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沖縄の旧石器時代が熱い!

2018.04.30 Mon
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1) 小ぶりな企画型展示

国立科学博物館が、特別展示でなく、かといって常設展とも異なる、
小振りな企画型展示を行っています。 其のテーマは「沖縄の旧石器時代が熱い! 」と言うもので、「之は面白そう、是非」と思い、時間を見つけ、東京上野へ足を運びました。

2)日本の古代の始まり

ところで、私どもが高校教育で教えられていたことは、ずばり言うと、「日本には旧石器時代は無かった」とされ、新石器時代に該当する「縄文時代次いで弥生時代」が古代日本の始まりとされていたように思います。 しかし、昭和35年(1960)4月の恩師の授業中の附言に寄れば、「実は、近年群馬県の岩宿と言うところで、古い地層から遺跡(約二万二千年前)が見つかり、それが旧石器時代のものと判明しつつあります。今後の調査・研究成果が期待されるところです。」というのです。 この言が、実に良く今でも印象に残っています。「日本の古代:縄
文・弥生 されど、その前のことも」と言う捉え方ですね。

聞くところによれば、その後、岩宿のみならず、全国各地で発掘などによる知見が広がり、旧石器時代の実在が確かなものとなり、日本旧石器学会も出来て、日本の古代のイメージは大きく変わってきたようです。

そのなかで、沖縄での旧石器時代のことも知られ、関心が高まり、熱くなって来たのです。

3)  琉球列島の旧石器時代の遺跡

琉球列島にホモ・サピエンス即ち「ヒト」がやって来たのは、約三万七千年前とみられます。 奄美大島、徳之島、沖縄島で、この現世人類の遺跡が報告されています。その中で、最も古いのが、那覇市の山下町第一洞穴遺跡で、其処では約三万六千五百年前の日本最古の人骨が発見されている由です。この例を始め、石灰岩は人骨を守ると謂われており、各地で化石人骨が多く見つかるようになりました。併せて、ヒトが食した魚貝類や動物の遺骸も多く発見されています。確かに旧石器人が暮らしていたのです。

4)   港川遺跡

そして、有名になったのは、沖縄の港川遺跡です。 地元の実業家で化石研究家でもあった人が発掘、調査の端緒を開き、人類学、古生物学、地質学などの研究者からなる本格的な遺跡調査団が編成され、昭和43年~49年にかけて大規模な調査が行われました。更にその後も研究が続き、大いに成果が上がっている由です。

中でも、港川フィッシャー(割れ目)では、最下層から約一万九千年前のヒトの骨全身骨(港川一号)や猪や鳥の骨が見つかったのを始め、上に上がるに従って、各層から、時代の新しくなった化石などが発見されている由です。何と、このフィッシャーの最上部からは縄文土器が見つかっており、年代としては、約九千年前と推定されているとのことです。

つまり、このフィッシャーは旧石器から新石器の斯く時代の長きに亘って利用されており、その蓄積を記録しているのです。

推定された港川人の復元像は計五体在り、それぞれ個性・特徴がありました。最近の研究によれば、旧石器人は、縄文人や現代日本人とは異なる特徴を有している由ですが、素人である私などからみると、この五体の何れにも似たような風貌の、今の日本人を見かけそうな感じがします。 十人十色とも言いますが、東洋人としての共通性は在りそうですね。

5)  サキタリ洞遺跡と釣り針

サキタリ洞と言う遺跡では、約二万三千年前の釣り針が発見されています。貝から作ったもので、半月形をしていました。旧石器の古き時代に、斯くまで優れた道具を、ヒトは工夫創作していた
のですね。 ただ、所謂返りは、まだ在りませんでした。

似たような古き時代の釣り針リの例としては、東ティモールが
ある由です。

なお、食事に関わる遺跡としては植物性のものは在りませんでした。
やはり、沖縄は海洋に囲まれた島嶼だからでしょうか。

それから離島にも旧石器の遺跡が見つかっています。

6)  常設展と併せてみて、本土との対比

斯く、旧石器時代の遺跡は、沖縄にも日本本土にも在るわけですが、
両者の間の繋がりについてはどうでしょう。
常設展も見て、アマチュアなりに検討しますと、沖縄などの琉球列島と本土は、大雑把には別々の流れで大陸からヒトが渡来し、各々の旧石器時代へと入った
ようです。

そして、ともに土器の時代である縄文時代に入っているようですが、そのうち北海道は、そのまま、其処に居た人々がそのまま縄文時代の延長時代を過ごした由、所謂アイヌ人となっています。

一方、北海道以南の内地は、西南から順に弥生化し、農耕豊かな、所謂弥生時代へと展開して行ったと見られます。

他方、沖縄などが縄文時代のあとどういう展開を見せたのか、更なる調査・研究が期待されるようですが、これについては、沖縄にもアイヌ人の末裔が居るとの仮説を聞いた事があります。 でも、これはどうやら違うようです。

旧石器の時代から芽生え、盛んとなっていた、世界的にも例が少ない貝石の文化が沖縄などで、どう発展していったのか、関心が持たれるところです。 渡来人や海洋性文化との接点が多々あったようですね。 現に会場で戴いた展示をまとめる資料でも、解かれるべき謎が多いと記されています。


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