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映画「関ヶ原」        

2017.08.30 Wed
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邦画の大作「関ヶ原」を鑑賞しました。原田眞人脚本・監督の東宝映画です。
もとより、フィクションではなく史実で、原作があり、有名な作家「司馬遼太郎」の歴史小説です。
それは大部の文庫本で、上中下三巻千五百頁を越す力作です。
もっとも、この事が、映画化を妨げてきたと申します。
それは大作の多い司馬作品に多い傾向と申します。

1) 大部な物語が、劇映画に成る事を困難にしてきた

私は、関ヶ原の映画がこの夏に市中上映されることを知り、楽しみにしますともに、そう言えば、「こんな有名な歴史的事件が何故映画になって来なかったのだろう」と言う率直な疑問を持ちました。
この分けは間もなく解けました。
原作が余りに大部で、その映画物語化に無理があったと言う事のようです。

しかし、原田眞人少年は、四十年近くたって、それを成し遂げました。
いつの日か、この「関ヶ原」を映画作品にしようとの想いを抱き続け、この程遂に実現させたのです。そこにプロを見る思いが致します。

自ら脚本を起こし、監督しています。
2)  この天下分け目の戦いが、そもそも何故起きたか。

天下を狙う「徳川家康」のような大物を思い浮かべれば、私ども素人でも、その武将が東軍の総大将となったことを「さもありなん」と思いますが、西軍の実質的な取りまとめと仕切りに任じたのが「石田三成」であったというのは分かりにくいところです。

これについて、この作品は、遣り取りが込み入っていて理解に難渋するものの、一つの答えを出しているように思います。 先ずは、司馬の原作が其処に大きく貢献しています。
それは「大一大万大吉」と言う三成のスローガンに顕れていて、三成の陣中の至る所に掲出されていました。
その意は「各一人が皆のために働き、皆に其の効が及んで、皆が幸せになる」と言うものの様です。三成は之を大まじめに主張し掲げます。 有能だが律儀な性格の人のようでした。それは、新しい天下が老獪で権謀術数の権化のような家康などの牛耳るところとなってはいかんと云う使命感の発露のような感がありました。
現に家康の動きは滑らか、手が次々と打たれていったのです。

斯くて、三成の使命感の所産からか、其の実現には中心に正義が欠かせず、それは秀吉亡き後の豊臣政権を担い、自らがその中にあって支えるというものとなって行きました。しかし、三成が如何に知恵に長け、行動力があったとしても、五奉行の一人に過ぎない立場では無理がありました。そこで、三成は五大老の一毛利輝元の重臣「安国寺恵瓊」に巧みに接近、輝元を西軍の総大将に担ぎ上げます。

三成と家康、二人の性格と経験の違いが良く対比されていて、「主役岡田准一」と「準主役役所広司」が其処のところを見事に演じきっており、各々の味が良く出ていました。
なお若さのみなぎる三成と、早や老境に入った家康二人の間には、二十歳ほどの年齢差が在ったのです。
3)  決戦  慶長五年(1600)九月十五日 関ヶ原の戦い

而して、諸外交、密使・暗躍・間諜、諸工作などと、諸々の思惑、諸行のぶつかり合った結果、決戦当日を迎えます。
西軍八万、東軍十万の大軍が狭い関ヶ原の盆地に対峙したのです。
睨み合う総兵力だけを見れば、戦国の世の契機となった京の「応仁の乱」の動員規模に匹敵します。
だが、応仁の乱はその後十年余も続き、都が焼け野原となり、天下が麻の如く乱れる戦国の世の嚆矢となりました。
これに対し、関ヶ原の戦いは午前八時頃、両軍の鉄砲の撃ち合いで始まり、約六時間後に大勢が決して東軍勝利で結着を見、戦国時代を終焉させています。

余りに好対照ですね。

戦闘場面は鉄砲戦、騎馬戦、槍戦,白刃・肉弾戦等が入り乱れ、実に大規模で鬼気迫るものがありました。
その中で東軍が大砲を使用していたのが注目されます。他方、西軍で女の救護参加のシーンがあり、珍しいなと思いました。

勝敗は当初鶴翼の陣を築いた西軍やや優位で経過するも、大半が形勢観望で推移し、途中から有名な裏切りが起きて、雌雄が決するに至ります。
西軍主力の毛利勢はとうとう動かず、島津勢は西軍敗北を見極めてから、敵中突破の退却を敢行、大きな犠牲を払いながらも退避に成功します。 合理的に見ると、ともに良く分からない行動ですが、何となく、後年の幕末がちらりと見えてくる感じ
すらしますね。

ところで、諸交渉を基礎に、形勢観望と裏切りで大勢が決した関ヶ原ですが、その一つの焦点となった裏切りの場面の描き方は、複雑極まりなく混乱の極みを成していました。

4)  北政所の役回り

所謂「淀」が登場するのは僅か、三成活躍の頃は、まだその役割はどうやら少なかったようです。

これに対し、秀吉正室の「ねね・・北政所」の位置づけは大きかった感じがします。この作品では、秀吉亡き後、幼少の秀頼の成人を待っていては、事態の収斂と安定は望むべくもなく、大方の見るところ、結局人物といい識見と
いい、家康こそ余人を持って代え難いとみた北政所は、其の方向で動いたようです。
最近それを裏付けるような、関ヶ原合戦直前の密書(黒田長政と浅野長政から、小早川秀秋にあてたもの)が見つかっている由、矢張りの感があります。

百五十年に及ぶ戦国の世は、平和と安寧を望む人心の膿を生み出しており、其処のところを北政所は良く読んでいたように思われます。

ただ、北政所を演じた女は「三河弁丸出しの田舎人」で、同地出身の秀吉と結ばれた縁からして、「こういう捉え方」も在るかと思いました。
原田監督の目の付け所は違う感じがしましたね。

5)   三成に側室がいなかったことから、「初芽」という女忍者が付き従い、ほのかな恋心が芽生えるという設定

この初芽は司馬の原作から出てきますが、原田眞人脚本・監督の映画では、物語の初期から登場します。
それは三条河原での豊臣秀次一族の処刑のシーンででした。演ずるは、NHKの連続テレビ小説の「有村架純」です。うぶながら好演でした。

初芽はそしてやがて総大将三成と云う人物の中で、大きなウエィトを占めます。
こうした要素を織り込むのは、物語や劇映画の然らしむるところでしょうか。

ともあれ、見るのに力の要る作品でした。


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