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邦題「ゲッベルスと私」と言うオーストリア映画

2018.07.11 Wed
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邦題「ゲッベルスと私」と言うオーストリア映画

平成30年7月
仲津真治

この程、関心あって、「岩波ホール50周年記念作品」と銘打った映画を鑑賞しました。 オーストリア映画なのに、何故か原題は英語で「A GERMAN LIFE」と言い、それは敢えて邦訳すれば、「一人の ドイツ人の 人生」と言うところでしょうか。これでは日本では何の
ことか分かりませんからね。

それを上映者「岩波ホール」は、日本人向けに「ゲッベルスと私」と意訳し、邦題としています。実際私もこのタイトルで、「見に行こう」と、その気になったことは確かです。

主な使用言語はドイツ語で、所々英語の箇所があり、一箇所だけイタリア語でした。それは、ゲッベルス宣伝相が訪伊したときのニュース映画を中心に編修したものでした。

それでも、映画製作での構成・表示は、英語に拠っていました。「A GERMAN LIFE」と言う題名からしてそうです。 何故こうなるのでしょう。 ホールの人に聞いたら、時代ですねとの事でした。何でも何処でも英語が益々使われる世の中となったようです。

1) 映画のポイント

映画の登場人物は実質ただひとり、ポムゼルと言う当年百三歳のドイツ人女性です。その人は、1933年、ナチ党に入党、処遇面で有利に過ごし、放送局の秘書などを勤めた後、1942年、ゲッペルス宣伝相の秘書となっています。 されどベルリン陥落の後、ソ連軍に五年間拘束され、収容されていた経歴も持っています。若い頃はなかなかの美人だったようで、上司に信頼され、精力的に働いたいた様子を彷彿とさせます。

映画は、インタビューに応えるポムゼルの答えを中心に編修され、聴き手の声は聞こえません。映るのは、百歳余りのポムゼルの顔と答えだけで、背景は黒一色と言う単調さで貫かれています。 つまり、所要のものだけ浮き彫りにさせた感がありました。

その風貌には、肌に深く刻まれた無数の皺がくっきり浮かび上がっていて、体験したであろう凄まじい人生を物語っていました。 人とは、斯くも多く深い皺を帯びるものなのでしょうか。本当に驚きました。

その白黒映像は、「何も隠す積もりはありません。色も付けません。」という端的な意思表示のようでした。

ただ、疑問は、部屋こそ違え、ゲッペルスの側に使えて、タイプを打ったと見られる経験から、「では、指示されて打ち出した文章を確認し、意味や趣旨は理解したのでしょう。 その点は?」と言うところです。 こうしたことや、有り得た遣り取りを物語る箇所は遂にありませんでした。従って、決定的なことは分からないのです。

この点について、ポムゼルは、「自分は政治的に無関心な人間で、物事を表面的にしか見なかった。」と言い、「だから、良かった。生き延びれた。」とも語っています。

斯く、私は疑問を残しつつ、それでも、この映画の意義はあると思いました。

2) 分岐点 スターリングラード攻防戦

ポムゼルの記憶は鮮明で、いろんな思い出を比較的滑らかに語ったいました。インタビュー当時百三歳とのこと、実に凄いですね。

中でも、大戦中の大転換の事変として、スターリングラード(現ボルゴグラード サッカー世界杯の予選 日本対ポーランド戦が行われたことで有名)の攻防戦のことを良く覚えていたのには、驚きました。政治的なことには関心がないと言っていたポムゼルが斯くまで言うのには、余程、かの戦い、攻防は当時ドイツの中枢に響いたに違いありません。

1941年冬、首都モスクワの制圧に失敗したヒトラーは、翌年矛先を転じ、ソ連南部へ攻勢を掛け、スターリングラードの攻略を目指しましたが、1943年2月に結局不首尾に終わり、独ソ戦の帰趨がほぼ決しました。

この事をポムゼルは二度も語ってますから、余程印象に残っていたに違いありません。

3 ) ポムゼルの死去

ポムゼルは、昨年、2017年の1月27日、106歳で死去します。
自身の死去前に、このインタビューに応じたことで、生前溜まっていたものを吐き出したのでしょうか。


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