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京大総長の著作「ゴリラからの警告」から、印象に残った幾つかのこと

2018.05.12 Sat
社会

京大総長の著作「ゴリラからの警告」から、印象に残った幾つかのこと

平成30年5月
仲津 真治

本著は、 「ゴリラからの警告」が本題で、「人間社会、ここがおかしい」と言う副題が付いていました。 愛くるしいゴリラの風貌が表紙に描かれていて、目を引きましたね。著者は著名な山極寿一京大総長で、約二百頁もあり、多忙な中、これだけ著作が書けると敬服致します。 以下、目から鱗の指摘や記述が多い中から、特に印象に残ったところを記します。

1) 食に関する、ヒトとサルの違い

我々人間のことを、生物学ではヒトと言うそうです。ホモ・サピエンスと言う種の由です。 ヒト以外の霊長類のことをサルと総称していると聞きます。元の漢字では通常「猿」と書きますね。

さて、このサルの日本列島での棲息に関して言うと、其処にニホンザルと言う種が棲みだしたのは、約43万~63万年前からと言います。 ヒトが大陸から渡ってきたのは、たかだか約三万年前とのことですから、彼らの方が遙かに先輩です。

人類学者である山極氏の観察に依れば、日本各地の山に出かけて、このサルを丁寧に観察すると、彼らがいかにうまく四季の素材を食べ分けているかが良く分かる由です。

そして、サルに近い身体を持ったヒトも、これらの四季の変化に同じように反応します。

然しながら、ヒトにはサルと違うところが二つ在る由です。
まず、ヒトは食材を調理して食べると言う事です。ヒトは、いろいろの創意工夫によって、食材を得やすく、食べやすく、美味にするノウハウを手にしました。斯くヒトは、文化的雑食者と言われる由です。日本人も、ニホンザルより、圧倒的に優れて多種多様な食材の入手者となったのです。

もう一つ、ヒトは食事をヒトとヒトを繋ぐ意思疎通や交流の場として利用してきました。

サルにとっては、食べることは自然の食べ物が限られているため、仲間とのあつれきを引き起こす原因になります。それを防ぐため、ニホンザルでは、弱いサルが強いサルに遠慮して、手を出さないルールが徹底としています。

他方、ヒトは一人でも食べられるのに、わざわざ持ち寄って共食します。其の萌芽が、サルより進化した、類人猿のゴリラやチンパンジーに見られると言います。

例えば、チンパンジーでは、力だけでは得られない、其の仲間での
地位を保つため、他の支持を得ようと肉の分配を行うようです。

2)  ヒトの脳が大きくなった分け

ヒトの祖先はチンパンジーとの共通祖先から別れたところから始まると言い、それは約七百万年前の事と推定されています。 ただ、その後も、脳はずっと小さいままで、約二百万年前頃に、やっとゴリラの脳の大きさ約五百CCを超えるようになりました。 その後、四十万年前から六十万年前に掛けて約三倍に増加、現代人の脳の大きさに達します。

では言葉を話すようになったのは、ホモ・サピエンス発祥の約二十万年前より、もっと後の約七万年前だと言われていますから、ヒトの脳の増大は言葉ゆえでない事になります。

このことに関し、ヒト以外の霊長類について、脳の大きさに関係しそうな特徴を調べて行くと、各々の種が示す集団の平均規模が、綺麗に正の相関を示すことが分かったと言います。つまり、集団の規模が大きいほど、即ち仲間の数が多いほど、脳が大きくなっていると申します。

この相関を現代人の脳の大きさに当てはめると、ヒトの脳の大きさ(約千五百CC)に対応する集団の規模は約百五十人と言う事が分かりました。面白いことに、現代でも、狩猟採集民の平均的な村の規模は、百五十人ほどと言います。

実際、私どもは、言葉・交通・通信・取引・通商・組織などにより、これより遙かに大きな社会で暮らしていますが、子供を一緒に育てるのに適し、長い間忘れることのない友人の数は、このくらいなのかも知れませんね。

人類学とは、こういうことまで研究し、明らかにしているのですね。

3)  研究者としての山極氏の問題意識と使命感

山極氏曰く、「霊長類学、即ち、サルや類人猿の観察を通じて人間を知ると言う学問は、京都大学が発祥です。欧米には野生の霊長類が棲息していません。動物と人間を連続的に捉える見方がキリスト教圏で育ちにくかったと言う背景も在りましょう。しかも、日本の霊長類学は全ての生物に社会があるという、欧米の思想ではとても受け容れられない考え方をもとに始まったのです。」

そして、創始者を「今西錦司」と記しています。
これは、特記したい大事なポイントですね。

私はかつて京大に在学し、当時、たまたま今西錦司博士の知己を得る
機会が在りましたが、法学部に在籍し、博士の講義を受けたり、教わることは在りませんでした。 古稀を過ぎた今、返す返すも残念に思います。遅いが今勉強していることになリます。

山極氏が入学したのは、私が卒業してからの事です。
その山極氏は、「アフリカで、ゴリラを中心にフィールドワークを行い、そのゴリラにサルよりもヒトを見た」と言います。

最近西洋でも、文明以前の時代に戻って、人間の本質を理解しようという動きが出始めていると言います。言葉も文明も持たない時代の人間を想像するには、ヒト以外の動物をヒントにする必要があります。しかし、残年ながら、西洋には、その学問の伝統がありません。

かくて、山極氏は、それこそ、「日本が育ててきた霊長類学が答えを出せる領域なのです。」と語るのです。

4)  争いはヒトの本性でない、農耕社会以降に表れたものとのこと

ヒトが槍を用いて狩猟を始めたのは、僅か四十~五十万年前の事と言います。ヒトが集団で大型獣を仕留められるようになったのは、約二十万年前に出現したホモ・サピエンス以降の事と申します。

ヒトが種を同じくするヒトに武器を向けたのは、約一万年前に農耕が始まって以来の出来事で、人類史約七百万年の中で、ごく最近のことと申します。この事から、山極氏は、戦争がヒトの本性とはとても言えないと言っています。
そして、食べるための狩猟と、自己主張の結果である戦争では動機が全く異なると言うのです。 後者の場合、相手がこちらの主張を認めれば、戦いの必要は無くなります。

農耕は土地の大きな価値を生みました。定住生活がヒトの暮らしの主流となりました。土地の境界が集団の境界となりました。斯くて、土地を守る組織が出来、ヒトの帰属意識は、より大きくなりました。その最たるものが国家ですね。国家は、その領域と国境で他の国家と区別されます。斯く、農耕の意義は大きいものがあります。

でも、交易、交通、情報・通信などや国際社会の発達は様相を変えつつあります。人々は、今さまざまな手段で越境し始めています。携帯電話やインターネットの普及がそれらを加速させています。 国家が或る領域を独占する時代は過ぎ去りつつあるようです。 それは、約六万年前に始まった現世人類の、地球規模の出アフリカの移動拡散を彷彿とさせます。

此の時代、山極氏は、地球土地の共有という新たな世界的ルールを
作ることを提唱しています。 その点、各国の割拠の無い南極大陸は参考になりますね。

5)  覚えてくれていたゴリラなど

山極氏は、そのゴリラが八歳の青年期のときに知り合い、三十四歳の老境なった時に再会して、そのゴリラが自分のことを覚えてくれていた感動的な体験を語っています。

じっと自分の顔を眺めている内に、老いた顔が子供顔になり、昔よくやった格好で仰向けに寝て見せて、周りの子供ゴリラと遊び出したと云うのです。動物にも記憶があり、言葉に拠らずとも、ヒトと共通の五感で支えられていることを教えられたと云います。

6)  キングコングのモデル

でも、このゴリラが19世紀に発見された頃は、そのイメージはまるで違っていました。暗黒大陸アフリカの奥地に棲む凶暴な獣と見なされたのです。初期の探検家がそう言うイメージで捉えました。

ヒトは物語を作ります。 それはヒトの持つ文化であり、言葉により生まれ、増幅され、共有されます。 言葉とは、大変な機能を持つのですね。

斯くて、ゴリラは猛獣と同じく狩猟の対象となりました。

遂には、ゴリラはキングコングのモデルとなったのです。私も子供の頃、こうし映画を何本か見た記憶があります。

発見後百年ほどして、野生ゴリラの調査が始まり、彼らが温和な性質を持ち、平和な暮らしをしていることが知られるようになりました。 すると、様変わりで、本格的な調査と観察が行われるようになりました。

其処には、山極氏始め、日本の果たす役割は大きく、その意義は大で、ヒトと動物を連続的に見て、動物にも社会性を見いだす、欧米と違う視点や捉え方こそ重要となるでしょう。


この記事のコメント

  1. 井上正雄 より:

    新自由主義がもたらした格差拡大は、強いボスの支配下でグループ形成するサル社会への回帰なのか。人類を滅亡させる危険性を貼らん武器を保有するこては、進化によってつくられら将来への予測能力の獲得がもたらす不安への対処なのか。武器を持たないことが安心をもたらす能力、つまり安心感を得るために武器放棄する進化が
    阻害される理由は何かを改めて考えさせられる。山極先生に感謝する。

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