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セザンヌとゾラを描いたフランスの物語映画

2017.09.05 Tue
文化

平成29年(2017)9月
仲津 真治

目下、全国ただ一カ所で上映されているというフランス映画を見てきました。
タイトルは邦題で「セザンヌの過ごした時間」で、原題はフランス語、直訳する
と「セザンヌと私」でした。以下、印象に残ったところを中心に幾つか記します。

(1)  セザンヌの名

映画の中で、セザンヌの作品を展示場に運び込むところがあり、そこで
「セザンヌ nne」 と最後の音が強く発音されるシーンがありました。運送人が
「セザム・・・」と間違えて言いかけたからですが、事ほどさように、セザンヌ
の名は十九世紀末の往時では、ほとんど知られていなかったようです。それは、
その無名振りを象徴するような場面でした。 今日では「近代絵画の父」と言わ
れて、不動の地位を築いているというのに。

その名声は、1906年の死後( 享年66歳 )に大いに高まったものの様で、それには、
ピカソ、ブラック、マチス等の評価・絶賛によるところが大きいと聞きます。門
外漢ながら、この映画を見て、そうしたことを学びました。

(2)  ゾラとの縁 「エクス・アン・プロヴァンス」の地など

一方、セザンヌにとって、子供の頃からの親友がゾラでした。まず、セザンヌが
1839年生まれ、南仏のエクス・アン・プロヴァンスが生地でした。翌年ゾラが
パリで出生、偶然にも幼少期にエクスへ転居して来ます。 やがて、二人は同じ
ブルボン中学校で出逢い、仲良しとなります。悪ガキの遊びや水浴びのシーンな
どが出てきました。

セザンヌの父は、成功して一代で裕福な銀行家となった人ですが、ゾラは父が
イタリア人の技術屋、母がフランス人という家庭で貧しかったのです。 何処で
もこういうことはあるのかと思ったのは、「やーい、イタ公」と周りがゾラを虐
める場面があったことです。こうしたとき、セザンヌが助けることがありました。
すると、恩義に感じたゾラが、翌日、篭一杯のりんごを持って訪れたのです。

これが生涯、セザンヌがりんごを描く事の始まりになったと申します。 才能が
あったとしても、あの有名画家の原点が、そういう所に在ったかと思うと、人生
の妙を感じせますね。

二人が遊び、喧嘩もし、色んな人が絡んで、いろんな事が起きた、「エクス・ア
ン・プロヴァンス」は、フランスの地中海寄りの南東部に位置し、十七世紀から
十八世紀にかけての町並みが残る風光明媚の地です。ユネスコの世界遺産に
指定されています。 近郊に秀麗な「サント・ビクトワール山」が遠望されまし
た。 ゾラの別荘やセザンヌのアトリエも此処で営なまれるのです。 彼らが
愛憎に満ちて縁を持った場所です。

(3)  南仏の自然 其処には蝉や虫がいた

この映画を見ていて、珍しいと思ったのは、蝉が鳴いていることでした。 同じ
ヨーロッパでも地中海沿岸の、この付近まで下ると蝉が居るのです。 聴いて
いますと複数種居るようでした。 聞けば北緯四十五度辺りが昆虫の北限とか、
ちょうど、同地はその辺りに近いところですね。 フランス人は蝉の鳴き声を
気にしないのか、この映画にも録音され、残っていました。 しばしば雑音と
取られ、消去されることがあると聞きます。 その点、本映画は貴重な体験と
なりました。

もう一つ、この地では所謂地方の気楽さがあるのか、立ち小便の場面が
ありました。

この事を始めとして、主人公である二人に限らず、各自間の遣り取りの
猥雑なことや下品なことには驚かされます。 それは芸術があからさまに
人間を扱うからでしょうか。

(4)  二人の芸術家志向はやがて、ともにと行かず、決裂します

子供から大人に掛けて、二人は詩的な志向が強かったようですが、
仲が良いものの、よく議論する間柄となりました。 ともに気になる存在だった
のです。 文学と絵画という違いは在るものの、芸術家同士にありがちな論争
志向で、お互いまともにぶつかりました。斯くて、「会えば5分で喧嘩」と言う
事になったようです。 やがて激しい対立が起き、殴り合いさえ起きます。

そうは言いながらも、その中では、先ずは作品の市場性に目覚めたゾラがパリに
移り、次第に売れる作品を書き、文壇にデビューします。 やがて、「居酒屋」
という小説を発表、大当たりをとります。そして其の二年後に、「ナナ」を出版
します。 斯くて其の地位は、文壇で確固たるものとなります。

対するセザンヌは、次々と絵を描き、応募するのですが、どれもこれも落選
します。

(5)  あるとき、ゾラの「制作」という作品で、「才能有りながらも、ぱっと
しない芸術家を描いたと思われるところ」が登場

これをセザンヌは、自分のことをモデルにしたと受取り、傷ついて、ゾラを追及
します。 ゾラは反論し、モデルはたくさん居ると弁明しますが、セザンヌの怒
りは治りません。

ここで、「知られているより遅く、二人が会って話し合ったと思われる手紙が見
つかりました」ので、ダニエル・トンプソン監督がそれを新しい資料として反映
した場面を、この作品に盛り込むのでは期待されました。
それでどうなったか、此処は御自身でご鑑賞戴きたいと思います。

(6)  ともあれ、偉大な芸術家同士であったセザンヌとゾラの間に
かような凄まじい確執があったときは愕きでした。

さすれば日本を含め、いろんな事が起きて来たはずで、それらの解明が待たれる
感じが致します。

ともあれ、「芸術の目標とは、感覚の実現」とのこと、それはセザンヌの言葉の
由、考えさせられます。実に重いものがありますね。

 

 


この記事のコメント

  1. 松岡茂雄 より:

    セザンヌとゾラの関係については、美術史上有名なエッセイがあります。メイヤー・シャピロによる説で、セザンヌのリンゴは、彼の潜在的な性的関心、抑圧された欲望の現れではないかというものです。

  2. 塚本 弘 より:

    セザンヌ、いいですね。ほんね倶楽部、楽しみにしています。

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