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変貌する世界とメディア④メディアリテラシー~研究者の長澤江美さんに聞く

2024.02.26 Mon

世界の多角化・分断化と軌を一にするようにメディアの多角化・分断化も進み、そこにフェイクニュースや陰謀論も忍び込むようになっています。重要なのが「メディアリテラシー」ということになりますが、それを個人や社会が身につけるにはどうしたらよいのか、悩ましいところです。ということで、メディアリテラシーの実践的な研究を進めているスマートニュースメディア研究所(SMRI)で、メディアリテラシーを研究している長澤江美さんから話をうかがうことにしました。

 

メディアリテラシーの必要性

 

――長澤さんは、SMRIの研究員として、メディアリテラシーを担当されています。いま、なぜ、メディアリテラシーが必要かつ重要なのでしょうか。

 

澤 メディアリテラシーは、溢れる情報社会の中を生き抜いていく力と直結しています。スマホが2000年代後半に普及を始め、今では、誰もがスマホを通じて気軽にフェイスブックやX(旧ツイッター)のようなSNSに参加し、気軽に情報を受発信できるようになりました。その結果、ネット空間に溢れる情報量は、爆発的に増え続けています。

 かつてなら、それぞれの生活空間の中で行われていた「井戸端会議」、「喫茶店でのおしゃべり」、場合によっては「便所の落書き」とされていたようなものまでが、SNSでは、マスメディアが流す「ニュース」と一緒くたになって、「情報」として流れています。

 

――まさに情報革命で、人々にとっては、お金をかけずに大量の情報を得ることができる社会になりました。「革命」と言うなら、情報の「人民革命」といっても過言ではない状況です。

 

長澤 その情報はまんべんなく平等にすべての人々に届くわけではありません。情報の出し手や届け手は、AI(人工知能)を使ったアルゴリズムによるフィルターをかけて、情報を届けることが増えています。情報は、「偏って」私たちのもとに届いているのです。ネットは、使いようによっては、自分の視野を広げられる可能性がありますが、その一方、見たい情報しか見えなくなる「フィルターバブル」に陥りやすくなっています。視野も広がるはずなのに逆に狭まっていく。さらに、偏って届けられる情報が陰謀論だったり、虚偽情報だったりして、それを正しいと信じる人たちが多かった場合、社会全体に弊害をもたらしかねません。

 

――そこで、メディアリテラシーですね。

 

長澤 そうした社会を生き抜くためには、「本能的、直感的に情報に接して、なんでも鵜呑みにしていく」のではなく、「多角的に、熟慮して情報に向き合う力」(クリティカルシンキング=critical thinking)と「自分のところに届く情報がどうやってそこに届いているか」についての知識(メディアの知識)をつけることが重要です。例えば、アルゴリズムの存在を知ることだけで、「ああ、昨日、猫のニュースを見たから、今日は妙に猫に関する情報が入ってくるのだな」と思うことができます。情報との向き合い方が俯瞰的になります。

 

――今年秋の米大統領選をみると、いまのところ、バイデン大統領とトランプ前大統領との争いになりそうですが、議会占拠を扇動するような言動をしたトランプ氏が共和党の有力な候補者になることが驚きです。その背景には、新聞やテレビなどの既存メディアへの不信感が強いことがあり、不信感の原動力はSNSだといわれます。(下の写真は、2020年の米大統領選で陰謀論を広めたといわれるQアノンを論評した2020年9月25日のBBCニュース)

長澤 SNSがメディア不信の原動力というよりも、SNSによってメディア不信が増幅されているということだと思います。SNSを通して、不信感を持つ人同士がつながり、彼らの中でそうした会話が拡散されていく。メディア不信の情報ばかりが手元に届くようになると、「やっぱり、既存メディアは信じられない」となってしまう。これは、「エコーチェンバー」という現象です。これは、人々が、同じようなメディアに接したり、ソーシャルメディアの空間の中で、同じような考えの者同士が意見交換をすると、同じような考えが強化されてしまう現象のことです。

 私たちは、小中学校から高校・大学などでメディアリテラシーの「出前授業」をしています。なかには、「マスコミは信じられない」「マスゴミだ!」などと実際に口に出す生徒や学生に出会うことがあります。彼らにとっては、マスメディアは、政府や自分たちにとって都合の悪い情報は隠蔽する「悪の組織」のような存在として捉えているようです。

 

マスメディアは真実を伝えない?

 

――かつて新聞やテレビは、記者会見のような「表」の情報も含めて全体的な枠組みを伝え、舞台裏の細かい「裏」情報は、週刊誌が伝えるといった、暗黙のうちの役割分担があったように思います。「表」情報を前提にして「裏」情報があったのですが、いまは、そうした取材もせずに、ニュースを勝手に解釈して記事にしてしまう「コタツ記事」もふえているようです。そうなると、「表」情報も全否定する陰謀論がはびこることになるのかもしれませんね。

 

長澤 私自身も通信社という伝統的なメディアで仕事をしていたので、マスメディアで働いている人たちも失敗したり、傷ついたり、悩みながら、普通に仕事をしているよ(激務なことが多いですけど)、と授業で話をすることがあります。そうすると、生徒や学生たちは拍子抜けしたような顔をします。「(悪の組織でもなんでもない)普通の人じゃん」って。

 

そうした学生たちとのやり取りから、マスメディアに対しては、「もう少し、市井の人たちに、自分たちがどんな仕事をしているのかを伝えたらいいのでは?」と思っています。野菜の生産者の顔写真がスーパーで紹介されていることがありますよね。「こういう人が苦労して作った野菜なんだ」と知ることで、野菜への思い入れも変わってきます。

私の祖父母は、農家をしていたので、私も子供のころ田植えを手伝ったり、畑仕事を間近で見たりしているうちに、お米を残さなくなりました。あんな大変な思いをして作っているものを粗末に扱えないって。

 

――最近の新聞は、記者の署名入りの記事をふやすだけでなく、記者自身がSNSで発信したり、ポッドキャストのキャスターになったりして、記者を目立たせるようにしています。マスメディアがのっぺらぼうの存在ではなく、生身の記者が書いているということを伝えようとしているのだと思います。まだ努力が足りないというか、もっと積極的に記者の個性を出したり、記事ができる取材過程を知らせたりしていかないと、メディアの人間は、陰謀に加担する存在ということになりかねませんね。

 

メディアリテラシーとは

 

――ところで、メディアリテラシーという言葉は、わかっているようでわからない、人によって使い方が違うように思います。長澤さんは、どんなふうにこの言葉を使っていますか。

 

長澤 法政大学の坂本旬教授は、メディアリテラシーを「民主主義社会におけるメディアの機能を理解するとともに、あらゆる形態のメディアメッセージへアクセスし、批判的に分析評価し、創造的に自己表現し、それによって市民社会に参加し、異文化を超えて対話し、行動する能力」と定義されています。こちらは、ユネスコの定義とも合致している、世界的な「メディアリテラシー」の定義と言えるでしょう。

 メディア研究所では、それを踏まえて、メディアリテラシーの3つのポイント、ということを伝えています。1つ目は、クリティカルシンキングの力をつけること、2つ目は、すべての情報は再構成されている(切り取られている)ということを普段から意識しておくこと、そして3つ目は、メディアについての知識を身につけること、です。

 メディアリテラシーは、よく誤解されますが、情報の真偽を見抜くことではありません。それは正確にいうならば「情報リテラシー」です。真偽を見抜く情報リテラシーも、メディアリテラシーを広くとらえるのならば、その中に入れてもいいのですが、真偽を見抜くのは難しいことが多いです。真偽がわからない情報に接したときには、立ち止まって考えることが大事です。クリティカルシンキングを「批判的思考」と訳すと、「(相手を)批判したり非難したりする」ことだと誤解されることがあるので、研究所では「吟味思考」と訳しています。情報をじっくり吟味して、じっくり考えてみようというのです。

 

――情報をじっくり吟味する、というのは具体的にはどんなことですか。

 

長澤 例えば、SNSで、「ある芸能人が、こんなひどいことをしていた!」という情報が友達から流れてきたとします。それを見て、「え!?それはみんなにも知らせないと」と、LINEで他の友達に知らせる、家族に「知ってる?あの芸能人、こんなことしてたらしいよ」と伝えるとしたら、それは情報を吟味せずに鵜呑みにすることです。吟味する場合だと、同様の情報が流れてきた時に、そのまま信じるのではなく、立ち止まって考える。「この情報のソースって、どこなんだろう?そのソースは信用できる相手なのだろうか。他の報道でも出ているのだろうか」など。もしもそこで答えが出なかったら、一旦保留しておくことも重要です。いつでも、誰でも事実にすぐに辿り着けることなんて、なかなかないですよね。すぐに答えに辿り着きたい、という気持ちと態度が、情報を鵜呑みにしていくことに繋がってしまうと思うので。世の中に真偽がわからないグレーな情報は多いので、そうしたあいまいな情報は、あいまいなままにしておいていいので、少なくとも人にシェアしないということが大切だろうなと思います。

 

フェイクニュースを見抜くには

 

――最近、テイラー・スウィフトさんの性的なフェイク画像が流れたことが話題になりました。Xに投稿され削除されるまでに4500万回も閲覧されたそうです。面白半分のいたずらかもしれませんが、2020年の大統領選でバイデン支持を表明したスウィフトさんの動向にトランプ陣営は神経質になっているので、スウィフトさんを貶める政治的な策略の匂いもします。ウクライナ戦争では、AIによる偽ゼレンスキー大統領の降伏宣言が流れました。AIはフェイクニュースをふやす可能性があると指摘されています。その対応策はありますか。(下の写真は、テイラー・スウィフトさんのフェイク画像とSNS「4チャン」との関連を指摘した2024年2月5日のニューヨーク・タイムズの記事)

長澤 生成AIが発達するにしたがって、フェイク画像や動画も増えているので、それを見抜く検出ツールも開発されています。しかし、これもイタチごっこですし、こうしたツールを誰もが使いこなせるわけでもありません。とても精巧なため、検出ツールでは見破れないフェイクも出てくるでしょう。

そうなると、重要なのは情報に向き合う私たちの態度だと思います。全ての情報に対して「吟味」する必要はありません。疲れてしまいますから。ただ、「あれ?」と思う情報、もしくは感情が揺さぶられるような情報に接した際に、「立ち止まって考える」、「鵜呑みにせず、吟味して、多角的に考える」ことを身につけておけば、フェイク情報の拡散に加担するようなことはなくなります。また、自分がフェイクニュースに騙される可能性がいつでもある、と思っておくことも重要です。「自分は絶対に騙されない」という根拠のない自信は、目を曇らせてしまいます。

 

 国際大学グローバル・コミュニケーション・センターの調査によると、メディアリテラシーの高い人(*メディアメッセージの構成性や、メディアの商業的性質についての質問から成る設問への回答から算出)ほど、コロナワクチン関連・政治に関する偽情報・誤情報を「誤った情報」と判断し、情報を拡散しないという傾向が見られた、とのことです。

 メディアリテラシーさえ身につければ、誤情報をほとんど見抜けるようになるといった「万能薬」ではもちろんありませんが、このフェイクニュースがはびこる時代において、ある程度の「護身術」になるのだと思います。

 国際大学グローバル・コミュニケーション・センターが2022年4月に発表した報告書「我が国おける偽・誤情報の実態の把握と社会的対処の検討」は、コロナワクチンなどについての偽・誤情報の実証分析をしています。それによると、メディアリテラシーが高いと、偽・誤情報を誤っていると気づく傾向が顕著にみられたとして、メディアリテラシーや情報リテラシー教育の充実を提言しています。

https://www.glocom.ac.jp/wp-content/uploads/2022/04/2021IN_report_full.pdf

 

――2020年の米大統領選では、投票の集計で大規模な不正があったというトランプ氏の根拠のない主張が多くの共和党員には真実として受け取られ、いまもそう信じている人たちがたくさんいます。こうした事態を防ぐには、ファクトチェックが重要ですが、メディア不信が強い中で、この役割はだれが担うべきでしょうか。

 

長澤 メディアリテラシーには、情報に向き合う態度やスキルを高めることが重要で、ファクトチェックは、情報の真偽検証をするのに必要です。とはいえ、本格的なファクトチェックは、とても難しいことだと思います。海外では、非常にたくさんのファクトチェック組織が活動しています。

日本だと、ファクトチェック団体の数がとても少ないです。その明確な理由はわかりませんが、日本では、新聞社や放送局の取材機能がしっかりと働いていて、人々の新聞やテレビなどのメディアへの信頼度も欧米より高い傾向にあります。なので、もしかしたらファクトチェックを求める声が海外ほど高まっているとはいえないかもしれません。

ただ、新聞やテレビが報じず、SNSでフェイク情報が流れるケースも多いですから、やはりフェイク情報は社会課題となってきています。能登半島地震でも、現場を混乱させる虚偽情報が流れました。ファクトチェックの重要性はますます高まってくると思います。

 

――生成AIを使った岸田首相の動画像が流れたときには、新聞もテレビも報じましたが、「こういうフェイクニュースが流れています」というニュースをいつも報じてくれるわけではありませんね。

 

長澤 「担い手」の話ですが、マスメディアの記者は、事実確認をする技術を習得されていますから、ファクトチェックとの親和性は高いと思います。実際に、日本でも地方紙やブロック紙も含めたいくつかの新聞、さらにはネットニュースなどでも「ファクトチェック」を記事として掲載しているところもあります。こういう分野は、マスメディアがもっと力を入れてほしいと思います。

 これはメディア側の努力ですが、情報の受け手も「怪しいな」と思う情報が流れてきた場合には、拡散したり、「いいね」をしたりする前に、ちょっと立ち止まることが大切です。アメリカの図書館協会は、CRAAPテストという情報のチェックリストを作成しています。法政大学・坂本先生は、それを日本語訳した「だいじかな」リストを提唱しています。

 

 だ だれ? この情報は誰が発信したか?

 い いつ? いつ発信されたのか?

    じ 事実? 情報は事実か?参照はあるか?

    か 関係? 自分とどのように関係するか?

    な なぜ? 情報発信の目的は何か?

 

 

――なるほど、どれも大事ですね。「参照はあるか?」というのは、ほかの情報源がどう伝えているか、あるいは伝えていないかをチェックすることですね。

 

長澤 他には、「横読み」という方法もあります。一つのサイトを上から下までスクロールしながら読むのが「縦読み」ですが、「横読み」は、検索をして、出てきた結果を上からどんどんタブで開いていく。タブで様々なサイトを開いていき、情報や情報源を横に並べてチェックするのです。

 

 

メディアリテラシー教育

 

――そういう習慣を身につけるには、教育が大事ですね。

 

長澤 高校・大学などで、ファクトチェックの方法を教える授業があってもいいと思います。それがあれば、真偽検証の大変さや大切さを理解できると思いますし、ファクトチェック組織への理解やリスペクトはもちろん、事実確認を日常的に行なっているマスメディアの仕事への理解にも繋がります。農業体験で米作りの大変さを知ると、お米の大切さがわかるようになるのと似ていると思います

 

――海外のメディアリテラシー教育は、進んでいるのでしょうか。

 

長澤 欧州やカナダ、とくに北欧では教育にメディアリテラシーを積極的に取り入れています。カナダでは、メディアリテラシー研修を受けた教員らに初級・中級・上級などの資格を与えています。一方、米国でも、ニュース・リテラシー・プロジェクト(NLP)などの非営利団体が教育に力を入れています。

 

――長澤さんはメディアリテラシー教育に取り組んでいるそうですが、具体的にどんな活動をされていますか。その効果はありますか。

 

長澤 私たちの研究所(SMRI)は、メディアリテラシー教育の促進に取り組んでいます。設立当初は、学校への出前授業を中心に活動を行なってきました。ただ、私たち研究所のマンパワーでは限りがあるし、日本のすべての学校に届けることは難しいです。そこで、最近は、日々子どもたちと接している先生方に対して、メディアリテラシーについて伝えていく、という形に切り替えました。私たちの出前授業は1回限りなので生徒たちは忘れてしまうかもしれませんが、先生がメディアリテラシーを習得すれば、生徒に対する効果は、ずっと続いていく可能性が開けてくるからです。

 長野県教育委員会と協力をして、学校の先生方を対象とした研修プログラムを作成し、教員向けの悉皆研修を実施しています。

 また、学校の先生方が授業で利用できる教材を、研究所のHPで無料で提供したりしています。また、社会人向けにも研修や講演を行ったり、メディアリテラシーについてわかりやすく伝えるテキストブックの編集にかかわったりしています。『メディアリテラシー 吟味思考(クリティカルシンキング)を育む』(2021年、時事通信社)という本ですが、すでに3刷まで来ています。(下の写真は『メディアリテラシー』)

――SMRI以外のメディアリテラシーへの取り組みは、どうですか。

 

長澤 もちろん私たちだけではなく、さまざまな研究者、メディア関係者、教育関係者が「メディアリテラシーの重要性」を訴える声をあげ、その身につけ方についても伝える努力をしています。

また、埼玉県戸田市の教育委員会は、教育について先進的な取り組みをしていることで有名ですが、私たちも戸田市教育委員会と連携し、メディアリテラシーの効果測定を行いました。小学5年を対象にしたのですが、メディアリテラシーの授業(合計7回)を行う前と後で、効果測定のテストをしたところ、メディアリテラシーの授業を受けた児童のほうが、クリティカルシンキングの力が伸びているという結果が出ました。

 

――教育が重要なことはわかりましたが、学校教育でメディアリテラシーを取り入れるとなると、学習指導要領に取り入れることも必要ですね。先生たちは学校教育にタブレット端末が使われるようになり、メディアリテラシーの重要性や必要性を認識していると思いますが、学習指導要領に入っていないと、なかなかそれに時間を割くことができません。

 

長澤 今のところ、文部科学省は、メディアリテラシーを学習指導要領にしっかりと入れることには消極的なように思えます。一つには、メディアリテラシーの定義や目指すところが、論者によっていろいろと違っているということもあるのかもしれません。また、学校で教えなくてはいけないことが多すぎて、新しく「メディアリテラシー授業」という特別な位置付けを行うことは難しいのかもしれません。

 前出の書籍「メディアリテラシー 吟味思考を育む」の中で、文部科学省(当時)の、合田哲雄さんが「学校全てがメディアリテラシー」とおっしゃっています。確かに、どの科目授業でも、生徒指導でも、メディアリテラシーは取り入れられると思うのです。

 戸田市との取り組みでは、国語、理科、社会、算数、道徳の教科授業の中に、メディアリテラシーのエッセンスを取り入れた授業を実施しました。

特にメディアリテラシーの中核であるクリティカルシンキングの「多角的に、熟慮して情報に向き合う力」は、どのような場面でも重要ですし、普段先生たちが授業や生活指導で伝えていることと通じているのではないか、と思います。なので、先生たちに、メディアリテラシーとは何か、どう授業に取り入れるのかを理解していただけたら、現場から浸透していくのでは、と考えています。(下の写真は、メディアリテラシーの授業風景=長澤江美さん提供)

 

――誤った情報や言説で社会が混乱したり、戦争になったりしたあとで、メディアリテラシーは大事だと気づいても間に合いませんね。あらためてメディアリテラシーの重要性を認識するとともに、長澤さんたちの活動が広がっていくことを期待したいと思います。本日は、ありがとうございました。

(冒頭の写真は長澤江美さん=長澤さん提供)


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