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半藤一利著『B面昭和史』を読む

2019.03.05 Tue

半藤一利さんの近著『B面昭和史1926▸1945』(平凡社ライブラリー)を読み終えました。文庫本にしてはぶ厚いこの本を書店で目にしたとき、読んでみようと思ったのは、このところの世の中の動きをみながら、いまの時代が満州事変(1931)、日中戦争(1937)、そして太平洋戦争(1940)へと突き進んでいった「戦前」と似ているのではないか、という思いが強くなっているからです。この本を読めば、それを裏付けるような逸話が出てくるのではないかと考えたわけです。

 

結論をいえば、逸話どころか、著者自身がそういう意識で執筆していたことがわかり、驚きました。「歴史探偵」を自称する半藤さんは、現代を語るのに過去の都合のよい話だけをピックアップしてくるライター(私のことです)と違って、その時代の文脈のなかで、面白い事実をさぐりあててくる作家です。だから、「いまの時代と似ているなあ」といった感想は、読者に委ねるのだと思っていたのですが、「そうも言っていられない」という著者の危機意識がこの本全体を貫いているように感じました。

 

この本を読みながら、なるほどと思ったのは、戦前が暗い時代と割り切ることはできない、ということです。戦前は、景気も悪く、自由に発言もできない時代という印象が強いと思います。しかし、この本によると、満州事変から日中戦争への時期は、鉄鋼や化学産業の発達が著しく、軍需インフレも伴った好景気で人々は「東京音頭」(1933)の「ヤーットナー、ソレ、ヨイヨイ」と浮かれていたというのです。

 

先日、仙台で「東京六大学宮城校友の会」という会合があり、六大学のOBとして参加したときに、90歳になるという東京大学のOBが子ども向けに書かれた憲法についての本の話をしていました。そこには、戦前について「自由も平等もなく、いのちは虫けらのように扱われていた社会。そんな暗い時代が長い間つづいていた」と書いてあったそうです。このOBの記憶では、「太平洋戦争の最初の2年間は“勝った勝った”と景気が良く、国中が湧いていた」ので、「当時の小国民の感覚とは雲泥の差がある」と考え、本の編集者あてに修正を求めたといいます。「そんな暗い時代」ではなく「それを暗いとも思わない時代」にという“穏便な”内容でしたが、なしのつぶてだった語っていました。

 

このOBは、戦前を全否定するいわゆる戦後の歴史観に抗議をしたかったのだと思います。半藤さんも景気が良いという同じことがらを書いているのですが、言いたかったのは、国民は暗い顔をしていたのではなく、むしろ明るい顔をしていた、だからこそ、おそろしいのだということではないでしょうか。日中戦争が始まった1937年の記述で、著者はこう語っています。

 

「軍歌と万歳と旗の波と提灯行列のうちに日中戦争が進展していったことは、わたくしの記憶のなかにもしっかりとある。それはもうそれ以前からの軍部や政府の情報操作による巧みな宣伝があり煽動があったのであるが、それにうまうまと乗せられたというよりも、むしろ国民のなかに年月をかけてそれをやすやすと受け入れる素地がありすぎるほど養成されていた、といったほうがいいか」

 

言論の自由や人権が抑圧されていると、多くの国民が認識すれば、戦前でも現代でも、そのときの政権は持たないでしょう。国民は、日々の生活に楽しみを見つけているからこそ、ときの政権は少しずつ、そして着実に言論の自由や人権を抑圧する手立てを講じ、国民はそれを受け入れるのだと思います。現在が戦前と似ているという議論をすれば、「言論も人権も抑圧されていたあの時代と一緒にすることはできない」という否定論が出てくると思います。しかし、一部で抑圧はあったかしれないが、多くの国民はそこには関心を向けず、生活を享受していたとみると、戦前と現在との距離はずっと近寄ってくるような気がします。

 

『B面昭和史』を読んで、もうひとつ驚いたことは、この本が単行本として刊行されたのが2016年2月で、平凡社ライブラリーの文庫版で出たのが2019年2月で、3年しかたっていなのですが、著者が近著のあとがきで、「この三年間、この国の、すなわち民草の心のもちようが急速に変わってきているように思われてならない」と書いていることでした。たった3年間でどう変わったというのでしょうか。

 

「簡略にいえば集団主義への傾向が強くなりつつある。個人の価値なんかどうでもよろしい、集団の調和のほうが大事、すべて国家の利益(国益)を先行させるべきである、そんな声が大きくなっている」と語り、「本書の昭和十三、四年ごろの変わり方にさも似たり」と書いています。

 

昭和13年(1938)は、国家総動員法が成立した年、昭和14年(1939)はドイツがポーランドに侵攻、第2次大戦が勃発した年です。そんな年とこの3年間の変化が似ている、と言われると、それほどなのかという気になります。著者は「『集団的自衛権の容認』で憲法九条の空洞化に成功し、以下、いまの日本の指導層はまことにウソ(?)をつくのが上手になり、平気になった」として、公文書の公開を阻む法律を「特定秘密保護法」、共謀罪を「テロ等準備罪」、カジノ法を「統合型リゾート実施法」、空母を「多用途運用護衛艦」と言い換えるなどの例を示して、「まるで戦中の大本営発表のようです」と書いています。

 

「かつての日本の軍部や政治家が“現人神(あらひとがみ)”天皇の名をかりてほしいままに国政を動かしたように、いまの日本のトップにある人もだれかの名をかりて負ぶさって勝手にふるまい、戦後七十年余、営々として築いてきた議会制民主主義そして平和憲法を希求する国民の願いをなきものにしようとしている、かのように考えられてならないのです」

 

ひとつの文で一気に書いているところに、著者の気迫というか危機感を感じます。最近の急速な変化ということで、私が思い浮かぶのは、森友・加計問題です。首相の指示があったかどうかは別にしても、少なくともエリートの官僚も含めた役人たちが首相の意向を忖度して、行政をゆがめたり、行政文書を改ざんしたりしてきたことが次々に明るみに出ました。それらの具体的な事実をあばいてきたのは新聞、テレビ、雑誌などのメディアでした。

 

しかし、財務省で起きた公文書の改ざんで財務相は引責辞任をせず、忖度のもととなった首相も道義的な責任をとって辞任することはありませんでした。これまでの内閣だったら、総辞職してもおかしくない状態までメディアは追及したと思います。しかし、一時的には不支持が支持を上回ることもありましたが、それでも安倍内閣の支持率は、歴代の内閣で比較すれば、高い支持率を維持しています。

 

メディアが政権を批判し、内閣支持率が下がり、首相は政権を投げ出す。総選挙による政権交代ではなく、メディアと国民との“共闘”による首相交代がこれまで何度もありました。しかし、モリカケでは、メディアが大きく取り上げ批判を繰り返すことで、世論調査では「納得できない」という声が多数になったのですが、それが内閣を総辞職に追い込むほどの支持率の低下には結びつきませんでした。しょせんは学校の許認可の話で、総辞職するような問題ではないというのが国民の声だったという見方もあると思います。しかし、私には、「実感なき景気拡大」と言われながらも戦後最長という景気の拡大期間が続くなかで、政治スキャンダルくらいで、アベノミクスを変更させたくない、という民意が強かったのではないかと思います。

 

その結果、どうなったのでしょうか。メディアによる批判→内閣支持率の下落→総辞職というシナリオが崩れたという意味で、メディアは敗北したのだと、私は思います。いま、アベノミクス偽装といわれる雇用統計などの不正がメディアによって暴かれ、国会で追及されています。沖縄では、県民多数の反対を押し切って、辺野古基地の建設が進められています。しかし、テレビのワイドショーなどは、沖縄の県民投票を含め、こうした事件を大きな問題として取り上げていないようにみえます。メディアの役割のひとつは権力をチェックすることですが、モリカケでの権力側のしぶとさによって、メディア側にジャーナリズム精神を維持し続けることへの疲労感が出ているようい見えます。政権の行いを批判的に見ていた国民にとっては、何を言ってもむだというあきらめを強めることになったのではないかと思います。

 

戦前の流れが最終的に止まったのは1945年の敗戦です。戦前といまが似ているとすれば、行き着く先は中国や韓国との戦争なのでしょうか。現状をみると、その可能性を全否定することはできませんが、もっと可能性の高いのが首都圏を襲う大地震です。時期はわかりませんが、96年前の関東大震災(1923)以上の負のインパクトを日本の政治や経済に与える恐れがあると思います。

 

東日本大震災では、30兆円を超える公的資金が復興に投じられました。首都圏大地震では、規模と被害にもよりますが、復興費用は、東日本大震災の数十倍になるでしょう。飽和状態をとっくに過ぎている国債の市場価格が暴落すれば、金利の急上昇とともに、ハイパーインフレになる恐れもあります。衰退期に入っている日本の“没落”が一気に速まるかもしれません。

 

戦前といまが似ている、という話から、大震災による大破局の予言になってしまいましたが、いまの政治が悪い方向に向かっている、という「歴史探偵」の見方と警告には、十分な注意を払う必要があると思います。

 

ところで、現在が戦前と似ているのではないか、ということを私が強く意識するようになったのはある出来事があったからです。それは、昨秋だったと思いますが、榎本武揚のひ孫で武揚の研究家として知られる榎本隆充さんと銀座で飲んだときのことです。榎本さんとは、『近代日本の万能人・榎本武揚』(藤原書店)という研究書を一緒に編集した縁で、ときどきお会いしているのですが、私は酔った勢いもあり、このところ政治やメディアの状況は、戦後の自由と民主主義の流れを逆転させるものだと自説をぶったところ、榎本さんがひとこと言ったのです。「いまは戦後じゃないですよ。戦前ですよ」。

 

一瞬、私の駄弁を冷やかす冗談かなと思ったのですが、榎本さんの語り口が真剣だったことに驚きました。ことし84歳になる榎本さんは、終戦時は、学習院初等科で、日光に疎開していたそうです。学習院には、上級生として皇太子(現天皇)が在籍していたこともあり、ほかの子どもたちよりは、政治に敏感だったと想像します。そういう人から「戦後ではなく戦前」と言われて、私はぞくっとしたのです。

 

今も、まさかね、という思いが半分あります。しかし、戦前も、まさか、まさかと思っているうちに、「戦中」となり「戦後」となったのではないでしょうか。示唆に富むという以上に、現在に問い変える『B面昭和史』でした。


この記事のコメント

  1. 事前準備 より:

    私も戦前生まれで終戦時は今でいう小学生でしたが、当時は米軍機による空襲警報でいつも防空壕へ逃げ込んでいました。だから戦争が終わってからは何があっても絶対に昔の軍事国家になってはダメと思って過ごしてきましたが、最近は戦後70年過ぎて民主主義が衰え始め、この頃は昔に戻りつつあるのではと強く不安を感じています。

    戦前は、政府に抵抗するとすぐ警察に引っ張られるので、反対の声を上げることは殆ど不可能でした。今はそういう事はないので自分の意見を自由に話すことが政治を変える元になると思いますが、世の中そういうことの実践が乏しいですね

    だから、戦前に戻りつつあると戦中派は感じるのでは。

  2. 高成田 享 より:

    ご指摘の通り、政府が直接、法律で言論を弾圧することはなくなっているので、個人がさまざまなメディアを通して自由に発言し、それが政治の暴走の歯止めになっていると思います。とはいえ、テレビや新聞などのメディアをみると、政府への忖度なのか、自主規制が働いているように見えます。テレビで発言する識者も、ネットなどからの“炎上”を恐れて発言内容を抑制しているように思えます。

  3. 立ち寄り人 より:

    半藤さんの本を読む関係で、当サイトに立ち寄りました。対韓で揺れる今、『行き着く先は中韓との戦争か』のくだりにどきりとしました。韓国の不買運動も、1930年代初頭の中国の反日運動とオーバーラップします。昨今はネット上のコメントも、温度感が高いものに同調する傾向にあり、オイルショック生まれの自分から見ても、何やら不穏です。
    公平かつ客観性を保ちたいと思いますが、現在のメディアの有りよう、同時代にあることから、流されないかと自分でも不安になります。

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