排除」された民主党リベラル派への判官びいきがあったからで、枝野さんの悲壮感漂う演説には、立憲の存在感があふれていました。それが今回の選挙では、もともと分裂した民主党の片割れを母体とする国民民主党が議席を減らし、立憲が議席を増やすという予測があったためか、悲壮感も迫力もありませんでした。

 

有権者に圧倒的な存在感を示したのは、れいわの山本太郎代表でした。私は新宿駅頭での山本さんの演説を2時間近く聞いていましたが、れいわの政策のなかで、安保も憲法も原発も、一言も触れませんでした。選挙で掲げた公約のなかには、辺野古基地の建設中止、原発即時禁止などが明記され、また憲法についても、自民党の改憲案への反対を記者会見で表明しています。だから、ほかの場所では、安保や原発に触れていると思いますが、私が聴いた新宿演説では、「暮らしの底上げ」の政策として消費税の廃止、奨学金の徳政令などを訴えていました。

 

消費税の廃止、奨学金の徳政令、最低賃金の全国一律1500円、などの政策は、ずいぶん乱暴な意見だと思いますが、「税金を取るなら金持ちの企業や個人から取れ」という言葉は、非正規社員がふえて社会的格差が広がる一方、大企業の業績が好調という状況のなかでは、とても当然な要求だと思いました。

 

首相がいろいろな数字をあげながら、アベノミクスの成果を誇っていますが、国民の多くは、生活が苦しくなっている、あるいはこれからの生活に明るい展望が持てないと思っているのではないでしょうか。山本太郎さんは、安保よりも憲法よりも原発よりも、そこがもっとも国民が不安に思っていることであり、そこに訴えることが大事だということを理解したのだと思います。

 

民放が郵政選挙や政権選択選挙のように、もっと自由に選挙戦を報道できたなら、今回の選挙では、自然発生的に聴衆が駅前を埋め尽くす山本ブームをもっと積極的にとりあげていたと思います。山本演説に遭遇したとくに若い人たちは、いかにメディアが「本当のこと」を伝えていないことを実感したと思います。Youtubeには、山本太郎演説の多くがアップされ、それぞれかなりの数が視聴されていることがわかります。世の中を知ろうとするならネットでという風潮はますます強くなると思います。

 

最後に指摘したいのは、基地問題を抱える沖縄やイージスアショアに揺れる秋田は、特殊ではないということです。たしかに安保や憲法は、国民の生活と生命にかかわる重要な問題でありながら、国民の関心がそれほど高くないかもしれません。しかし、安保や憲法は抽象的でも、ひとたび基地問題などとして自分の生活にかかわってきたときに、有権者は生活を防衛するため、政府の政策にノーを突きつける、ということです。政治には関心のない有権者が多いのは投票率が示す通りですが、沖縄や秋田で起きたことは、ひとたび自分の生活が脅かされているという状況になれば、有権者は政治に目を向ける、ということです。

 

奥羽越列藩同盟は、同盟側が仕掛けたものではなく、新政府軍の理不尽な要求や仕打ちに対して対抗したもの、というのが東北の理解です。国民の生活に政府が真正面から向き合わないと、列藩同盟の狼煙は全国であがることになるでしょう。

 

(冒頭の写真は、宮城県の選挙戦で立憲民主党の石垣のりこ候補を応援するれいわ新選組の山本太郎代表=れいわ新選組のHPから)


この記事のコメント

  1. 高成田 享 より:

    見出しと本文で「奥州列藩同盟」と書きましたが、「奥羽越列藩同盟」が正しいとのご指摘を受け、訂正しました。記者時代も、訂正の数だけは誰にも負けませんでした。すみませんでした。

  2. 阿部 和芳 より:

    とても興味が湧く視点であると思います。少なからず最後の一人区の宮城の当確が出た時に、そのように思いました。

  3. 佐藤彌右衛門 より:

    とても良い記事です。平明でわかりやすいし、広い視野から見ています。奥羽越列藩同盟は必要です。歴史的に常に東北は虐げられて来ました。中央集権を許す、霞ヶ関と自民党の横柄を叩いて置かないと、ちょっとまずいとかんじます。山本太郎には筆者と同じく共感しました。辻説法が出来る政治家が国民と国会の双方向を為しえるのでしょう。^_^

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