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国際映画「海難1890」を鑑賞して

2015.12.14 Mon
政治

年の瀬の慌ただしい思いをする折りですが、時間を見つけ、久々に映画を鑑賞して参りました。 その題名は「海難1890」と言い、日本とトルコの合作です。ドキュメンタリーではなく、物語ですが、扱っている題材は二つ有り、何れも実際に在った事です。一つは1890年(明治23年)に起きた、往時のトルコ海軍の艦船「エルトゥールル号」の遭難事故であり、もう一つは、1985年(昭和60年)に起きた、イラン・イラク戦争最中の邦人救出劇です。
二つの事変の間に在る不思議な糸

この二つの事変の間には、時代も場所も全く異なり、直接の繋がりはありませんが、ともに日本とトルコと言う二つの国が関わっていて、今から125年前の和歌山県串本での遭難・トルコ将兵救出と、30年前のイランのテヘラン空港での日本人救出との間には、人々の真心と、ともに助け合った実体験と言う点で、不思議な糸で結ばれている事が分かります。

だからこそ、これら二つの事変が前半と後半として繋がれた、一つの映画にまとめられることになり、そのための脚本が書かれたのです。この映画を実際鑑賞しますと、この糸の事がストレートに描かれていないもの、見えないままに、そこはかとなく感じられます。

現に、紹介されているところによれば、「串本町の田嶋勝正現町長」と「この映画を企画監督した田中光敏監督」とは大学の同級生の由、その縁で同町長から十年程前に届いた手紙が、この企画・映画製作の端緒になったと言いますから、世の中、将に御縁と言うべきでしょう。

更に、この田中監督による心憎いキャスティングですが、トルコ海軍の機関大尉であるムスタファと在イラントルコ大使館の職員ムラトは、ともに「ケナン・エジェ」と言うトルコ人俳優によって演じられていて、串本の娘ハルとテヘラン日本人学校の教師春海には、これもともに「勿那汐里(かつな しおり)」と言う日本人女優が扮しているのです。そして、テヘラン空港では二人の間に、何と「何処かでお会いしましたね?」「私もそう思います。」という意味深長な英語の遣り取りが交わされるのです。実に粋な演出と思いました。

ところで、このムラトは、トルコ航空機で救出されるよう激しく要求するトルコ人の乗客に対し、「今度は私たちが助ける番だ。」と言う趣旨の臨機応変のスピーチをします。イラクの攻撃で危機が迫り、イラン脱出のすべを無くした日本人二百名余をまず空路で救出しようと言う訳です。そして、近くのトルコに向けては陸路を用意するとの提案でした。こうした諸々の取組みや措置が効を奏して、遂に道が開けるのです。

かてて加えて印象的なのは、日本側の緊急の要請を受けた、オザル・トルコ首相の同国機増派の決断の場面や、ムラトの空港スピーチを始めとして、トルコ側の言動で「エルトゥールル号遭難」について、直に触れるところが無かったことです。それでも、ムラトの話を聴くうち次第に変わってくるトルコ人達の表情を見ていると、「その人々は、あの遭難でトルコの将兵が、日本の漁村で助けられた事を教科書で教わっていた。」と言われることが本当だと言う事が良く分かって来ます。そう、トルコの人々はちゃんと知っていたのです。

なお、念のため記しますと、映画は日本語とトルコ語の場面が交互に出てくる構成で進行しました。ただ、言葉が通じない中、どうしても共通語による遣り取りが必要なところでは、英語が使われていました。明治中葉の頃も現代も、それは変わらない現実のようです。
音楽二題

これらの諸点を始めとして、この映画は迫力在る素晴らしい作品ですので、御興味の在る方は是非と存じます。ただ、終わりに、使われている音楽について、少しふれておこうと思います。

一つは民謡「串本節」です。これは串本の対岸の「紀伊大島」にあった遊郭での宴会の場面に登場するのですが、子供の頃に覚えた懐かしい曲が流れていました。ちなみに一番の歌詞を記しますと、

「ここは串本 向いは大島 仲を取り持つ 巡航船 アラヨイショ ヨーイショ ヨイショ ヨーイショ ヨイショ」

と言うものです。

もう一つは、エルトゥールル号乗艦の楽隊員ナージがトランペットで吹奏する「故郷の空」です。果たして、オスマン帝国時代のトルコで、元はスコットランド民謡の「Comin' thro the Rye」が演奏されていたのか、私には確認できませんが、そこは映画自体の考証に任せるしかないでしょう。

胸に打たれる場面は、串本で村民の決死の救護を受けて助かったトルコ海軍の将兵が、とても世話になった、その地を去るとき、トランペットの吹奏を背景に、村の人々がこの「故郷の空」を斉唱するシーンです。恐らく明治の教育は「小学唱歌」でこの曲を教え、子供達が覚え、親もその子達から聴いて一緒に歌うようになっていたのでしょう。

映画での歌詞は日本語でした。

「夕空はれて 秋かぜ吹き 月かげ落ちて 鈴虫なく
おもえば遠し 故郷のそら 嗚呼わが父母 いかにおわす」

それはそれは、実に感動的な場面でした。


この記事のコメント

  1. 鈴木一舟 より:

    トルコでは日ロ戦争でアジア人が宿敵ロシアを破ったことを喜び、ある時期「トウゴー」という男児の名が多く付けられたと聞く。不可侵条約の一方的破棄、四島不法占拠、シベリア抑留等々ロシアのやりようを思うと、軍用機の撃墜もヤッタ!と思わないでもない。

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