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絶望の淵に届く声はないのか

2019.05.31 Fri
社会

川崎市で登校中の多数の児童らが襲われた事件は、亡くなったりけがを負ったりした児童や保護者の無念を思うと涙を禁じることができません。

事件を起こした岩崎隆一容疑者は、なぜ子どもたちに刃を向けたのか、本人の口から動機を聞くことは、本人が自死したため、もはやできません。しかし、事件に至る過程を関係者の証言などからつなぎ合わせ、検討していくことは、同じような事件を防ぐ意味で役立つことだと思います。

両親が離婚して、幼い時期に親類の家に預けられたという境遇は、保護者になった伯父・伯母からすれば、自分たちの子どもと分け隔てなく接してきたという思いがあるでしょうが、容疑者からすれば、自分が愛される存在ではないという思い込みにつながったことは想像されます。

また、いわゆるひきこもり状態になったのがいつからなのかわかりませんが、長期にわたって、仕事に就いていなかったようですから、行政や支援団体などの支援を受けることはできなかったのか、という疑問が生まれます。川崎市のひきこもりの窓口は、市の精神福祉センターで、川崎市のホームページには、「社会的ひきこもり(あきらかな精神障害によるものではない、ひきこもり)でお悩みの、市内在住の18歳以上のご本人やその家族の方からの相談を受けております」と記載されています。

同センターは、親族から8回の面談を含む14回の相談を受けていました。しかし、手紙を書くといった助言はしたものの、本人と面談するという対応はしませんでした。親族の相談がコミュニケーションが取れない、という内容だったためかもしれませんが、親族が高齢なことや本人の生活状況をみれば、生活の自立に向けた支援策や生活保護の受給などについての助言や支援などの対応があってもよかった、と思います。

どこの自治体でも同じでしょうが、ケアしなければならない人が多く、職員が忙しくて十分な対応ができないという事情があると思います。しかし、それだけでなく、ここで相談に踏み込めば生活保護の支給を考えなければならない、というためらいもあったのではないかと想像します。自治体にとって生活保護者の増加は、財政の圧迫要因ですし、「働けないではなく、働かない人へ生活保護は過保護」といった世の中の批判も高まっています。

ひきこもりの相談窓口は市役所だけではありません。最近では、いろいろな民間の非営利団体などがかかわるようになっています。岩崎容疑者が殺意を凝縮させる前に、市役所の窓口は、そうした団体を紹介することはできなかったのでしょうか。結果論と言われるかもしれませんが、いろいろな支援のネットワークがあるなかで、あなたを助けたい、という人たちの声が容疑者に届かなかったのは残念です。

あなたを助けたいし、あなたを必要としている、という声をもっと大きくすることは、とえも大事なことだと思います。ひきこもり支援のネットワークを広げたり、必要に応じて生活保護などの社会政策を実行したりすることは、社会のセーフティーネットになると思います。そのためには、税金の投入が必要かもしれませんが、それでも国民の安全と安心のためのコストは惜しむべきではありません。防衛力を強化することだけが国民の安全を守ることではありません。

 

旧優生保護法のもとで強制的な不妊手術を強いられたとして、仙台地裁に損害賠償の訴えを起こしていた人々の願いを壊すような判決が出ました。仙台地裁は、強制的な不妊手術を導く規定のあった旧優生保護法を憲法違反と認定したものの、損害賠償を請求する権利期間が消滅する「除斥」期間になっているとして、損害請求を退ける判決を下したのです。

不妊手術を強制した法律は間違いだったし、賠償請求が可能な期間に訴えることも現実的には困難だった。しかし、国会は法的措置をとらなかったわけだし、それが間違いだったともいえない。不妊手術によって、言葉に尽くせない苦しみを受けた人々に対して、こんな論理で納得しなさい、と言われても、到底、承服できないでしょう。この判決は、人間の叫びよりも法律の解釈を優先するものだと言うしかありません。

仙台地裁の判決が出るひと月前に、国会は不妊手術を強制された人々を「救済」する法律を全会一致で成立させました。手術を受けたと認定されたのち支払われる一時金は320万円で、肉体を傷つけた賠償としては少ないし、仙台地裁だけでなく各地で裁判を起こした人たちが請求している金額よりもかなり低い額でした。賠償請求を退けた仙台地裁の判決を見越したような「救済法」ですが、この法律では、明確にしていなかった違法性が今回の判決では明記されたことも国会は考えるべきです。立法府は、もう一度、この問題に取り組み、必要な立法措置をとるべきだと思います。

 

世の中は理不尽なことが多く、苦しんでいる人々の声は、なかなか聞き入れられません。しかし、絶望する前に、耳をすませば、どこかであなたを呼んでいる声が聞こえてくると思います。ひきこもりの人たちを孤立させない運動や活動は、まだまだ弱いのかもしれませんが、全国で広がっています。不妊手術の強制という問題も、仙台の原告らの訴えがなければ、私を含めて知らなかったという人が多いと思います。不十分とはいえ、国会が議員立法で救済法を成立させたのも、原告らの切なる訴えが国会を動かしたからでしょう。原告は控訴するようですが、支援の声はこれまでよりも、もっと大きなものになるでしょう。

 

「バグダッド・カフェ」という映画(1987年の西独映画、2008年に新編集版が公開)の主題歌でヒットした「calling You」という歌があります。「I am calling you/Can’t you hear me?/I am calling you」(あなたを呼んでいるの、聞こえるでしょう、あなたを呼んでいるの)という英語のフレーズが何度も流れて、とても印象に残る曲です。Callingは、辞書を引けば、「呼ぶこと」と書かれていますが、そのあとに、「神のお召し」とか「天職」とか出てきます。神が与えた使命だから天職だというのでしょう。ただのjob(仕事)ではないというのでしょう。バグダッド・カフェのcallingが神の声かどうかわかりませんが、ただ、あなたを呼ぶだけではなく、あなたを必要としている、という呼びかけのようにも思えます。孤立していても、絶望の淵にいても、どこからかあなたを呼ぶ声がする、あなたを必要としている、という声が聞こえてくる。そう思うことにしましょう。


この記事のコメント

  1. 考え人 より:

     突然子供たちを襲うのは、アメリカでも時々起きてるから、日本特有のものでなく人間の本性によると言えそうですね。
     原因は、犯人が何んらかの被害妄想に落ち込み切羽詰まって自力のコントロールができなくなって、自らを追い込むのでしょう。 
     でも最後は自殺を決断というのは、暴挙を内省する冷静さがあるようにも思えます。
     これが救いかな。

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