現世人類のゲノムの一部はネアンデルタール人に由来すると言う
梅雨明け以来、猛暑、秋冷、残暑という流れで天候が変わって来ております。その中、何かと多事多端の日々が続きますが、御健勝を念じます。
さて、この折り関心が在って、ドイツはライプチッヒのマックス・プランク進化人類学研究所のディレクターであるスヴァンテ・ペーボ博士(スェーデン人 ウプサラ大学出身)の、「ネアンデルタール人は私たちと交配した」を読みました。
「ネアンデルタール人は私たちと交配した」との話は、本当だった
ここに、「交配」とは訳者の野香方子氏が当てた用語と思われますが、私は門外漢ながら生物学で出てくる言葉と推測します。 それは端的に言えば「交雑」の意味で、ネアンデルタール人が、現代人類であるホモ・サピエンスと大昔、相当性的に関係があり、その結果、両者間に遺伝子の流動が起きて、「ネアンデルタール人」のDNAが現代の人々の中に生きている事が確かめられたと言うのが、この本のポイントです。
かくて、約三万年前に絶滅したとされるネアンデルタール人が、著者によれば、実は完全に絶滅した分けでは無く、我々ホモ・サピエンスに少し生き残り、他方、現代人類もアフリカ発祥ながら、そのゲノムの全てをアフリカの祖先に遡るわけではなく、厳密な出アフリカ説も否定されたことになる由です。
こうした事が、著者を始めとする専門家による長年の厳密な研究と実証により裏づけられ、遂に2010年(平成22年)5月、その成果が米国のサイエンスに論文として発表されたとのこと、そして、そのあらましが、この度、本書により素人である私どもも、知ることが出来るようになつたと言う事になります。
以下、良く分からないことが一杯在るのですが、何とか辿り着いた自分なりの理解のポイントを、若干の感想とともに記したいと思います。
クリーン・ルームを用いるとは驚き
医学生である著者などが、エジプトのミイラなどの研究に手を染め、ミイラからDNAを抽出する事など、エジプト学と分子生物学の合体に取組み始めたのは1981年(昭和56年)のことであったと言います。
その当初から、著者は古代ゲノムなどを扱おうとするとき、必ずクリーンルームを用い、きちんと洗浄や着替えをするなど、厳格に注意を払ってきたと申します。でないと、実験・調査する人の持つDNAが混じり込んだり、被検体に含まれるバクテリアのDNAなどを増殖することになってしまったりして、無視できない汚染や混入が起き、何かと問題が多く発生するからです。
こうして、このクリーンさを確保するための装置、それに注意や監視がとても大切の由、こうした事が電子工業の世界だけで無い事を私は知り、正直言って驚きました。
ただ、この分野の研究・実験に携わる人がみな、そういう厳密さや注意深さを持っているかと言うと、実はそうでは無く、結構いい加減な研究者や緩んだ組織が在る由なのです。例えば、恐竜のDNAを復元するとか言うアプローチなどが典型で、著者などによれば、そもそも、「DNAは、水分があり、暑さも寒さも程々で、酸もアルカリも強すぎない環境に在って数万年」、「極めて恵まれた環境で数十万年でも経てば、分子が全て消滅する」と言うのです。斯くて、恐竜は約六千五百万年前に絶滅していますから、その復元など始めからあり得ないとの事です。公園や駅前に置かれ、人間の子供の遊び相手をするのは、ロボットですからね。
人間関係や組織間のあつれきなど、学者・研究者の世界も大変
ペーボ博士は、結局、約三万年前に死滅したネアンデルタール人のDNAの採取と研究、それと現代人類との比較・調査をテーマとして、その分野に二十五年以上取り組み、スェーデン、米国のカリフォルニア、ドイツのミュンヘン、ライプチッヒ、クロアチアのザグレブなど各地を異動、遂に今のポストに附いて、同僚や後輩、部下などとともに、大いなる成果を挙げていくわけですが、その間、人間関係、組織間のあつれき、競争、化石資料などの入手などで、凄まじい苦労を重ねたようです。学者・研究者・博物館学芸員などの世界も本当に大変の様ですね。
そこは将に、どろどろとした社会、しかも、それが或る一国の中に納まらず、ほぼ欧米全体に広がっているのが、容易でないところであり、欧米の強みでもあるのでしょう。この間、日本や東洋の学者や研究者が、こうした分野に関わっていないはずは無いと思うのですが、そうした名前は一つも出て来ませんでした。
DNA・ゲノムについて、概括的にスケッチしてみます
データに基づいた研究成果によれば、ネアンデルタール人のゲノムは、アフリカ人より非アフリカ人のゲノムと約2%多く一致するとの事です。
ここに非アフリカ人とは、フランス人、中国人、パプア人です。また、アフリカ人とは、サン人(南西アフリカ ナミビアの人々)、ヨルバ人(ナイジェリアの人々)でした。そこで、フランス人、中国人、パプア人のゲノムのネアンデルタール人との一致度を記しますと、どれも約52%であるのに対して、サン人やヨルバ人は約50%なのです。専門家に言わせると、この2%の差は僅かに見えますが、それが実は大変大きく、しかも非アフリカのどこでも2%高い事や、ネアンデルタール人が往時アフリカに居なかった事を考え合わせると、甚だ意味深長なのだと言います。
この数値の差異の意味するところ
現在、理解されているところでは、約二十五万年前にアフリカ中部に発祥していたホモ・サピエンス(現世人類、学校で以前、クロマニヨン人と習った)は、約十万年前から五万年前に掛けて、アフリカの内部のみならず、アフリカの外へ移動を始めます。良い環境を志向したのでしょうか。
そして、アフリカ大陸からユーラシア大陸に移動し、中東に差し掛かると、そこに以前より、ヨーロッパから中東にかけて移動、棲んでいたネアンデルタール人(同じアフリカ発祥 約二十万年前と推定)に出遭います。斯くて、身長、体型、骨格がそう大きくは違わない両者間で、交流や支配・服従の関係などが生じ、交雑が起きます。この関係は、中東で数千年から、数万年続いた由、よって交配関係が浸透し、遺伝子の流動が生じます。
その後、活性度に優ったホモ・サピエンスは厳しい寒冷な気候にも適応し、ヨーロッパ、アジア、東南アジア、アメリカ、太平洋諸島へと広がります。よって、交雑で生じたネアンデルタール人のゲノムが少し残り、同じ程度で、ともに拡散しました(フランス、中国、パプア)。
もとより、アフリカ大陸内部にもホモ・サピエンスは広がりますが、そこにはネアンデルタール人は居ませんでしたので、交雑は生じようがありませんでした。(サン、ヨルバ)
他方、原因は今だに不明ですが、ネアンデルタール人は、約二万七千年前に絶滅します。災害、気候、ホモ・サピエンスとの争い、食糧難などいろいろの説がある由ですが、今後の十分な調査・研究が待たれるところです。
「ネアンデルタール人」とは何か? もし、今も絶滅していなければ何が起きるか。
それは、ドイツ、デュッセルドルフ近郊のネアンデルタール渓谷で発見された人骨に由来する名称の由です。1856年の事で、場所は同地に在ったフェルトホッファー洞窟、石灰岩の採掘現場であったと言います。
その後各所で発見され、データが集まったので、ネアンデルタール人の骨格・体格を集計すると、ホモ・サピエンスよりやや大きく立派で、頭蓋骨に囲まれた脳容量も男性の平均が1600 cm3程の由、因みに、現代人類の男性の平均は1450 cm3と言いますから、本当に巨頭です。しかし、頭蓋骨の形状は異なっていて、眼窩上隆起があり、額は引いています。近くで見る外見は現代人とは、かなり異なります。
頭蓋の大きさから、知能はホモ・サピエンスに遜色ないと見られるとの説もありますが、ネアンデルタール人の生きた二十万年ほどの期間に亘って、作ったと推定される旧石器にはあまり進歩が無かったとも言われ、また、居住地もヨーロッパや中東以外には拡大していません。
これに対し、進取・活発の性向が強かったホモ・サピエンスは、地球上のほとんどの地域に適応し、その棲息範囲を広げました。棲まなかったは南極大陸だけです。それに、ホモ・サピエンスは言葉、次いで文字を生み出し、意思や情報の疎通に優れて行ったと見られますから、両者間には大いなる差異が生じていたのかもしれません。
よって、もし、絶滅せずに、ホモ・サピエンス種同様、「ヒト属ホモで、ネデルターレンシス種」として現代にも生き残っていたとした場合、・・・もし、本当にそういう事があったとしましたら、・・・交流を持ち、食事をともにし、歌を唄うのも良いかなと思いますが、多分そうはならず、ホモ・サピエンスである現世人類との関係はかなり微妙であったと思われます。かつて交雑があったとは言え、近目には随分と違うし、コミュニケーションは難しかしい事と想像されるのです。
この点に関連して、ペーボ博士は、ネアンデルタール人を「ヒト」に入れ、類人猿とはしていませんが、この問いは仮定の問題とは言え、微妙且つ重大な要素を含んでいる事でしょう。
ホモ・サピエンスは、どの大陸や地域に居ようが、皆現代人類であって、同種であり、一緒に子供をつくり、孫などへと繋いでいく事が可能です。それでも、その中の人種では、対立が起き、さらに、それより単位の小さい民族でも争いが起きています。また、オーストラリアの先住民と言われるアボリジニーは、比較的最近にそこまで到達したホモ・サピエンスですが、後年、同地にやってきた英国人から「人間とは思われなかった」と言うではありませんか。
まして、ネアンデルタール人は、ホモ・サピエンスとは違う別の「種」のヒトです。現世人類とともに交配・交雑が可能で、実際それは起きておりますが、共存が続いていると、いろんな事が起こったであろうと想像されます。現に、その後の人類の歴史でも様々な経験をし、諸々の事象が起きているのですから・・・。
かくて仮定とはいえ、ネアンデルタール人が今日も生き残っていたとした場合、何が起きるかは、気の重い仮の問いとして、よく考えることにしましょう。
また、ネアンデルタール人の絶滅原因の探求と、そこから知恵を得ることも欠かせないと思います。現代人類自身の絶滅回避方策も全く不要とは言えないでしょう。
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