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「安倍さん、がんばれ」と言いたくなる領土交渉

2018.11.20 Tue
日ロ首脳会談新聞

1956年の日ソ共同宣言を基礎に平和条約交渉を加速させる。安倍首相とプーチン大統領との日ロ首脳会談での合意をどうみるべきか、私なりに考えてみました。その結論は「安倍さん、がんばれ」でした。日ロ平和条約の締結と北方領土問題の解決は、日本の外交にとって、戦後の残された最大の課題だと思います。どんな形になるにせよ、それが「解決」といえる状態になる可能性(あくまで可能性です)が出てきたように思うからです。

 

この問題を考える参考図書というか教科書にしたのは、若宮啓文の『ドキュメント 北方領土問題の内幕』(2016年、筑摩書房、以下、『内幕)です。この本は、今回の日ロ両首脳の合意のもとになった日ソ共同宣言ができる過程を克明に描いているからです。このときに平和条約の締結まで至らなかった「障害」が現時点でどう変化しているかをみると、機がかなり熟しているように思えます。『内幕』をもとに、共同宣言に至る過程を要約すると、以下のようになります。

 

「日ソ国交回復」を政権の看板にした鳩山一郎内閣が発足したのは1954年12月で、1955年6月には、ロンドンで日ソ交渉が始まります。そのときに外務省が全権代表の松本俊一・元駐英大使に示した日本側の対処方針が「訓令第16号」で、領土問題については、①歯舞・色丹の返還、②千島、南樺太の返還が掲げられ、歯舞・色丹については、日本が譲らないように要求の「貫徹」を求めていました。一方、国後・択捉の名前が出てこないのは、このころの日本政府は、日本が1951年の再独立(占領の終焉)を認めたサンフランシスコ条約で日本が放棄した千島列島に、国後・択捉が含まれるという見解を取っていたからです。

 

これに対して、ソ連の全権代表であるマリク駐英大使が求めたのは、日米安保条約の破棄などでしたが、8月になると、日米安保の廃棄は求めないとしたうえで、平和条約が結ばれれば歯舞・色丹は日本に引き渡してもよい、という提案をしてきました。松本全権は、これで交渉は一気に妥結できると踏んだのですが、重光葵・外相は、歯舞・色丹に国後・択捉をあわせた「北方4島」の主権回復を求めるように指示します。その結果、この交渉は挫折、その後、日本政府は、国後・択捉の南千島は日本固有の領土であり、サンフランシスコ条約で放棄した千島列島に含まれない、という見解に転じました。

 

1956年3月に日ロ交渉が決裂すると、ソ連はオホーツク海からベーリング海にかけての海域に漁業制限区域を設けて日本の漁船を締め出す「しっぺ返し」をしてきたため、河野一郎・農相が4月に訪ソします。日本の漁獲枠を認める漁業交渉をまとめるとともに、平和条約を結ぶための日ソ交渉の再開を約束してきます。そこで、7月から8月にかけて、こんどは重光外相が全権代表となって訪ソします。ソ連の強硬姿勢に屈した重光は、これまで反対の立場だった「歯舞・色丹の2島返還」に転じることを決意します。ところが、今度は、鳩山首相が反対したため、この交渉も挫折します。この時点で鳩山は、領土問題と平和条約は棚上げして国交の回復だけをめざすという方式に転換していたのです。その背景には、1955年12月の自由党と民主党の「保守合同」の際に、「4島返還」を「党議」としていたことや、国内世論が「4島返還」に傾いていたことがあります。

 

さらに、日本政府の退路を断ったのが「ダレスの恫喝」です。モスクワでの交渉に失敗した失意の重光は、ロンドンで米国のダレス国務長官と会談します。そこで、ダレスは「日本が国後、択捉をソ連に帰属せしめたなら、沖縄をアメリカの領土にする」と言ったのです。戦後、米国は沖縄を軍政下に置きましたが、日本の「潜在主権」を認めていました。しかし、日本がソ連との間の領土交渉で、勝手に取引するなら、米国も沖縄を領有する、という脅しです。歯舞・色丹の返還で日本がソ連と妥協すれば、日本国内の世論が沖縄返還に向けて高まることや、冷戦下にある米ソ関係のなかで、日本とソ連が接近することを恐れたためとみられますが、この米国の「恫喝」によって、日ソ平和条約の締結は限りなく遠のいたということでしょう。

 

1956年10月、鳩山首相は自らモスクワに行き、共同宣言をまとめます。そこで、日ソ平和条約の締結後に、歯舞・色丹をソ連が日本に「引き渡す」ことが盛り込まれました。国後・択捉についての継続協議という文言が入らなかったため、ソ連側は、歯舞・色丹で決着と解釈できる一方、日本側も共同宣言にある「平和条約締結交渉の継続」のなかに、国後・択捉問題も入る、という解釈ができる内容になったのです。

 

それから62年後の日ロ会談で、この共同宣言を基礎とした平和条約交渉の「加速」が合意されたわけです。この間に、細川護熙首相とソ連からロシアに代わったばかりのエリツィン大統領との「東京宣言」(1993年)、森喜朗首相とプーチン大統領との「イルクーツク声明」(2001年)、安倍首相とプーチン大統領との「声明」(2016年)など、日ロ首脳間で、さまざまな約束が交わされましたが、共同宣言の枠組みから大きくはずれたものはありませんでしたし、今回の合意も同じように思えます。

 

しかし、平和条約の締結という意味では、機が熟してきたのではないかと思わせることもあります。今回の合意は、歯舞・色丹の2島返還を基礎に、残る国後・択捉2島の扱いについて日ロが互いに譲歩する「2島+α」での解決が予測されるものです。これまで、「2島+α」論を言い出すと、ロシアへの屈服だとして「国賊」といった非難が保守層から出ましたが、そうした保守層のヒーローともいえる安倍首相が「2島+α」でロシアと合意するなら、納得する人たちも多いのではないでしょうか。

 

米ソの冷戦を終わらせたのは、ソ連との融和路線の民主党政権ではなく、強硬論線の共和党レーガン大統領だったということが交渉事ではよく引き合いに出されます。平和条約の障害と言う意味では、日ロ両国の保守層というか日本国内の対ロ、ロシア国内の対日の強硬派の存在がありますが、日本側については、保守層を納得させるという点で、保守的な安倍政権、ロシア側についても、国内世論を抑え込むという点で、強力なプーチン政権は適任だといえるかもしれません。

 

また、国内世論という点でも、「4島返還」を絶対条件とする世論は多数派とはいえないのではないでしょうか。「4島返還にこだわらず」という意見が「4島返還をめざす」という意見を上回ったという新聞社の世論調査もありました。

 

外務省の欧亜局長だった東郷和彦さんが朝日新聞の「耕論」で、今回の合意を高く評価したうえで、「今回が最後の機会です。ここでまた日本の腰が引けたら、ロシアはもう交渉のテーブルにもつかなくなるでしょう」と語っています。イルクーツク声明の作成に尽力した人の発言だけに、重みがあります。

 

最後の難関は、米政府の対応です。共同宣言をめぐる動きでは、ソ連との交渉をまとめようとすると、東京から横やりが入る、という場面が何度かあったようですが、その背後にあったのは、「ダレスの恫喝」だけでなく、ソ連と日本との接近を妨害しようとする米国の意志が働いたと見るべきでしょう。共産主義のソ連が崩壊し、冷戦は終わりましたが、ロシアによるウクライナの併合以来、米ロ関係は「新冷戦」といもいえる状態になっています。安倍首相とトランプ大統領との個人的な信頼関係で、米国の壁を突破できると、安倍さんは思っているのかもしれませんが、日ロの接近は、地政学的にも経済的にも、米国をおびやかすという見方も米国内にはあるように思います。

 

先日、日本記者クラブで、米国のウィリアム・ハガティ駐日大使の会見があり、日ロ合意についての質問も出ました。大使が繰り返し強調したのは、日本と米国は、自由や人権の尊重という共通の価値観で結ばれている強固な同盟関係だということでした。「よもや、そのことを忘れて、ロシアと仲良くしようというのではないですね」という牽制球のように、私には聞こえました。プーチン大統領は、引き渡した歯舞・色丹に米軍基地ができないことを日米が確約することを求めているようですが、米国がロシアの注文を聞いて、軍事的展開の制限を約束するとは思えません。

 

この点では、機が熟しているとはいえませんが、ここは安倍首相の踏ん張りにかかっているように思います。日本にとって、日ロ平和条約の締結や北方領土問題の解決は戦後の総決算だけなく、経済的にも大きなメリットがあります。直接的には、漁業の拡大や北方4島の経済開発などが見込まれますし、間接的には、サハリンなどを含む広義のシベリア開発の進展などが考えられます。

 

『内幕』の著者である若宮が朝日新聞の論説主幹だった時期に、私は論説委員として、毎日、論説の議論に参画してきました。今回の日ロ首脳の合意で、あらためて『内幕』を読み直しながら、若宮ならどんな主張をするだろうかと考えました。『内幕』のなかで、透けて見えた若宮の考え方は、戦勝国のソ連を相手にした領土の返還交渉という現実を見据えるなら、4島の一括返還にこだわらず、歯舞・色丹の引き渡しで平和条約を結ぶ機会があったはずだ、という現実的なアプローチを政治に求めるものだったと思います。私には今回の合意は現実的なアプローチのように見えるので、私が論説委員だったら、若宮主幹に社説の見出しは「安倍さん、がんばれ」ではと提案し、「勘弁してよ」と、はねのけたと思いますが、「やわらか頭でとんがろう」と言っていた若宮ですから、「機は熟したのか」といった前向きな方向性は示したように思います。ちなみに、朝日新聞の実際の社説(11月16日)は「拙速な転換は禍根を残す」というものでした。


この記事のコメント

  1. 中北 宏八 より:

    ソ連崩壊時というチャンスを逃してしまった日本外交にとって、2島返還は望みうる現実的な解決策。社説の背景、参考になりましたが、今の社説はまた後戻りですね。アベを応援したくないという気持ちは強いのですが。

  2. 射水市・小林 より:

    「接待条件」→「絶対条件」ですね.
    朝日の社説が頑なな姿勢だったことに少しだけ失望しましたが,私は平気で前言撤回をして言動が不誠実な安倍首相が嫌いなので,理解もできました.安倍以外が日露交渉を仕切るのなら,2島+αは悪くない選択だと思います.日本の利益よりも自分の立場を優先するような人物に交渉を任せては,国の進路を誤ると思います.

  3. 高成田 享 より:

    誤字の指摘、ありがとうございます。出張中で直せないので、帰京後、早急に訂正します。信用できない人に大事な交渉を任せるわけにはいかない、というのは、その通りですが、ネズミを捉えるには、猫の色にこだわらない、という悪魔の囁きも聞こえてしまうのです。

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