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「占領」を見直すと、あらためていろんな事が分かってきます

2017.10.30 Mon
文化

゜   平成29年 2017 10月
仲津 真治

ヘレン・ミアーズの鋭い名著「アメリカの鏡・日本」を受けて

ミアーズの主張の骨子は、「近代日本は西洋列強が作り出した鏡であり、そこに映っているの は、西洋自身の姿なのです。」と言う所に在るようです。 つまり、ミアーズは、日本は(明治以降)欧米の真似をしたに過ぎないと言う分けです。より砕いて云えば、悪い先生はそういうことを教えた欧米で在ると言うことになります。

このような透徹した視座を持ち、欧米自身を振り返る、余裕のある幹部が対日占領軍の中枢(総司令部 GHQ)にいて、あらためて「何故、占領行政は斯くあったか?」と言う疑問が沸きますが、この機会に他の文献や資料も当たることによって、幾つかの占領に係る論点に当たってみたいと思います。

1  通例、正体不明のGHQのスタッフ

GHQのスタッフは通例、日本の官僚や政治家に対し、自分たちの正体を明かさなかったと申します。実際、彼らは名刺すら使用していないようです。斯くて、普通の日本人は、「進駐軍」と呼ばれる、何者か分からない人々から、指示を受け、諸制度等の改造等をされたことになる由です。考えてみれば、彼らは主に米軍人で、軍服からして分かります。

そして、その中には、ピンカーズと呼ばれた共産主義者やリベラリストが結構、混じっていました。私は、この呼び方を知って、かつて朝日新聞に勤める有力な友人が、「うちは、ピンクだ」と語っていたのを思い出したものです。同社の社風や思想傾向を端的にそう言ったのでしょう。 言い得て妙ですね。同紙の特徴は、戦後の占領統治以降生じ、現在も続いているとみられます。

さて、GHQの上述の組織・陣容の中で、各般の占領政策のうち、民政局は多大の改変を日本にもたらしましたが、その実質の長が、チャールズ・ケーディスでした。彼は、あるとき、インタビューに答えて曰く、「自分は、フランクリン・ルーズベルト大統領の政策や考え方に大いに共鳴し、諸々の施策を実行してきた。」将に、彼はルーズベルトの強力な支持者・推進者で、いわゆる「ニューディーラー」なのでした。彼らによって、米国の政策は、大きく左に振れました。 それが、対日占領政策にも持ち込まれたのです。

因みに、マッカーサー最高司令官の側近には、フィリピンのバターン半島脱出時に、行動を共にした将校四人が良く知られていて、バターンボーイズと呼ばれている由です。その中に、後、民政局長となったコートニー・ホイットニーや、思想・治安対策を主に担ったチャールス゛・ウィロビーが居ます。 それらの名
は、各資料に良く登場します。

2  ニューディール政策を基調とした占領政策は、根幹は変わらないものの、左派的になりすぎた動向の規制へと転換します。 きっかけは、昭和22年に全国で行われる予定でした「2.1ゼネスト」でした。

人民広場と呼ばれるようになっていた東京の皇居前広場は、既に大集会が何度も開かれ、もしゼネストが行われれば、 参加労組は全国で百万人規模に達すると予想されていました。 その過激な計画を知ったGHQは、その直前の一月三十一日に、「現在の日本の困窮した事態において、かくも恐るべき社会的武器は許さない。」として、スト全面中止を命じたのです。 将に、力づくで止めたのです。

もともと、GHQは共産主義体制など取る気がないのに、共産主義者や社会主義者をその理想主義に誘導してきました。それは、GHQの占領政策の一環でしたが、ゼネスト突入目前に到ると言う事態まで引き起こしてしまい、その辺りは大いなる失敗とみられています。また、それまで、進駐軍をして「解放軍として規定す
る」など歓迎してきた日本共産党など、諸勢力・諸流は、以降、GHQの裏切りとして、反米に転じたと言われます。

それに、世界情勢が進展し、スターリンなど旧ソ連共産党等の狙いが自由主義国や西側諸国を敵とするものであることが明らかになってくると、対日占領行政も共産主義に対峙するものとなって行きました。

3  何故、GHQは、米国が主導しているのに、日本の左翼勢力を強くしなければならなかったのでしょう。

それは、占領軍という統治勢力が、被支配勢力に対し、より強い統治能力を発揮するためには、所謂「分断統治」のやり方が最も効果的であったからといわれます。

米国は往時アングロサクソンが実権を掌握した国でしたが、その典型は英国で、其処は主にアングロサクソンが主流を為していました。 その英国は、対植民地などで、この「分断統治」を得意とし、各地で多用し、効果を上げてきました。そして、この辺りは、英米で経験・ノウハウが共有されていると見て良いでしょ
う。

この分断統治が占領統治で大いに生かされました。 言論界や政界で、左派、進歩的文化人として見られることが促されました。 反対の側は、保守、右派、遅れた文化人として、差別される社会が助長されていたのです。私は、自らの幼い頃から、大学で学んだ頃まで、こうした傾向をおかしいと思って育ち、社会人となって、やっと落ち着いてきたなと印象を持つに至って居ます。

この辺りについては、いろいろな意見・評価があるでしょうが、占領軍の政策が大きく影響し、その終了後も日本社会に浸透せるものがあったことを矢張り実感せざるを得ません。

4  マッカーサーの証言

GHQの最高司令官に約六年間在任したマッカーサー元帥は、トルーマン米大統領に解任され、後任のリッジウェイに交代してのち、公の場で、次のような証言をしたと確認されています。時は1951年(昭和26年)5月、所は上院軍事外交合同委員会の場でして、

「日本は絹産業以外、固有の産物は何も無いのです。・・・もし、これらの原料を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであろう事を彼らは恐れていました。 したがって、彼らが戦争に飛込んで行った動機は、大部分は自らの安全保障の必要に迫られてのことだったのです。」

これは、「日本は自衛のための戦争を行ったのだ。」と言う往時の連合国最高司令官の任にあった米軍人の公けの場での証言として、重要な意味を持つ思われます。占領側は 「この戦争は日本だけが悪かったわけではない」と、本音ベース
では考えていたことが知られるのです。

ただ、GHQの公式の立場は、「日本は侵略戦争を行った」というもので、それは、占領行政の一環として、そのプロパガンダの中で、全世界に広められました。

これについては、米カリフォルニア州弁護士で、在日であり、著作を幾つも刊行、日本のテレビでも活躍中のケント・ギルバート氏が、「日本は近現代の間違った歴史認識の修正を堂々と主張すべきである」と訴えています。 氏は、例のGHQの「WGIP」(War Guit Information Prpgram)が余り知られる事なく、存在してきたことを丹念に調べ上げ、公知のものとした米国人です。 それは、「戦争有罪意識改革計画」とでも訳すべきGHQの潜在化した政策で、対日占領で内実大きな効果を発揮し、今日、なお影響の残るとされているものです。

5  この事に関しては、「日本が悪かったところは、はっきりそうと認め、悪くも無かったところは明確に否定し、時には強く反論する」ことが、歴史観として必要と思われます。

これは、渦中の所謂「従軍慰安婦」問題についても云えるでしょう。然るに、少し前まで、朝日新聞が故吉田清治氏と言う人の虚偽証言をそのまま採用し、連載を続けたことなどは、大変遺憾なことでした。 その後、同紙がその虚偽たることを遂に認め、連載を中止したことは当然ですが、その内外の影響力が大きかっ
たと事をを考えると、暗澹たる気持ちにならざるを得ません。

懸かる虚偽報道が起きるのも、占領時に分断統治のため、GHQがマスメディアに担わせた役割に由来すると言うような話を聞くと、「それはひどい」とマスメディア側に是正方をと念ずる思いに駆られますね。

6  ネット社会で取り戻す日本語の言語空間

占領軍は、日本の教育制度を改めるとし、大改革を行わしめました。そういう所には手を付けさせなかったドイツは違うと聞きます。

だが、具体的に言うと、何故、六三三四制への切り替えが民主化に資するのか良く分りません。 男女平等や男女共学が、教育の機会均等に資し、思想からすると平等思想に由来することは理解できます。

だが、どうしても分からないのは、ローマ字教育です。
私どもは、小学校でこの授業を受け、教科書を読習しました。幸い、習得出来たという記憶がありますが、この勉強は或る学年一年きりで、以降、全くその機会は在りませんでした。

長ずるに連れ、これが日本語における漢字制限の論争と動きと連動していたことが分かりました。 漢字は習得が難しく、なかなか身につかないから、この際、思い切って廃止に踏み切り、アルファベットによる表音文字によるローマ字教育に切り替えるべきだという一部の学者・専門家の意見が通り、漢字制限などと一
緒に進められたと言うのです。 その一環として、漢字はかなり簡単に成り、書きやすくなりました。 この漢字簡単化は、その後定着、私どもの国語となっていますが、ローマ字は日常使われるようには、なりませんでした。実際、漢字仮名交じり文が日本語の大部分を占めています。 それに、同音異議語の多い日本語で、ローマ字の採用は、実際的でなかったと思われます。無理をして居れば、いずれ大混乱が起きていたことでしょう。

一方、漢字制限は、相当程度効果を上げ、教育漢字や当用漢字(いまは常用漢字)が広く普及、人名漢字の許容もあって、定着していったと思います。

しかし、漢字の有用性や一見して表意できる便利さが捨て難く、枠外にどんどん利用されていくようになりました。 いまや、ワープロやパソコンの普及は、漢字を書く必要を大いに軽減、ワンタッチや変換で文章を読み書きできるようになりました。現にJIS規格で、漢字は六千八百五十個まで拡大されていると
申します。

そして、ネットの普及は一段と、漢字仮名交じり文の効用を高めました。漢字制限の必要は、消滅していったのです。

そう言えば、かつて漢字廃止の論議が盛んだったチャイナでは、漢字制限に加え、所謂簡体字の採用に踏み切りました。 斯くて、負担は減りましたが、例えば、機会の機は机と成り、かえって混乱を増しているとも聞きます。

それに、パソコンやネットの普及は、一覧性、漢字変換やワンタッチの有用性を高め、漢字制限の議論を弱めていると聞きます。 簡体字では、古典は読めないからです。

7  七大文明の一 : 日本文明

敗戦により、四等国と謂われ、低く評価された日本文化・文明ですが、以前からの伝統文化と継承に加え、新しきを取り入れ、外国人にも高く鑑賞・享受される文化、文明となって参りました。 伊勢神宮に代表される式年遷宮など、古と新の見事な融合でしょう。 これはトインヒ゛ーなどの世界的な学者の評価によっ
ています。

日本文明は、いまや、世界の七大文明の一とされるようになった由、極貧と混乱の占領時代とは様変わりです。


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