大手メディアが伝えない情報の意味を読み解く
情報屋台
文化
芸術

『ガンジスに還る』で考える人生の「解脱」

2018.10.07 Sun

年老いて安らかに死ぬには、そして、ギリシャ神話のエディプス以来の父と息子との葛藤に「和解」はあるのか、そんなことをじっくりと考えさせる映画です。舞台は、インドのガンジス川のほとりにある古代バラモン教の時代から続く聖地バラナシ。川というよりは流れのない湖のような茫洋たるガンジスの映像は、煩悩にあふれる人々の営みを溶かしてきた悠久の歴史を思わせます。

 

物語は、自らの死期を悟り、バラナシで死を迎えようとする父と、その行動に納得できず、同行しながらも連れ戻そうと説得を重ねる息子とのぎこちない関係が主旋律で流れ、ときに奏でられる不協和音が哀しく、ユーモラスに響きます。インドの古い風習を取り上げながら、現代に生きる世界のだれもが共感できる物語に仕上げた制作者の技は巧みだと覆いました。老練な監督を想像したのですが、実際には28歳の若手監督、シュバシシュ・ブティアニが脚本も手掛けたそうで、インド映画界の底の深さと広さに驚きました。

 

映画には、含蓄のある会話がたくさん出てきますが、私は、次のような父と息子の会話が印象に残りました。

 

息子「来世があるとして、生まれ変わるなら、また同じ家庭に?」

父「わしはライオンになりたい。母さんにライオン坊やと呼ばれていた」

 

本当は、「生まれ変わっても、同じ家庭に」と言いたかったのかしれませんが、威厳のある父としては、百獣の王であるライオンと答えたように思えました。さりげない会話のなかに、父と子のわだかまりが消えていくのを象徴させていました。

 

まじめな仕事人間の息子を演じたアディル・フセインは、『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』で少年の父親を演じるなど国際的な俳優で、この映画でも、真剣に生きようとすればするほど、周りには滑稽に見えてしまう息子のラジーヴをうまく演じていました。頑固な父親のダヤを演じたラリット・ベヘルは、監督や脚本家としても活躍する俳優だそうで、重厚さとユーモアが同居しているのは、この人の地ではないかと思わせました。重苦しくなりそうな物語に、狂言回しのように登場して輝いていたのがラジーヴの娘スニタで、この役を演じたパロミ・ゴーシュの演技も素敵でした。

 

この映画の英語名は“Hotel Salvation”で、文字通り訳せば、「救済ホテル」ですが、原題の意を汲むと、「解脱ホテル」ということでしょう。そういえば、“The Best Exotic Marigold Hotel”(邦題『マリーゴールド・ホテルで会いましょう』)という2011年に公開された英国映画がありましたね。あのホテルもインドで、人生の終盤を迎えた人たちが「穏やかで心地良い日々」を求めて英国から集まってくる物語でした。

 

「解脱」とは、インドでは、人の最終目標で、さまざまな煩悩から解放されるという意味で、ヒンズー教でも仏教でも、同じような意味合いで使われているようです。「解脱」と言われれば、インド哲学の高尚な言葉のように響きますが、映画の中では、安らかに死ぬといった意味合いで使われていて、インド人の死生観を表している言葉なのでしょう。

 

年を取るということは、死がだんだん身近になるということで、私も電車の「優先席」に座るのに抵抗がなくなる歳になりました。とはいえ、死ぬもいやですし、死ぬことを考えるのもいやで、日常の生活に約束を入れたり、しごとを入れたりして、「忙しさ」にかまけて、「死」を考えることから逃れています。この映画の父親のように、ガンジスのほとりで安らかな死を迎えるなどという気には、なかなかなれそうもありませんし、それも煩悩のいうことなのでしょう。

 

先日、電車に乗っていたら、偶然、座っている私の目の前に、以前勤めていた会社の後輩が立っていて、横の席が空いているので、座るように勧めたのですが、なかなか座りません。話がしづらいのにと思ったのですが、そこが優先席であることに気づき、なるほどと思いました。優先席を「権利」のように座っている自分が恥ずかしくなりました。「老」になると「若」のころの欲望や執着心は消えていくものだと思っていましたが、「老」には「老」で、「安楽」や「権利」を求める執着心が新たにまとわりつくのですね。

 

宮崎哲弥著『仏教論争-「縁起」から本質を問う 』(ちくま新書)を読んでいたら、仏教の「十二支縁起」は、「無明」からはじまり「老死」で終わるとあり、ブッダも「老」を生きることの苦しみのひとつと考えていたのだと知りました。その本に、「解脱」について、次のような解説が書かれていました。

 

「生存苦を破却し、消滅させることは仏教の究極の目的であり、解脱、あるいは悟りというのは、要は生存苦が完全に止滅し、『憂いと嘆きと苦痛と失意と葛藤(愁悲苦憂悩)』から完全に解放された寂静の境地に達することである」

 

老いても「愁悲苦憂悩」からは、なかなか「解脱」できないものですが、この映画はひとときの「浄め」となりました。私は、日本記者クラブの試写会で観たのですが、一般公開は10月27日から岩波ホールで。映画の公式サイトは下記。

http://www.bitters.co.jp/ganges/

冒頭の写真は、© Red Carpet Moving Pictures


この記事のコメント

  1. 高成田 享 より:

    拙文を読んだ知人から、遠藤周作の『深い河』を思い出した、と言われたのですが、未読だったので、早速、読みました。たしかに、この小説の舞台は、バラナシ(小説ではヴァーラーナスィと表記)でした。講談社文庫の帯には「愛とは何か、魂は救われるのか。母なる河のほとりで、人びとはその答えを探し続ける」と、ありましたが、バラナシには、「救済」を考えさせるものがあるのですね。文庫の奥付をみたら、2017年3月第59刷で、多くの読者をひきつけるテーマだと思いました。

  2. 高波太一 より:

    解脱は輪廻から脱する事なのに
    また生まれ変わったら、、と所はおかしくないですか?

    私はお父さんが「解脱」の意味を本来の意味でなく「安らかな死」くらいに考えているのかな と思ったのですが
    どう考えますか?

  3. 高成田 享 より:

    そうですね、この父親が「解脱ホテル」に入ったのは、輪廻からの解放というよりも「安らかな死」として「解脱」を考えたからでしょうね。息子は「輪廻」も「解脱」も、「現世」の忙しさのなかで、無視してきたのでしょうが、「生まれ変わるなら、また同じ家に?」という父への問いかけは、父の死生観へに寄り添う気持ちが生まれた場面だと思いました。

高波太一 へ返信する コメントをキャンセル

内容をご確認の上、送信してください。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

文化 | 芸術の関連記事

Top