大手メディアが伝えない情報の意味を読み解く
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文化

リビングルームに家族が集まってテレビを鑑賞した時代

2016.01.21 Thu
本の中の世界

◇カラー番組を家族揃って
いまから約50年前の1967年3月、私は大学受験のため、特急ひばり号に乗って初めて仙台に行きました。2日間の試験が終わったあと、どういういきさつからだったのか思い出せないのですが、現地で知り合った東北大生に誘われて、その人が部屋を借りている下宿に泊めてもらったのです。仙台市南小泉の見ず知らずの家庭で、とても暖かく迎えてくれました。
その晩、カラーのテレビ番組をみんなで見るからと誘われ、5,6人の家族全員といっしょにリビングに集まりました。そういえば、当時はまだカラーの番組は限られていて、新聞のテレビ番組欄(ラテ欄と言いました)には、番組がカラーか白黒かの判別ができるようになっていました。見たのは「兼高かおるの世界の旅」だったように記憶しています。映画館のようにわざわざ部屋を暗くしてということもあって、「見る」というよりはむしろ「鑑賞」という言葉がぴったりでした。
いま調べると「兼高かおるの世界の旅」は、確かに当時放送されていたのですが、東京では日曜の朝にやっていたようです。仙台ではネットの関係で 別の日ないし時間だったのか、それとも別の旅番組と私が勘違いしているのか・・・。

◇世帯メディアから個人メディアへ
あれから半世紀。テレビの位置づけは大きく変わりました。メディアの多くが、単純に言うと「世帯メディア」から「個人メディア」へと位置づけが変わり、かつ多チャンネル化してきています。いまやスマホなどモバイル端末で、個人個人が好きなときにテレビを見ることが可能になっています。もちろん、家族団らんの場でテレビを見るというようなことは残っているのですが、みんなそろって集中して鑑賞するというようなシーンは大幅に減りました。

◇デモ効果を発揮した紙メディア
テレビと並ぶ三大マスメディアだった紙の新聞や雑誌は共に低落の道を歩んでいます。それでも新聞はいまでも代表的な世帯メディアですが、若い層を中心に新聞をとらない世帯がどんどん増えています。日本における新聞の総発行部数(一般紙、スポーツ紙含む)は2000年に約5370万部だったのが、2015年には約4420万部と、この15年間にほぼ1000万部減ってしまいました(日本新聞協会)。これは読売新聞がまるまる消えてしまったようなものです。

新聞は毎日自宅に届き、茶の間など家族全員の目に止まる場所におかれる世帯メディアとして、長年存在感を保ってきました。しかし、これがネット上に移行して、メディアとしてはなんとか生き延びパソコンやスマホで読めるようになったとしても、世帯メディアの位置からは降りることになります。これまでは、居間でお父さんやお母さんが新聞を読んでいれば、横から子供がのぞきこんで記事に関心を示すというようなシーンがありました。これからは、世帯メディアのデモンストレーション効果と呼べる作用が消えていくことになります。

一方、雑誌や書籍はもともと基本的には個人メディアですが、紙という特性から、本棚やマガジンラックに置かれていればデモ効果を発揮したものです。私が高校生の頃読んだ湯川秀樹著『本の中の世界』(岩波新書、初版1963年)の中には、家じゅうが本だらけだったという記述があって、私は、自分の境遇と比べて、心からうらやましいと思ったものです。古びた岩波新書を今開いてみると、そのくだりは前書きの冒頭の文章なのでした。「家じゅうがさまざまな種類の書物で一杯になっており、しかもその大部分が大人向きの書物というやや異常な環境の中にあった私にとっては、読書は趣味的であるよりも、むしろ条件反射的行為に近かった」とあります。確かに、個人メディアの雑誌や書籍でも、それらが紙でつくられている限りデモ効果を持つことを教えてくれます。

◇新しいメディアのデモ効果とは?
もし雑誌や本がみんな電子書籍になってしまうと、すべてスマホなどの画面で見ることになり、デモ効果はなくなってしまい、本を貸し借りすることもたいていは難しくなります。とはいえ過去を単に懐かしんでいてもしかたありません。ネット時代のテレビや新聞、雑誌相当のメディアが、単なる個人メディアにとどまらず、家族など周囲にもデモ効果を発揮して、それにより触発されたり、関心を喚起されて、お互いの会話に発展するというような役割。そのような役割を設計していけるかというテーマが存在するように思います。

ところで、私が50年前に仙台で世話になったお宅は、年配の夫婦と学校の先生をしている子供など5,6人の家族でした。学生には朝夕の食事を提供するだけでなく、なんと、自分の子供に持たせるのと同じ弁当まで作って持たせていました。ちゃんと保温ジャーに入れてくれるのです。仙台では学生が大事にされているという印象を当時持ちましたが、さすがにそこまでの例は以後見聞きしませんでした。

実はその年、私は受験に失敗して、翌年入学したものの、一宿一飯の恩義があるこのお宅には、なんとなく足が向かないまま過ごして今日になってしまいました。そのことがずっと心残りになっています。


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