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亡国のカジノ法案

2016.12.11 Sun
社会

安倍内閣は、何が何でもカジノ法案を成立させる構えのようです。カジノはいうまでもなく賭博(とばく)で、日本では刑法で違法行為とされています。

「賭博をしたる者は、50万円以下の罰金又は科科に処する」(刑法185条)、「常習として賭博をした者は、3年以下の懲役に処する。賭博場を開張し、又は博徒を結合して利益を図った者は、3月以上5年以下の懲役に処する」(刑法186条)と、明示されています。

もちろん、この法律が時代に合わないというのであれば、法律を改正すれば、いいと思います。しかし、賭博の公認というのは、国民の生活だけでなく、その国柄や国民の価値観にもかかわる問題ですから、それには国民的な合意が必要ですし、国会での慎重な議論が必要です。おざなりの審議や強行採決ですませるような事柄ではないはずです。

日本は、競馬、競輪、競艇、オートの公営ギャンブルを認めています。競馬は戦前からあったようですが、公営ギャンブルが広がったのは戦後の復興資金を得るためで、いわば復興のための必要悪という位置づけでした。しかし、バブル経済の崩壊以降、ギャンブルに費やされるお金は減っているようで、競輪、競艇、オートの売上高のピークは1992年度、競馬は1997年度で、その後、低下の一途をたどっていました。

最近は、夜のデートコースとして宣伝効果やインターネットを通じての販売、さらには「三連単」など高い配当が期待できる投票券の導入で、売り上げは持ち直しているようですが、かつてのようなにぎわいはないようです。2015年度の公営ギャンブルの売上高は4兆7553億円で、ピークだった1992年度の8兆7960億円に比べると、ずいぶん落ち込んでいて、公営ギャンブルを開催する地方自治体のなかには、運営が重荷となり、撤退しているところも出ています。

若い世代のギャンブル志向も、スマホゲームの浸透などによって減っているようで、学生と話をしていても、パチンコにはまっている、という学生は、私の学生時代に比べると、ずいぶん減っているように思います。それでも日本生産性本部の「レジャー白書」によると、パチンコ・パチスロなどのゲーム、競馬や競輪などお公営ギャンブル、宝くじなどを合わせた2015年の売上高は29兆円で、日本人のレジャーのなかで、王座の地位を保っています。日本のレジャーを支えているのはギャンブルだと言われると、悲しい気持ちになりますが、一時よりもギャンブルをする人が減っていることは、社会全体としては、良いことだと思います。カジノの導入は、こうした良い流れへの逆行であることは明らかです。

レジャー白書に計上されたギャンブルの約8割がパチンコ・パチスロだそうですから、日本のギャンブルの主体は、公営ギャンブルではなく、民営ギャンブルのパチンコだと言えそうです。それなら、カジノに目くじら立ていることもないようですが、賭博そのものであるカジノと比較すると、パチンコは賭博もどきで微妙に違います。

パチンコは賭博ではないので刑法の賭博罪には触れない、という建前を通すために、パチンコ玉で交換できるのは景品だけであり、お客はパチンコ店とは関係のない景品の交換所で現金に変えている、ということになっています。一方、カジノは、現金をチップに替えてルーレットなどに賭け、勝ったチップはそのまま現金に交換できます。パチコンの景品換えの後ろめたさというか、面倒くささがないわけで、まさに政府公認の民営賭博です。

歓楽街でそっと開かれているという違法カジノがけしからんのは、法律違反だから、ヤクザの資金源になるから、という理由だけではなく、ギャンブルそのものの非道徳性もあると思います。バドミントンの有力選手たちが違法カジノでバカラ賭博をしていたことが発覚し、リオ五輪出場を絶たれるなど厳しい処分が下されたのは、青少年の社会的なモデルとなるべきスポーツ選手が賭博に興じていたことへの社会的な批判も背景にあります。

カジノを公認するということは、賭博の非道徳性は問わない、ということになるわけで、なぜ、そこまでするのかというか、なぜそこまで日本の品性を落とさなければならないのか、という気になってしまいます。「美しい日本へ」というのが安倍さんのモットーだったはずですが、カジノを導入することが「美しい日本」なのでしょうか。

カジノで発展したラスベガスは、もともと砂漠のなにもない町でした。カジノだけでなく、いろいろなショーなども楽しめる観光都市で、私も米国に住んでいるときには、観光だけでなく、見本市などの取材で出かけたことがあります。すから、沖縄や北海道が経済発展の目玉にカジノの誘致をという事情はわからないでもありませんが、大阪や横浜や東京がカジノを経済の起爆剤というのは、情けない気がします。

カジノを観光の目玉に、というのが導入を求める政治家たちの言い分です。しかし、日本の美しさは、寺院仏閣などの建物や自然の風景、さらには「おもてなし」の心にあるはずで、カジノが日本観光の目玉というのは、日本の美しさに対する冒涜のようにすら思います。

カジノ導入のための政治家への積極的なロビイングは、内外のカジノ資本や建設業者などから、行われてきたようですが、カジノ推進派の政治家も、自分の子どもがパチンコや競輪、競馬にはまっていると知れば、ほどほどにと渋い顔をしたのではないでしょうか。カジノ通いの自分の子どもには、日本経済の発展に尽くしていると、ほめるのでしょうか。復興などの「必要悪」だった賭博を、経済発展の「必需品」に変更していくことが国民の価値観(道徳観)を変えるという意味合いを考えているのでしょうか。

そう批判されることへのうしろめたさがあるのか、推進派が真っ先に掲げるのは「外国人観光客」です。外国人であれば、カジノでお金を巻き上げても文句はないということでしょうか。旧約聖書には「異邦人には利息を取って貸してもよい。ただ兄弟には利息を取って貸してはならない」(申命記)というくだりがありますが、異邦人に対しては、同胞への道徳律は適用しない、という考え方は、偏狭なナショナリズムというか外国人差別を助長するようにも思えます。

マカオのカジノ地域を取材したことがあります。北朝鮮の偽ドルがカジノでマネーロンダリングされているという疑惑を調べるためで、取材協力者に「これ以上、教えると自分の命にかかわる」と言われたこともあり、とても疑惑の核心に迫ることはできませんでした。それでも、マカオと平壌を結ぶ航空路で北朝鮮の外交官がカジノに出入りしていたこと、カジノのマネーを扱っていたとされるマカオの銀行が大量の偽ドルを米国に還流させた疑いで摘発されたこと、などの話を聞くことができました。

カジノがマネーロンダリングには有効で、偽札に限らず、脱税や賄賂、犯罪などで隠し持った現金も、カジノでもうけた、という言い訳を可能にするということは理解できました。また、マカオのカジノ街には質屋がずらりと並んでいるのですが、そのショーウインドウに飾られていた貴金属や時計などの豪華さと多さに目を奪われました。勝っても負けても「健全な娯楽」にとどめる人が大部分かもしれませんが、自制心を失って、借金を重ねたり、自分の持ちものを質に入れたりという人がいるのもまた事実です。

「喫煙は、あなたにとって肺がんの原因の一つとなります」という注意書きを付けて売られているタバコ、「無理のない返済計画を」とうたう消費者金融の広告は、私には戯画のように思えますが、カジノの入り口にも「カジノは、あなたにとってギャンブル依存症の原因のひとつになります」という注意書きが貼られるのでしょうね。

カジノについての世論調査では、反対論のほうが多いそうですが、それをやみくもに推進する内閣への支持率は高い水準を維持しているようです。株も高くなっているし、景気が上向くなら、安保やカジノで大騒ぎすることもない、ということでしょうか。国民の「アベノミクス依存症」は、なかなか治りそうにありません。


この記事のコメント

  1. 高成田 享 より:

    亡国カジノ法案が成立しました。賭博を公認するような法律を通すことが日本の経済発展に必要というのなら、そんな国が「美しい国」であるはずがありません。ひとりのギャンブル依存症の周りには、多くの家族の苦しみがあります。人々の涙でつくる水晶宮の哀しさに、政治家たちはいつ気づくのでしょうか。

  2. 和之進 より:

    だったらパチンコこそ亡国の行為。廃止しましょう。

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