首相談話の有言実行
内外から注目されていた戦後70年の首相談話を安倍首相が発表しました。
当初、今回の首相談話は、安倍首相の歴史観を反映して、戦後50年の村山談話、60年の小泉談話で示されていた「侵略」の歴史やアジア諸国に与えた苦しみに対する「おわび」という言葉をはずし、「自虐史観」ではない歴史認識を示すものではないかと見られていました。しかし、実際には、「侵略」や「おわび」という言葉が入っただけでなく、「こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎない」として、これまでの内閣の考え方に変更がないと明言しました。
「侵略」という言葉は入ったが、朝鮮半島の植民地遅配や中国大陸への侵略について、「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」という村山談話ほどの明快さがない、という批判はできると思います。また、「おわび」も歴代内閣の立場の踏襲であって、安倍首相自身のおわびの表明とは違うという見方もできると思います。
しかし、そういう批判をすると、安倍首相は近隣諸国や米国の圧力に対してがんばったのだという評価を一方で与えることにもなると思います。むしろ、私たちが認識しなければならないのは、「戦後体制から脱却」をめざす安倍首相も、世界の中で生きる日本の首相である限り、歴代内閣の立場を踏襲するとしか言えないということだと思います。
今回の首相談話に対して、村山談話などと比較して「後退」を指摘することはできるでしょうが、この談話に盛り込められた歴史認識は、保守派である安倍首相でさえも認めたものだということが大事だと思います。
これまでの談話よりも、「前進」したものもあります。「私たちは、20世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい」という部分です。
ここで言及されている女性には、朝鮮半島などからのいわゆる「従軍慰安婦」も当然、ふくまれるはずです。「心に寄り添う」とまで言っておきながら、韓国人などの旧慰安婦に対して、「問題は解決済み」とは言えないでしょう。この問題で、これまで通りの立場を通そうとすれば、「言行不一致」という批判を韓国などから受けることになると思います。
安保法制をめぐり、内閣支持率は下落、このままでは自民党の総裁選も安泰とはいえなくなっています。そこで、首相談話を支持率好転のきっかけにするとともに、日中、日韓首脳会談を実現させる、という政治的な思惑があるのは明らかでしょう。
首相談話への国民の評価は高いと思いますが、だからといって、安保法制も容認とはならないと思います。集団的自衛権の行使を容認することによって、日本が米国の戦争に加担し、戦争に巻き込まれる危険が出てくるという認識が変わるわけではないからです。
首相談話で予想された危機は回避できたと思います。しかし、これから中国や韓国から迫られる談話の「有言実行」をどうするのか、また、安保法制や原発再稼働に対する国民の批判にどう対応するのか、そう簡単に安倍人気のV字回復は望めないと思います。
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