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テレビに消化し尽くされた舛添都知事

2016.06.16 Thu
政治

海外旅行の豪遊から始まった舛添要一都知事への批判は、参議院議員時代の政治資金の私的流用や都知事としての公用車使用の公私混同への疑惑へと発展し、とうとう辞任に追い込まれました。

テレビが取り上げた都民の反応で、もっとも多かった言葉は「せこい」だったと思います。5000万円の政治資金をめぐり辞任した前任者の猪瀬直樹氏に比べても、家族の旅行やら飲食やらの私的流用疑惑の金額は少なく、使い道は不適切ではあるものの法的責任を問われるかどうかは微妙だというのが大方の見方でした。それでも都議会が全会一致で不信任決議を提出するところまで舛添氏を追い詰めた原因は、つまるところ「せこい」ということだったように思います。

舛添氏が批判された行為は、政治家の公的な支出とは言えず、まさに「不適切」なものだったと思います。しかし、今回の「舛添基準」で、政治資金の収支報告書を精査されても絶対に大丈夫と胸を張れる議員はどれだけいるでしょうか。次の都知事候補として、議員の名前が挙がっていますが、候補者として名乗りをあげた瞬間から、メディアは収支報告書の精査を始めるでしょう。みなさん大丈夫?と言いたくなります。

いまの政治資金の使い道は、その使途通りの領収書があればなんでもOKだそうで、不適切かどうかの判断は、公開されている領収書類を見ることのできる有権者に委ねられているということになります。実際胃は、有権者に成り代わって政治資金の使い道を調べるのはメディアや市民団体などの役割ですが、メディアが調べるのは、今回の舛添氏の場合のように、特定の政治家に的をしぼっての”狙い撃ち”がほとんどで、国会議員の全員を同じ労力で調べるということはないと思います。

となると、そこにメディアの意図が反映するのは当然で、メディアの政治色によって、そのメディアにとって好ましくない政治家を標的にしたり、視聴率や売り上げが上がりそうな有名政治家ばかりを追ったり、といった傾向が出ていると思います。それがメディアの習性だといえば、それまでかもしれませんが、今回のメディアの舛添問題の取り上げ方を見ていると、不正の追及というよりは、狙いを付けた獲物を追い求めるハンティングゲームをしているように思えてきます。

舛添氏の不適切な支出は、おそらくほかの政治家だって多かれ少なかれしていることで、舛添氏はたまたまメディアの標的になっただけ、などと書けば、舛添擁護論だと非難されそうですが、私は舛添氏のいろいろな行為が許されると思っているわけではありません。今回のような執拗ともいえるメディア攻勢がなければ、舛添氏は「適切な処理をしているが、誤解を与えたようなので、指摘された支出を返金(寄付)します」という言い訳だけで、都知事を続けたと思います。そう考えると、公私混同を厳しく判断する「舛添基準」をつくったことは、メディアの功績といえるかもしれません。

もともと政治学者だった舛添氏が政治家になったのは、「朝まで生テレビ」などのテレビ番組の出演したことで有名となったためで、舛添氏は橋下徹氏らと同じようにテレビがつくった政治家です。その人が週刊誌にたたかれると、ここぞとばかりテレビは追及の手をゆるめませんでした。理由は明らかで、舛添問題を取り上げれば、視聴率がつきてきたからです。新たなネタがほとんどないままに、無理矢理に舛添問題を取り上げているテレビ番組を見ていると、「もうネタがありませんよ」「視聴率がいいんだから、なんでもいいから今日も舛添だ」なんてテレビ局内での会話が聞こえてくるようです。その意味では、テレビは「舛添」という視聴率稼ぎの種を育て、最後はその実を食い尽くした、ということかもしれません。

メディアと政治との関係はこれでいいのか、と思います。メディアがいま取り上げるべき政治問題は、本当に舛添問題だけだったのでしょうか。消費増税の公約を破った安倍首相の増税先延ばしについて、これをどう考えたらいいのか、もっと多角的に取り上げるべきではなかったのかと思います。

それがなければ、7月の参院選挙は、多くの党が増税時期の延期を求めていることもあり、争点がしぼれない選挙と見られがちです。しかし、そうでしょうか。首相は、今回の参院選を増税延期を国民に問う選挙だと主張しています。改選議席の過半数を与党で獲得すれば、増税延期の承認を国民から得たとことになる、というわけです。それなら逆に過半数を獲得できなければどうなるのか。論理的には、増税延期をやめて、法律通りに増税を実施するということになります。

つまり、首相の論理に従えば、与党が過半数を取らなければ、増税延期はなくなる、というわけで、増税延期を願っている人々にとっては、野党も増税延期を主張しているにもかかわらず、野党に投票することは、増税延期を否定するということになるのです。公約違反の是非、アベノミクスの評価、という争点をメディアが明確にしなければ、首相が設定したレールに乗った選挙になってしまいます。いまこそメディアの眼力が問われているのですが、期待するのがまちがいかもしれませんね。

ところで、政治家を監視するのはメディアの役割だと書きましたが、もちろんメディアだけではなく、各地で展開されている市民オンブズマンなど市民団体の活動も政治監視で大きな役割を果たしています。たとえば、私が住む宮城県では、弁護士らが中心となっている仙台市民オンブズマンが宮城県議会議長の政務活動費が不透明だとして追及した結果、議長は議長職の辞任に追い込まれました。議長職ではなく議員としての政治資金の在り方が問われたので、議員辞職でなければ不十分だと思いますが、舛添疑惑の追及に比べれば、全国紙の地方版も含め、メディアの対応は微温的だと私には写ります。

やっと辞めたかと、都民も国民も舛添問題のゲームオーバーに満足感、達成感を味わっている時期ではないと思います。


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