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英語が大半を占める東宝映画「杉原千畝」

2015.12.18 Fri
政治

関心の在る映画が、この12月5日から掛かっていますので、見てきました。題名は「杉原千畝(スギハラチウネ)」と言う東宝映画で、日本人俳優の「唐沢寿明」が主演、女優の「小雪」がその夫人役で登場するものです。ただ、多くの場面で、外国人との遣り取りが主となりますので、そこでは使用言語はほとんどが英語となっていました。
唐沢寿明主演、小雪助演であるが、・・・・・・・・・

主演の唐沢寿明は、その役をかなり滑らかな英語でこなしていました。その事を始めとして、この映画は邦画なのに大半が英語で進行するという、前例のないものとなっています。私が見たのは日本でのロードショーですから、そうしたシーンでは、日本語のサブタイトルが出ていました。この国でも、かかる映画が製作され、市中上映されるようになったのですね。驚くべき時代の変化です。

英語、日本語以外では、ロシア語、ドイツ語が出て来ました。他方、杉原の名前が「センポ」と音読みされているのは面白いと思いました。「ちうね」は難しいし、欧米系の言語では発音しにくいからでしょう。こうなったのは杉原氏自身がそう名乗っていたとも考えられます。因みに、私もアメリカ留学中、拙名について本名の「まさはる」を、同じ大学院の同級生が言いにくそうにしているものですから、その後、音読みで「シンジ」と言い換え、通していました。今もそれで付き合っています。
撮影地はポーランドとのこと

杉原千畝は実在の外交官で、任地は焦点のリトアニアを始めとして、ヨーロッパ各地が多かった由、斯くて、その地に相応しい撮影場所が探されました。その結果、街の外見が似ていて、映画を経験した多くのスタッフがおり、ノウハウも蓄積されているポーランドが選ばれたと言います。それは現にリトアニアの隣国でもあります。それに、一つの国で撮影始め色んな事が進められ、済ませられると言う事は、映画製作には大変なメリットとのこと、かくて、往時の在リトアニアの日本領事館もポーランドで「らしき建物」が見つけられ、各シーンが撮影された由です。

傑作なのは、杉原氏と夫人が知り合って間もなく、東京の日比谷公園でデートするところなどが在りますが、そこも「らしき場所」をポーランドで選び出したとの事です。
監督はチェリン・グラックというアメリカ人

この人は父親がニューヨーク育ちのユダヤ人と言いますし、その母親が日系米人で太平洋戦争中の「日系人強制収容所」に入れられた体験があると申します。かくて、同氏は日本人とユダヤ人が関わった、この物語には大変関心を持った由、縁あって監督を依頼されると、脚本が出来る前に「杉原千畝」の資料を多く読んだ由です。

杉原千畝の貢献

その人は、英語、ロシア語、ドイツ語、フランス語など語学に堪能な、地味ながら有能な現役の外交官でしたが、今日、伝記の様な本が書かれ、世間に良く知られるようになったのは、「日本のシンドラー」と言われる、在リトアニア領事時代のユダヤ人難民の救出の功績によるものです。それは、欧州の各国・各地がナチス・ドイツの占領下や支配下に入り、迫害を受けるようになったユダヤ人達が、日本への逃避を志向して、日本の領事館があり、それが実質唯一可能な国:リトアニアに集まるようになったことがあります。

大勢のユダヤ人が現実に在リトアニア日本領事館に殺到して来たのです。この様子を目の当たりにして、杉原領事は大変悩みますが、遂にある決断をします。その結果、同領事は外務本省の了解が得られないまま、日本への渡航を認めるビザを発給し始めたのです。この映画では、領事本人が申請者の前で自署、公印を押捺するシーンなど、それらに関わる場面が数多く繰り広げられました。 それは1940年(昭和15年)の七月から八月にかけて行われたのです。

後年、総括されるところによれば、その総件数は二千強に及び、一緒に渡航する家族を含めると総数は六千人を超え、結果として救われた人々の数を今日の子孫の数で合計すると約四万人に達すると言います。これは本当に凄いことですね。ただ、この人が、何故こうした行動を起こし、採ったかについて、その動機や趣旨を声高に語る場面は、ついぞ在りませんでした。内外の色んな人との微妙な遣り取りがあるものの、概ね静かに事態が進みます。

そして、この承認されざる行動ゆえかどうかも判然としないまま、杉原氏はその後の幾つかの異同を経て帰国し、1947年(昭和22年)に外務省を退任します。解任ではありません。

彼の功績が大変な事だったと言う事が分かってくるのは後年のことですが、それが公になって、1985(昭和60年)、イスラエル政府から「諸国民の中の正義の人賞」(ユダヤ人のホロコーストに対し、自らの命の危険を冒してまで、ユダヤ人を守った非ユダヤ人への感謝と敬意を表する称号)が送られます。映画では、杉原氏が何とモスクワで、彼が救ったユダヤ人と偶然に再会、喜び合うシーンが象徴的に描かれていました。そして、日本語のサブタイトルで、この国も公認したことを打ち出していました。
インテリジェント・オフィサーなど

他方、杉原氏が情報担当として優れた力量を発揮していたことを、この映画はある程度描いています。

それはスパイなどでは無く、普通の外交官としての仕事がもたらした成果や貢献になるようですが、それゆえに、戦前往時のソ連側から睨まれ、「ペルゾナ・ノン・グラータ」(好ましからざる人物)に指定された唯一の日本外交官となったと申します。かくして、彼はモスクワへの任官が成らず、リトアニアに赴任する分けですが、それがまた、本題の業績の下地に繋がる分けですから、人生とは本当に分からないものですね。

ところで、彼が在任したリトアニアは第一次大戦後、ロシア帝国から独立したバルト三国の一つですが、第二次次大戦の初期に、独ソ不可侵条約に伴って結ばれた独ソ間の秘密約定によって、他の二国とともにスターリン治下のソ連に併合されてしまいます。そして、この併合が実行され、日本領事館が閉鎖されるギリギリの時に、杉原領事は大量のビザを発給する緊急対処を行うのです。

視野を広くして見直し、インテリジェント・オフィサーとしての彼の見識や体験などを考え合わせますと、独ソともに信用できない、容易ならざる相手であったように見られます。
シベリア鉄道での強奪事件

さて、杉原領事の沈着ながらも果敢な対応で、九死に一生の窮地を脱し、命を長らえたユダヤ人達ですが、ソ連沿海州のウラジオストックに向かうシベリア鉄道の列車の中で、金属・宝石などの金品を強奪される目に遭います。ひどいものです。往時のソ連がどんな情況であったか、これで推して知るべしですが、こうした事を始めとして、この映画は色んな事を実に良く描いています。これで、日本は表現の自由のある国で在る事が、心底より素晴らしい事と言えると思います。


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