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アイヒマン裁判を扱う英国映画

2016.04.29 Fri
社会

アイヒマン裁判を扱う英国映画

この程、原題「The Eichmann Show」と題する英国映画を見ました。邦題は「アイヒマン・ショー」・・・歴史を映した男たち・・・となっていて、私が行った東京有楽町の上映館は大入り満員、結構女性客が多いのに驚きました。

この作品は、元ナチ親衛隊隊員(最終 中佐)で、終戦時ドイツから逃亡したアドルフ・アイヒマンが十五年後南米のアルゼンチンで偽名で潜伏している所、身柄を拘束されて、イスラエル当局に1961年起訴され死刑宣告を受け、翌年処刑された事実をベースとしています。ただ、この作品はそれらを再現したドキュメンタリーそのものではありません。もとより、往時の白黒フィルムを編集・再活用しつつ、ひとつのドラマとした物語としています。

物語は2015年制作のカラー作品で、主人公は、マーティン・フリーマン演ずる英国人TVプロデューサーの「ミルトン・フルックマン」であり、相手役はアンソニー・ラパリア演ずる 米国人TVディレクターの「レオ・フルヴィッツ」です。フリーマンは、ホロコースト推進者のアイヒマンの裁判が行われると聞いて、それなら迫力在る映像や決定的な証言が得られるかもしれず、欧米を中心に訴える所があるはずで在り、アピールすると見込んだのでしょう。そのインパクトは大きく、実際37ヶ国でテレビ放映されたのです。従って、フリーマンはこのテレビ放送の企画を強力に推進したと思われます。

また、テレビの撮影に力量豊かなフルヴィッツを起用したのも、その狙いからと思われます。それに、そのフルヴィッツ自身、凡庸な人物と見られるアイヒマンが、なぜ鬼畜を凌ぐ大量殺人を推し進めたのか、当人に後悔・反省はないのか、何としても見極めたいと言う思いが強くあったのでしょう。斯くて彼は頻りと探り、様々な撮影を試みます。ドラマが始まったのです。

裁判はもとより公開でした。だが、撮影・テレビ放映まではイスラエルの司法当局の許可が必要でした。それは政府の意見や外交的配慮では決められなかったのです。同国の司法も三権分立で独立していました。その事の言及もありましたが、調整の末、結局目立たないように特別のカメラ装置の設置が認められ、撮影と放映が行われました。
ジャーナリスティックな捉え方と「Show」と言う言い方

斯くて、アイヒマンの犯行を裁く特別法廷は1961年に開廷されましたが、国際的なものではなく、イスラエル国家の事実上の首都テル・アビィブに設置された同国の国内法廷でした。その点、ニュールンベルクの国際軍事裁判(1945~1946)とは全く別のものです。

また、アイヒマン等のホロコーストに係る大規模で組織的な犯罪は、1945年5月のドイツの降伏によって終焉したと見られますが、イスラエルの建国は1948年5月ですから、同国の法制の成立適用は早くともそれ以降のはずです。そして、同国の制度では死刑はありませんので、アイヒマンがこの裁判で受けた絞首刑の判決は、何を根拠にしたものでしょう。国内法廷と言いながら、戦犯について死刑の先例のある国際法によったのでしょうか。これらの点については、この作品が語り、解説するところがありません。更に付言すれば、裁判は通常、控訴・上告などの再審の手続が取られますが、アイヒマンの裁判は関しては、そうした事は一切無かったと見られます。裁判中のアイヒマンの認否の言動からすれば、「当人は責任無く無罪である」事を貫き通していますから、本来なら上級審にも訴えたはずですが、それらしい様子は在りませんでした。何故か?

これらの事については、この映画が教えてくれることはついぞ在りませんでした。要は、この作品は、ジャーナリスティックなものなのでしょう。 この映画のタイトルが「The Eichmann Show」となっているのは、そのせいなのかもしれません。
驚くべき蛮行 親衛隊という党の組織による

今回見た映像で「特におぞましい」と思ったのは、強制収容所で夥しい裸の遺体の山をブルドーザーで運んでいる場面でした。それはアウシュビイッツを見学したことのある、私も初めて見る映像でした。アイヒマンは、こうした事を始めとして、多くの処刑等(それはユダヤ人の最終処分と呼ばれた。)に関わり、責任があった分けですが、それはナチス(国家社会主義ドイツ労働者党 党首アドルフ ヒトラー)と言う党組織の「親衛隊」(略称SS Schutzstaffel)によって行われた由です。つまり、それは国家という公では無く、党の下に在ったのです。ただ、1925年に出来た親衛隊は、1933年のナチスの政権獲得で強大化し、国家と実質的に一体化、1945年には125万の巨大組織に膨張、秘密警察も配下に置き、国防軍とは別の武装組織をも有していたと言います。斯くて、ニュールンベルクの国際裁判では、親衛隊を「犯罪組織そのもの」と認定していました。そしてアイヒマンは、そこで中佐まで昇進し、主に被収容者の輸送分野を担っていたのです。
言葉は?

本作品は英国映画でしたから、物語の使用言語は主として英語でした。しかし、良く聴いていると、防弾ガラスに囲まれたアイヒマンの応答は「ドイツ語」でした。微かに聞こえてくるのです。それを引き出す検察官の追及は、知らない言葉でしたが、恐らくイスラエルの公用言語であるヘブライ語であったと推測されます。これらは、この映画で
同時通訳されていました。

言葉と言えば、私ども夫婦は、十数年前、ヨーロッパを旅行し、当時留学でワルシャワに学んでいた娘を訪ねたことがあります。そのとき、ポーランドではかのアウシュビィッツに参りました。そして、間もなく同国の地図に、その地名が無い事に気が付いたのです。

「アウシュビィッツ」とはドイツ語風の地名なのでした。それは現ポーランドの地図には出て来ないのです。資料などは、余りに有名な「アウシュビィッツ」が使われていましたが、ポーランドの地名は同国語で呼ばれ、その名は「オシフィエンチム」と表示されていました。他方、この映画では 「オシフィエンチム」はついぞ出て来ませんでした。
検事の論告・追及

イスラエルの検事は、良く言われる約六百万人のユダヤ人の虐殺の責任を厳しく追及していましたが、これは当時の通説を採用している印象でした。この作品の側から、別の推計などもあると言うような提示はありませんでした。

同時に、第二次大戦の初期に、取り分け、ポーランドにドイツが西から、次いで東からソ連が攻め込んだ時に生じた大混乱時に、大量に起きたと言うユダヤ人などの悲劇などについては、この映画は扱うところが在りませんでした。最近、分かって来たところでは、これらの侵攻で、ポーランド国家が消滅、将に未曾有の混乱が発生、大規模な犠牲が生じたと言うのです。それは強制収容所でのホロコーストとは異なる事象ながら、今後の調査・研究が待たれるところです。
フルヴィッツの思い

ディレクターのフルヴィッツは、まるで無表情で、残酷な事をしたと強く非難されても、別世界の話のような態度をとり続けるアイヒマンに痛く失望します。彼が、この仕事を受けたのは、鉄面皮とは聞いていたものの、あのアイヒマンにも人間の血が流れているはずだと言う心情と信念でした。何としても其処を見たいと言う訳です。

これが果たして実視出来たのか、どうだったのか、そこは自身で、この作品を御覧になられ、確かめて頂ければと存じます。そこは、本当に視認・目撃に値するところと存じます。


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