あらためて知る、チャーチル元英首相の果敢なる事績と人間臭さ・・・
あらためて知る、チャーチル元英首相の果敢なる事績と人間臭さ・・・
アメリカ映画(「原題 Darkest Hour 暗黒の時、 邦題 ウィンストン・
チャーチル ヒトラーから世界を救った男」を鑑賞して)
2018年 平成30年4月
仲津 真治
日比谷・有楽町の映画館街に、また名所が、増えました。三井不動産がこの程完成させた「日比谷プロジェクト」で三十階を越す巨大ビルがオープン、ちょうど日比谷公園を俯瞰する位置にそびえていました。そして、その四階のフロアが、IMAXのシネマコンプレックスとなっており、其処から西側に広がる緑地が見事でした。日比谷に新しい視角が提供された観が在りましたね。
私は、ここなら新たな体験が出来そうと、東京の街に足を運んだ折りに
標題のチャーチルの映画の鑑賞に参りました。館の番号は5でした。予感が当たりましたね。平日の午後にしては良く入っていました。
アメリカのユニバーサル映画でしたが、使われていた言葉は大部分イギリス英語でした。作品の舞台が英国だからでしょう。
以下、幾つか印象に残ったことを順不同ながら、記します。
1) チャーチル首相登場
ウィンストン・チャーチルが英国下院での調整と諸手続きを受けて、英国首相にジョージ六世英国王から任命されたのは、1,940年(昭和15)の5月9日でし
た。
前任のチェンバレン首相が対独宥和政策により、ヒトラー・ドイツに押しまくられ、失うばかりで、かといって世界大戦は阻止できず、遂に野党のアトリー労働党首から厳しく追及され、不信任を突きつけられた結果でした。英下院で、演説や遣り取りが行われる本会議場は、狭いながらも迫力満点でした。
斯くて与党保守党には対独強硬派の先頭を切るチャーチルしか居ない状況となり、英国伝統の議院内閣制に従って、チャーチル首班の保守党内閣が結成されたのです。
その時、ポーランドは既にドイツなどの手に落ち、デンマークやノルウェーは制圧され、オランダ、ベルギーは中立を標榜していたのにドイツの侵犯を受けていました。それに焦点の大国フランスは、頼っていたマジノ線の対独防衛ラインを突破されていたのです。
こうした中で、対独強硬のチャーチルが遂に登場したのです。当然これで、私は英議会の大勢が反独となり、軍事面を含め、ドイツに対する反抗と対決の一色になったと思っていました。 実は、この映画のライト監督も脚本を読むまではそうだったようですね。でも、出来上がった映画はそうはなりませんでした。
どうしてか、先ず、宥和派の筆頭「チェンバレン」前首相の存在は矢張り大きかったようです。それに、引き続き保守党内閣の外相であった「ハリファックス」の主張も説得力がありました。 このまま雁張っていると、ドイツの電撃作戦により、ダンケルクに追い詰められつつあった英国などの多数の将兵を無駄死にさせることなる事は必至。 よって此処は無理をせず、対独交渉し、和平に踏み切るべきだと言うのです。
ただ、ハリファックスは貴族たる上院議員ゆえに、慣行に従い、首相は受けなか
ったのでした。 英国では、上院議員でなく、下院議員が歴代の首相となって来ました。
さて、これらの人々に代表される宥和派の影響力は実はかなりものだったようです。首相となったチャーチルも一端は説得され懸かります。それだけ戦況が悪く、絶望的だったのです。
斯くて、映画の中では、大陸ヨーロッパのドイツ支配を容認し、独旧植民地の復活を認める一方、英国の独立の保障と大英帝国の存続を和平の条件とする案が浮上していました。
2)しかし、チャーチルは、結局、妥協に陥らなかった
それは何故か? 圧倒的に不利に状況に追い込まれながら、まるで、「窮鼠猫をも噛む」ように反発し、脱出の道を切り拓いたのが、チャーチルなのでした。 其処のところに迫ったのが、本作品の真骨頂であるという感じがします。
第一は、チャーチル自身の信念でしょう。もし、和平を仲介するというムッソリーニの甘言に乗り、ヒトラーと交渉し、妥協に応じたならば、それは結局、自由と民主主義の終焉、人権や法治主義の失墜に通じる怖れが大でしょう。 それは、矢張り入ってはならない途でした。
もう一つは、国王ジョージ六世の支持でしょう。 実は兄王エドワード八世とシンプソン夫人との恋に、チャーチルも賛成し、そうした声が強まって、兄王は退位となり、ジョージ六世には望まぬ英国王の座が廻ってきたのです。吃音のジョージ六世は、其れによるスピーチを避けたかったようですが、嫌々ながらそこへ追い込まれたのです。これにはチャーチルも一枚噛んでいたので、その事をジョージ六世はそれを恨みに思っていたようです。
でも、ヒトラーへの恐怖心が勝りました。 あの野獣のような男は良くない、到底許容できないと。斯くして映画では、国王自身が、首相官邸を訪ねてきて、首相への支持を表明します。実話と見られます。 それは力強いサボートとなったことでしょう。国王が実際の統治に関わらない、立憲君主制の下であっても。
更に大事なことは、人々の支持でしょう。 新聞を良く読んでいたチャーチルは其の事を良く知っていました。 世論の動向をよく掴んでいたのです。
映画では、チャーチルが街中に出て、初めて慣れぬ地下鉄に乗るシーンが出てきます。 それは国王の薦めでもありました。チャーチルは乗客に話しかけます。
街のおっさんに、主婦に、勤め人に、青年に、黒人に、赤ん坊を抱えた女性に。・・・ 人々は気づきます。そのおじさんがチャーチルであることに。そし「ヒトラーと戦っている今、それに屈するか」と聞かれ、人々は異口同音に「Never」と答えます。屈辱の降伏を最も嫌っていたのは、庶民でした。
実は、このシーンはフィクションの様です。でも物語としては、これで決まりました。
全六巻のチャーチル第二次大戦回顧録を読んでも、公式的な発言や
記述が主で、本人や登場人物の生の声や言動が落とされていて良く
分からなくなっている様なのです。 チャーチルと言えば文章の達人、斯くて著書は優れた美文の集大成になったと思われます。これでチャーチルはノーベル賞を受けているのです。
この映画は、例え、現実に無かった逸話を挿入しても、其れでもってその辺りを克明に描くことにより、生の人間チャーチルの真実の姿に迫ったのかも知れませんね。この庶民との地下鉄シーンは印象的でした。 斯く描かれた諸事情を色濃く反映して、チャーチルの徹底した反ヒトラーの姿勢と方針は固まります。
3) 力強い名演説と言葉の豊富さ
5月28日英下院に集まった議員を前に、チャーチルは世紀の大演説をぶちます。そのラストは、「例え、ヨーロッパの大部分と、古く名高き国々が忌まわしきナチス組織の手に落ちたとしても、我々は怯まない。 最後まで戦う。・・・いかなる犠牲を払っても祖国を守り抜く。断じて降伏はしない。」というもので、 将に鬼気迫り、個々の言葉が響き、胸を打つ格調高い演説でした。
このとき、よく見ると、政府批判の労働党議員の席が始めから拍手を送っているのに、チャーチル批判派の多い与党の保守党席は静かでした。しかし、演説が終わりに近づくと、皆高揚し、揃って拍手し、起立し、賛意を示す白いハンカチを掲げるようになりました。 前首相のチェンバレンは、そっと額にハンカチを当てていました。 その議場で、チャーチルは「勝利を!」と、高々とVサインを掲げたのでした。
4) ダンケルクの撤退:ダイナモ作戦など
英仏軍などを圧倒した独軍は、膨大な機甲軍団の大量且つ機動的な
投入と迅速進撃により、四十万もの英仏軍等を、ドーバー海峡に面したフランスのダンケルクに追い詰めます。 1940年5月下旬、それまで大した反撃も成らなかった英仏軍などですが、包囲された中、つかの間の比較的静かな時を過ごします。
これは未だに謎と言いますが、ヒトラーが機甲軍団の進撃を止めたからです。
理由は、電撃作戦の急進で酷使された各部隊が疲労していたからとか、空軍を掌握していたゲーリンク゛が「任せろ」と大言壮語したからとか、ヒトラーに第一次大戦の悪夢が蘇り、慎重を期したからとか、いろいろ言われていますが、能く分かりません。
チャーチルは、この間(ま)を果敢に利用します。 民間に呼びかけさせ、多数のボートや船舶などの協力動員を図ったのです。 すると、何と八百隻を越す船がダンケルクの海域に集結しました。 これをダイナモ作戦と呼び、結局四十万人近い英仏軍等の将兵が、武器・装備は放棄したものの、英国側の海岸に渡ったのです。この生還により、連合軍側は大兵力の喪失を回避でき、この大戦のひとつの大きな転機になったと言われます。
もっとも、このため、連合国側は長く大量の武器不足に悩まされたと聞きます。
この時、英国に渡ったフランス軍将兵が、独に降伏して出来たビシー・フランスに対抗するドゴール将軍の指揮下の自由フランス軍の主力となったのでしょう。
他方、この映画で何度も出てきた、フランス カレー地方の英軍部隊の運命にふれます。 彼らは約四千、ダンケルクから離れていました。独軍の目を惹き付けるため、むしろ攻勢に出ます。一種の陽動作戦でしょうか。その役割は十分果たしたものの、英軍本体からの救出は有り得ず、結局全滅します。
彼らの守備する地域の上空は、独軍の重爆撃機が盛んに飛んでいました。この映画には戦闘場面がほとんど出てきませんが、このカレー地方のケースには少しあります。
5) 斯く、チャーチル支持は盛り上がってきますが、そもそも何故、チャーチルは評判が悪かったか。
チャーチルが英国政界で不評な原因の中で最大のものは、第一次大戦におけるガリポリ上陸作戦の失敗にありました。 この事は映画での遣り取りに何度も登場します。
それは、第一次大戦の初期に、独の同盟国のトルコの戦略上の重要拠点であるダーダネルス海峡の一角「ガリポリ」に上陸、其処を制圧し、枢軸国の独墺トルコ側にくさびを打とうとするものであったと聞きます。
そして、これを発案し、主導したのが海軍大臣のチャーチルなのでした。 着眼点は良かったのですが、トルコ側の防衛体制が良く整っていた様で、手酷い反撃遭い、結局失敗に終わります。 斯くて、連合国側に多大の犠牲と損害が出ます。 英軍側では、特にオーストラリアとニュージーランドに多く出たと言います。 この大失策ゆえチャーチルは、後々まで厳しく批判されます。この映画もそれを何度も取り上げます。
ただ、当人は納得している様子は無く、「責任者が居る」と反論するシーンが在りましたね。
私は、トルコ旅行の折り、このガリポリの近くを通りましたが、現地ガイドが触れることはありませんでした。
次にチャーチルは保守党から自由党に鞍替えしていたことが在る由、それ故、保守党内では何かと評判が悪いという面もあった様です。
6) 英仏間の事
作品の中で、チャーチルが、フランスの対独抗戦の方針を聴きに訪仏する場面があります。 チャーチルが軍の輸送機でフランス側の飛行場に着き、その格納庫内で英仏会談が持たれました。 将に戦時ですね。すると何と、チャーチルは下手なフランス語で問いかけたのです。英仏間といえでも、当時は仏語が優位と言う外交慣例がなお在ったのでしょうか。
この遣り取りは傑作で、仏首相がチャーチルの下手なフランス語を見かねて「英語でやりませんか。」と助け船を出します。
力を得たチャーチルは、ずばり「フランス側はどんな作戦を持っているのか」と問い質します。 すると呆れたことに「無い」との答えでした。早々とマジノ 線を突破され、間もなくパリが独側に陥落すると言う段になって、対独抗戦の思考は最早止まっているようでした。こんなことも在ったのかと思わせますね。
7)終わりにメイクのことに触れます。・・・その道のプロであった辻 一弘氏のことなど
この映画が、第90回アカデミー賞を二つ取ったほか、大いに評判になった分けのひとつに、優れたメイクがあります。それで、メイク分野の賞を、元その道のプロであった辻一弘氏外二名が取っています。
実際映画を鑑賞すると、チャーチル、チェンバレンなど、本当にそっくりです。ところで、辻 一弘は今は美術彫刻家となっている人ですが、元は
メイクのプロでした。 今回主演のチャーチルを演じたオールドマンの強い要請で、特別に、そのメイクを受けた由でした。 悩んだのは、オールドマンが風貌など、まるでチャーチルに似ていないことであったと言います。 それでも達成
するのだから、凄いですね。将にプロの世界が其処にあります。こうした日本人がハリウッドと縁のある世界で活躍しているのです。
この世の広さと深さを感じます。
この記事のコメント
コメントする
政治 | 国際 | 歴史の関連記事
前の記事へ | 次の記事へ |
チャーチルだけでなく、彼を支持する国民の高い見識と強力な支持があったから望みが叶えられ安泰を取り戻せた。
人間はいかに優れていても一人では国家の安心は造り出せない。
羨ましい限り。