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「リベラル」という病 を批判する、新進気鋭の政治学者岩田温氏の著作

2018.03.10 Sat
社会

「リベラル」という病 を批判する、新進気鋭の政治学者岩田温氏の著作

平成30年 2018 3月
仲津 真治

所謂「リベラル」と言われる人々が日本には結構おり、それは世界的に見て、奇怪な現象を呈していて、其処に「知性」が感じられないとする若手政治学者「岩田温氏」の本(書名「リベラル」という病 彩図社 平成30年2月刊)を読みました。著者によれば、例えば、「憲法第九条こそ大切で、その遵守こそ日本の平和を保つ」とするような主張などが其の典型であり、「日本自身の防衛努力や安保条約による支えや抑止などを考えに入れない立場を採っている」と著者は鋭く批判し、現実を考慮しない其の姿勢を、「知性を欠く」として、括弧付きの「リベラル」と呼んでいる由です。

因みに、著者は昭和58年の早稲田大学政経卒で、現在大和大学専任講師の由ですから、私などより随分若い研究者の様です。学者らしく、広範に専門書や各種文献を実に良く読んでいますね。

以下、この著作の中から、これまで私が余り接することが少なく、しかも成る程と思う論点を中心に、本著に現れる順に、ところどころ引用しつつ幾つか記したいと思います。

1) フィリピン近海で最近起きたこと。

「リベラル派」は、近年、フィリピンが憲法の書き換えによって米軍を撤退させた事を礼賛していますが、その後のチャィナの軍事的膨張をみれば、米軍の撤退が果たして戦略的・戦術的に考えてフィリピンの国益にかなっていたのかは、極めて疑わしいと言わざるをえないとしています。

これについて、著者は、フィリピンが実効支配していたミスチーフ礁やスカボロー礁をチャイナに奪われたのは、米軍の撤退と無関係ではあるまいと慎重な言い回しながら、事態の本質を突いています。

比憲法が変わっておらず、従来通り、米軍の駐留が続いておれば、チャイナがフィリピンの一部の島々に実力進駐するなど考えられなかったに違いありません。

ことに、彼の国を訪れ、米軍撤退後のスービック海軍基地跡やクラーク空軍基地跡を見学してきた私などには、切実感をもって、状況の変化したことが響いて参ります。

2)  マルクス主義がレーニンに継承され、マルクス・レーニン主義へと変化した
ことの意味

それは、端的に言うと、斯く変化したからこそ、「ロシア革命」が起きたと言う事になりましょう。

マルクスは、純然たる分析や理論を綴った著作を著し、それをもって、革命の
意欲を沸き立て、共産主義への夢を膨らませ、自らの正しさを確信させることを可能にしましたが、革命を具体的に実現するために決定的に必要な「力」の思想などに欠けていました。 その思想は、レーニンの尋常ならざる「力の思想」と邂逅して、初めて現実を動かしたのです。 所謂ロシア十月革命の勃発です。

ただ、その革命の条件、熟度、時期については、客観的に記述できず、情況をよく見て、時期を見定め、蜂起することで初めて、客観的な条件が明らかになると言います。 要するに、此処だと言うときに、力を結集・動員し、事をやってのけたのです。

この事から、ソ連共産党最後の書記長であるゴルバチョフソ連大統領は、ケレンスキーの同年のロシア二月革命こそ、帝政打倒の諸条件の熟した解放の革命であって、1917年十月のボルシェビキ派による事変は、単に同派による力の行使つまり権力の奪取ではないかと懐疑的に見るようになっているようです。 これは、その後1926年に出来たソ連という体制が結局崩壊、大失敗に終わったため、ケレンスキー革命の段階に止まっておれば良かったのに、と言う持戒・反省の弁なのかも知れません。

現に、十月革命を、単にレーニン派によるクーデターとみる捉え方も、研究者の間では有力になりつつあるようです。

3)  「前衛」としての「共産党」

「共産主義の主要な潮流」という著作のあるコワコフスキによれば、自然発生の労働運動では必然的にブルジョワ意識を有しているとしたレーニンは、「人民、労働者を導く、前衛としての党、即ち、共産党の重要性を説いた」と言います。

こうした考え方の下に、、レーニンはボルシェビキ即ち共産党を作り、所謂「十月革命」をやってのけ、事を成し遂げたのです。

この党を前衛とし、労働者を指導するというレーニン主義のは核心は、人々に
解釈の自由を与えず、思想的正しさの下で一つの力強い指針を示し、強固な結
束を強要することでした。斯く異論を排除するレーニン主義の前衛党思想が、
独裁を招くのは当然でした。共産主義の理想や理念の前には、独裁もやむを得ないどころか、当然とされました。また、異論を排除する所からは、富農とされた人々始め、人民の敵や階級敵のみならず、単に意見を異にす事や個人的嫌悪からでさえ、収容所に送られ、犠牲者を多く出すこととなりました。革命の大義の前には、少数の犠牲が容認されるのです。そして、実際には犠牲者は少数に留まりませんでした。

良く認識すべきは後年、共産党の実権を握ったスターリンが政敵などを次々と倒して初めて、独裁を打ち立てたのでは無く、もともと共産党やその指導の下に出来る体制自体に、独裁が内在していたのです。 其れは、レーニンに始まるものでした。

確かに、スターリンは恐ろしい独裁者で、其の酷さに絶句しますが、元はレーニンの敷いた路線や彼が原型を作った組織体制に在るのです。

4)   確かに事は為されました・・・夥しい犠牲を伴って・・・

レーニンは、ロシア革命により、恐るべき全体主義国家を創建しました。 過去誰もなし得なかった事を実現したのです。

ただ、同じような事はヒトラーについても言えるでしょう。ヒトラーは歪んだ人種的偏見に基づいて、ユダヤ人などを次々と殺戮する全体主義国家を作り上げました。その意味ではナチス・ドイツも過去には無かった国家体制を構築したのです。

こうしたことは、二度と繰り返されてはならず、その犯罪性は、国際的に糾弾
されています。

しかし、レーニンに始まる共産主義は、旧ソ連と言う国家に限らず、地の国家でも、また、国家外でも国際共産主義運動において、夥しい犠牲者を生み出して来ています。その数はこれまでの所、約一億人に達すると言われます(クルトワ外の共産主義黒書による)。そして共産主義体制は、なお、この地上に在り、続いているのです。

懸かる共産主義の経緯や実態は、良く認識されるべきでしょう。

5)   「リベラル」に在る悩ましい問題

著者が、所謂「リベラル派」について悩ましいとしているのは、いろいろ在りますが、ひとつは、所謂「リベラル派」がこの共産主義について、かなり融和的なことです。

現に、「リベラル派」については、その中に共産主義的な人々が結構存在するのが明らかと申します。

また、著者が分からないとしているのは、日本の現政権が、「言論弾圧をして
いる」ことは無く、「強制収容所を設置・管理している」ことも無いのに、
「リペラル」派が現政権をファッショや全体主義的としていることです。一体、何を根拠にしているのでしょう。

6)  民主主義・議会主義と言う選択枝

著者は、独裁や全体主義、共産主義などを否定し、また、軍政などを採ってはならないとする一方、路線としても革命型ではなく、漸進主義を採るべきとしています。 基本的に賛成できる所です。 そして、具体的には、穏健な自由主義者で、社会民主主義者でもあった戦前の思想家「河合栄治郎東大教授」の考え方を範としている様です。

そして、それは、「多数の意思は愚かなることも在り、決して理想的な方法ではないが、現実に考えられる最良の決定方法でしょう。」という民主主義の意思決定を採用すべしとする考え方です。 それは、現実には議会主義や自由選挙と言う事になりましょう。 それは、日本や西側諸国など多くの国で採られている方式です。 何故か。 外に代替案が存在しないからです。

現にチャーチルが言っています。「民主主義は悪い政治制度だ。 でも、他はもっと悪い」と・・・。

他方、こう言う見解もあります。 チャィナで共産党体制の下、詰まるところ鄧小平から外され、軟禁状態に在った趙紫陽元総書記が最晩年国外に流出された著作の中で、「議会制民主主義こそ、人類の到達した最高の政治制度だ」としている事です。

共産国の元最高権力者でこの言在り、良く噛みしめねばなりません。大切なことです。

また、民主制とは原理も仕組みも違いますが、所謂「三権分立」も優れた権力
抑制の思想・制度であり、民主制とともに広く採用され、機能しています。

7) 日本で「リベラル派」がつよい分け・・・補論

そこには、戦後、進駐軍が陰に陽に採用したというWGIPの残影があるかも知れませんね。 著書は触れていませんが、それはアングロサクソン流の分断統治の手法で、戦争有罪意識改革計画とでも訳すべきもの。  日本で、戦後左派が強くなったのは、進駐軍による育成の所産で、要はGHQが日本国内に強い反対勢力や批判派を醸成されるように仕向けたというものです。未だにそうした傾向が続いているとすると、実に、根深いものが在りますね。


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