米国第一主義は危うい結果を招く
実業家ドナルド・トランプ氏が米国の大統領に就きました。その第一声ともいえる就任演説は、人類の理想や世界の平和についてほとんど語らないという意味では、きわめて格調の低い演説でしたが、生活が苦しいと感じている多くの米国人にとっては、納得できる言葉が多かったと思います。
「あまりに長い間、この国の首都の小さな集団が政府からの恩恵にあずかる一方、国民はそのつけを背負わされてきました。ワシントンは栄えましたが、国民はその富を分配されませんでした。政治家は豊かになりましたが、職は失われ、工場も閉鎖されました。既得権層は己の身は守りましたが、我が国の市民は守りませんでした。彼らの勝利は、皆さんの勝利ではありませんでした。彼らの大成功は、皆さんの大成功ではありませんでした。そして彼らが首都で祝っているとき、私たちの大地で苦しんでいる人々が喜ぶことはほとんどありませんでした」(朝日新聞の訳を借用)
ワシントンを日本の国会議事堂のある永田町に置き換えれば、日本の国民の多くも、その通りだと叫びたくなると思います。郵政民営化につなげた官僚批判や「自民党をぶっつぶす」という言葉で国民の支持を集めた小泉首相を思い出しました。政府や議会を批判して政権を奪おうとするのは、多くの政治家が採る手法で珍しくはありませんが、自分が政権を取れば、少しは言葉を慎むものです。ところが、トランプさんの就任演説は、挑戦者だった選挙戦さなかの言葉と同じもので、その首尾一貫性が自分の足を撃つことにはなると思います。
その第1は、自由貿易からの後退です。米国の製造業が中南米や東南アジアに工場を移したのは1970年代で、冷戦の終わった1990年代以降のグローバリゼーションによって、その流れは中国や東欧諸国などに広がり、加速しました。その結果、米国内の工場労働者は雇用を奪われましたが、米国の企業は多国籍企業として繁栄し、グローバルな投資の広がりはウォール街と呼ばれる米国の金融業界に空前の利益をもたらしました。
米国全体の利益をどう配分するかは、米国の国内問題で、たとえば法人税や所得税を高くすることで富裕層から国民全体に所得再配分をするなどの政策が考えられます。トランプ大統領は、逆に減税を考えているようで、就任演説では、米国で製造された米国製品を買うという「バイアメリカン」と「米国人の雇用」を訴えていました。
中国製の50ドルのジーパンを買おうとした消費者に、愛国精神だけで米国製の100ドルのを買わそうとするのは難しいでしょう。中国製に関税をかけて90ドルにすれば、バイアメリカン政策は成功するかもしれません。しかし、相手国からは報復関税をかけられて、米国製品の輸出は難しくなりますし、米国の輸入物価は上がり、インフレを招くことになります。
バイアメリカン政策は、短期的には効果があるかもしれませんが、長期的には米国のパイの大きさを小さくさせることになるでしょう。自由貿易による大きなパイを上手に配分することができないからといって、保護貿易でパイを小さくしてしまえば、パイの大きさは小さくなります。
第2の心配は、安全保障です。自由貿易による先進国からの工場進出で潤ったのは途上国で、世界全体の経済成長は1990年代以降、着実に伸びてきました。工場立地など海外から投資を引きつけるには、政情の安定がもっとも大事な条件ですから、途上国の国民にとっては、政治を安定させれば、海外から投資がやって来て、国は豊かになるという成長の方程式ができました。
その反面で、途上国では多国籍企業の工場進出で、公害により環境が汚染されたり、児童が不当に働かされたり、農業を含む地元の産業が駆逐されたりしました。世界銀行の総会など国際会議が開かれると、反グローバリゼーションのデモが起きるのが当たり前になったのは1990年代になってからのことでした。
グローバリゼーションによるデメリットがあったのは確かですが、先進国が保護主義に走れば、途上国の経済が悪化するのも確実で、世界の利益を独り占めにしようとする米国に対する反発が強くなるでしょう。テロの温床の熱を上昇させると思います。
「自国の軍隊の悲しむべき疲弊を許しておきながら、他国の軍を援助してきました。私たち自身の国境を守ろうとせずに他国の国境を防衛してきました。そして、米国のインフラが荒廃し、劣化する一方で、何兆ドルも海外につぎ込んできました。私たちの国の富、強さ、自信が地平線のかなたに消えていったさなかに、私たちは他国を裕福にしてきたのです」(同上)
トランプさんは、就任演説でこのように言いました。他国の軍隊を援助してきた、というのは、米国が日本や韓国、さらには欧州に基地を設けたり、軍隊を派遣したりしていることが、相手国の軍事的負担を肩代わりし、相手国の軍隊を援助している、という理屈なのでしょう。日本からすれば、思いやり予算で米軍の駐留経費の大部分を日本側が負担しているし、独立国としては考えられない他国の軍隊(米軍)に基地を提供することで、米国に対するロシアや中国の脅威を抑える役割を果たしているということになります。
この持ちつ持たれつの関係を変えようとすると、東アジアでも欧州でも、米国の軍事力がなくなったり、ちいさくなったりした隙(すき)間に、ロシアや中国が入り込もうとする動きが誘発されることになると思います。日本周辺では、中国が隙間の有無を確認するために尖閣諸島周辺での挑発行動を活発化させることになるでしょう。こうした軍事的な緊張の高まりは、米国にとっても利益になるとは思えません。
「私たちは口先だけで、何も行動しない政治家はもう受け入れないでしょう。絶えず文句を言い、そのことにも対処しない人たちです。中身のない話をする時間はおしまいです。行動する時がやってきました」(同上)
TPPからの離脱など、トランプさんは初日から行動する大統領を実践するようです。しかし、災禍をもたらすような政策をいくら実行しても、国民の生活が豊かになるはずはありません。
ところで、トランプさんとロシアとの”深い付き合い”を示した「秘密文書」は、真偽が定かではないとして、いまのところ大手メディアはほとんど取り上げていません。しかし、トランプさんに「偽ニュース」などと批判されたメディアは、ロシア疑惑に的を絞って「調査報道」に乗り出すと思われます。少しでも疑惑が立証されるようなことになれば、米国の弾劾制度の規定では、下院の過半数で弾劾の訴追ができることになっていますから、韓国の大統領と同じように弾劾される可能性は十分にあります。
トランプ政権は、出発したその日から経済的にも政治的にも危うさを抱えているように見えます。米国民がそのことに気づくのも、そう遠い話ではないように思います。
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