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ミラクル エッシャー展を鑑賞

2018.06.24 Sun
文化

ミラクル エッシャー展を鑑賞
平成30年6月
仲津真治

三次元の各方向に、人が歩き・移動する奇妙な版画や絵画を展示する美術展が
開かれていますので、これは見のがさじと、東京は「上野の森美術館」に
行って参りました。

平日ながら、相当混んでいました。 版画、絵画がほとんどですが、 彫刻、
塑像のようなものもあり、全部で約百五十点ほどでした。

その内、「三次元の各方向に、つまり、縦、横、上下に人が歩き・移動する奇妙なタイプの絵」は終わり頃の数点でして、その辺りは特に混雑していました。将にハイライトですね。

そこは皆さんの関心の的なのでしょう。 それに各作品がせいぜい約五十センチ似内と、比較的小さいものですから、良く観察しようとすると、お互いに近づくしかないことも在りました。

こうした作品は邦語で「だまし絵」と呼ばれ、外国語では「Trompe l'oeil」
と言う由です。 フランス語由来の言い方と思われます。

1)  ところで、二、三気づいたことがあります。 原作者のマウリッツ・コルネ
リス・エッシャーはドイツ人かなと思っていましたが、オランダ人でした。 百二十年前の出生の由、既に生涯を終えている故人ですが、美術家としては近代から現代に属しましょう。

その作品は、概ね、普段「イスラエル博物館」に展示されている由、ただ、
主として安全上の理由から所在地での公開・鑑賞はしていないとのことです。
その理由についてはそれ以上は書かれていませんでした。 斯く、世界には大変な現実が在る様ですね。 今回の展示は、世界各地の巡回型の由、それはそれでいろいろ苦労があろうと察しられます。

因みに、エッシャーは敬虔なカソリック教徒の由、ユダヤ人では無い様です。

その父は、何と、河川工学の技師で、へオルフ・アルノルト・エッシャーと
言い、1873年から78年の五年間、日本で勤務していた由です。 時期から見て
有名なデ・レーケの専門外国人の一党と見られます。治水・港湾・防災などで貢献した、所謂、お雇い外国人の人々ですね。

エッシャーの生年は1898年で、父のオランダへの帰国後ですが、その作品には
1918年作の「波 82」が在り、其処に浮世絵の影響があるように思えます。 それは、例の葛飾北斎の「神奈川沖浦」の「大浪」を彷彿とさせるものがあります。ただ、その波は大波から、中波、小波に至るまで、少なくとも八波ほどあり、一見北斎画との類似性はありませんが、通じるものがあるのは否めません。
実際エッシャーは、明治日本での体験を、直接でないものの、追体験している感があります。 例を言えば、注文を受けて製作している広告の漢字などは、本物を思わせます。(75 ,76) これなど今鑑賞を通じての新発見でした。

2)  エッシャーは、幾何学などの認識に通じ、自然科学に詳しい

エッシャーの描く版画や絵画を見ると、「貝殻」や「惑星」などに、自然界や幾何学的模様に通じていることが良く分かります。

そして、彼は、二次元の平面に映じられている、眼の網膜の像が、何故、
視覚として見ると、三次元認識になるのか、大変関心を持ち、生涯解明に努めたと言います。 これは根源的な疑問ですが、現代では大脳の作用がもたらしていることまで、次第に分かり始めている様なのです。つまり、視覚の立体造形はいろいろ理由が在って、大脳が創造しているものの所産の様なのです。

同時に、この大脳の創造作用は、さまざま錯視、錯覚にも通じていて、吾人の
統合された、通常の認識を生み出していると申します。 そして、それは、エッ
シャーが描いた所謂「だまし絵」にも通じている様なのです。 その中には、大脳の中で、神経回路を伝わる情報信号の速度から来る時間差を利用したものもある由です。

他方、エッシャーの創出せる惑星などを鑑賞すると、自然の丸い天体と違い、人工的な幾何画像なのですが、遙かに小さい実在の小惑星などに、これと似た形状の物が見つかっていて、太陽系の自然界の奥の深さを知らせてくれる観がありますね。

3) バベルの塔 (29)

美術界共通のテーマというものがあるようでして、「バベルの塔」もそのひとつと見受けます。 エッシャーのは1928年の作品ですが、旧約聖書に題材を
取っている割には、近代建築になっています。

言葉が通じなくなって、仕事が止まるという場面の発祥を、エッシャーは、作業に参加した人々の皮膚の色を幾つか描いて示しています。 人種を描き分け、斯くて、言葉が通じなくなったと言う意識でしょう。

4)   相対性の世界

決定的に意味が通じた感じがしましたのは、この「相対性 145 」という作品で
す。 上下、左右、前後に人が移動しているのですが、各々の向きが九十度ずれているのです。 その移動空間には、九十度づつ作用する方向が違った重力が働いていると申します。 かように解すると、此の矛盾した絵画も成る程と一応納得することになりますね。

もとより、こんな妙な空間は現実には在るはずがありません。此の作品を解説した講義にて、エッシャーは斯く述べている由です。 面白い提示ですね。

そう言えば、遙か以前に見たテレビの記録映画で、「ミステリー スポット」や「グラビティヒル」と言う作品がありました。 重力異常の地点を紹介したもので、「其の場所に物をおいて離すと、勝手に昇ってくる」というのです。 場面を実写したものを放映していて、かのアインシュタイン博士に現地を案内し、調べてもらった様ですが、良く分からないままで終わっているようです。

エッシャーのこの作品は、1953年ですから、もっと前の事で、このテレビ放送を参考にしたとは思えません。

5)  仏教的世界との繋がり?

21の作品に、「小鳥に説教する聖フランチェスコ」というのがあります。

キリスト教の世界観では、神に似せて作られたと言われる人間は特別の
存在で、他の生き物は謂わば、その他大勢です。

でも、仏教では釈迦の涅槃図に、人々だけで無く沢山の生きとし生けるものが
描かれています。 釈迦の入滅を悲しむ、ともに生を受けるもの達ですね。

ところで、この作品では、「小鳥に説教する聖フランチェスコ」として、ひとつの世界を表出しているのです。驚きました。

エッシャー独特の世界観でしょうか。それとも?


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