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リタイア高齢者はこれから20~30年間何をしていくのか

2015.06.18 Thu

◇サラリーマンは自分で決めてはいけない?!
今でも思い出します。もう25年以上も前ですが、15年勤めた会社(野村総研)をやめさせてほしいと表明したときに、熱心に慰留してくれた上司が言った言 葉です。「サラリーマンは自分で決めてはいけない。会社の言うとおりの場所でいっしょうけんめいやっていれば、それがいちばん幸せになる道なんだから。」

今、 私と同様の団塊の世代の人たち(主として男性)が65歳を過ぎて、どんどんリタイアしつつあります。ふと気づいたのは、これらの人々の過半は「自分で決め たことがない」のではないかということです。高齢期とはいっても大半元気な彼らは、これからの20年、30年をどうやって過ごすのでしょうか。ずっ と生き生きと暮らしていけるのか。超高齢社会の日本の近未来イメージは、かれらの過ごし方によっておおいに変わってくるような気がします。

◇肩車の上の人々が生き生きと暮らせば
現役時代にさまざまな能力を培ってきて、今まだ元気な彼らを社会として活用しないのはもったいないと思うのです。しかし、「自分で決めたことがない」人生を送ってきた人々に向かって、いきなり「シニア起業」をせよとけしかけるのは危険な気がします。

逆 に、個人の生き方だから余計なお世話だということで放っておくと、社会としては、“肩車”の重みが増すばかりとなりそうです。肩車とは、日本のこれからの 高齢化を形容する用語であり、現役世代が両肩にずっしりと重い、大量の高齢者を支えるというイメージを表したものです。肩車の上の人々の多くが生きがいを 失えば、閉じこもりによる生活不活発病や認知症を発する人が目立つようになり、早くから介護を必要とする人も増えていく恐れがあります。

以上により、増大する高齢者のひとりひとりが、たとえ小さくてもよいから、社会の中の「舞台」で何らかの「役」を担っていけるよう、適切な環境を用意したり、ほどよい働きかけをしたりすることが、これからの日本社会にとって重要なテーマなのではないでしょうか。

◇社会とつながるということ
Facebookでそんなことを書いたところ、ある方がコメント欄に『老人には仕事を、子供には自然と夢を!!!』というアピールをしてくださいました。

た いへん共感します。ただし、「仕事」はかなり広くとらえていいのではないかと考えています。「杉並ポール歩きの会」を主宰している私の身近には、ノルディックウォーキングないしポールウォー キングの指導者資格を取って普及に努めている人たちがいますが、彼らを見ると、資格取得費用や学習のための投資金額の方が、ひょっとすると体験会などの講師ギャラよりも多いのではないかと思えてきます。もちろん、せめて収支はプラスになるのが望ましいと思いますが、彼らの喜びはお金が第一ではなく、指導を受けた人々の喜びの顔と感謝の言葉だというの ははっきりしています。

そこで思い出すのは、ネットビジネスで活躍する粟飯原理咲さんから聞いた話です。「レシピブログ」という有名サイトを運営 している粟飯原さんが指摘しているのは、料理という、家族のための個人的な営みが、ブログに写真とメッセージをアップすることによって、人に見られる立場 に変わり、社会とつながるようになるということです。インターネットの登場が、個人的行為を社会化することを促進しています。

◇社会という舞台の上での表現機会を
会社生活をリタイアする男性たちのかなりは、もしかするとその逆のコースを歩む恐れがありそうです。極端な話としては、大企業でクルマ・秘書付きで、パソ コンなどは自分で扱って来なかった人が、“ただの人”になったとたん、家庭に引きこもって、パソコンも使えない(デジタルデバイド)という悲劇に見舞われ ているという身近な例があります。

リタイア男性に提供したいのは、「雇用機会」もけっこうですが、それをも含めた「表現機会」です。粟飯原 さんのレシピブログの話を聞いてそう思います。家族のために料理を作っていた主婦は、社会の「舞台」で「表現」する「役者」となったのではないでしょう か。その役者のひとりひとりに「観客」がいて、拍手をしてくれるというのが社会に生きるということなのだと思います。中には、たくさんの「ファン」がつい ている人も出てきているということです。

ノルディックウォーキング・ポールウォーキングの指導者も同様の表現者の喜びを得ているのでしょう。これらは、あたかも「演劇」という、舞台の上で、役者と観客が同じ場と時間を共有する世界と同じ構図を成しています。

こうして、高齢者に演劇を!・・・じゃなかった、高齢者に、社会の中での表現機会を!というのが私の言いたいことです。

◇元上司のその後
ついでながら、「サラリーマンは自分で決めてはいけないよ」という言葉とともに最大級の慰留をしてくれた上司について補足です。

当時のその言葉には同意できなかったのですが、この人を含む二人の上司の、本当に心のこもった慰留には実に参りました。こちらもイヤでやめたいのではなく、ぴあ総研という新しいシンクタンクの創設メンバーに加われるというチャンスに魅力を感じたからです。

そ れらの上司とは違って、親会社から来ていた人事部門のトップによる慰留は、ありきたりの手法だったので、かえって対応は楽でした。「オマエ、帰ったら子供 の寝顔を見て見ろ」という調子なのですから。「奥さんにはちゃんと言ってるのか?」と、当然反対だろうとの予想を込めての問いかけには「ハイ、賛成してく れています。」という答えに唖然としていました。

「サラリーマンは自分で決めてはいけない」いう言葉自体には反発したのですが、この言葉に ある種の真理があるのも事実だと思います。もちろん、決めていけないわけはないのですが、自分自身よりも自分の価値を客観的に見ているかもしれない会社や 社会の期待に従ってみるというのも、おおいに自分を成長させる道であろうという意味においてです。

なお、最近知ったのですが、「サラリーマ ンは自分で決めてはいけない」と語った当時の上司は、その後、会社が大きな路線変更をしようとしたときに、それに異を唱える主張をしたそうです。そのあと のその人のポジションは世間的にはじゅうぶん名誉あるものでしたが、実は主流からはずされたものだったのです。その話を聞いたときは、少々の意外感ととも に感動を覚えました。

いずれにせよ、当時慰留してくれた先輩たちには、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。


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