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存在意義示した!?G7サミット

2019.08.27 Tue

 

フランスのビアリッツで24日から開かれていた主要7か国首脳会議(G7サミット)が26日、閉幕しました。27日の朝日新聞の1面の見出しは「G7 首脳宣言見送り」で、2面の解説記事の見出しは「G7 揺らぐ存在意義」でした。私の見方は全く逆です。

 

第1の理由は、G7の存在意義は首脳宣言を出すことではない、ということです。首脳宣言は、参加各国のシェルパと呼ばれる官僚たちが事前の打ち合わせで、先進国としての政策協調の成果をまとめるものですが、G7の存在意義は、そこにあるのではなく、先進国の首脳たちがいま、世界で起きている問題について、話し合うことにあります。

 

1975年のランブイエ・サミット以来、長い歴史を持つG7(第1回はカナダを除くG6、1998年から2013年まではロシアが参加したG8)のなかで、ちゃんとした首脳宣言が出されなかったのは初めてだそうです。その最大の理由は、自由貿易を基本とする先進国のなかで、旗振り役であるはずの米国が中国との貿易戦争で、関税の引き上げ競争という保護主義に走っていることです。

 

これでは、とても政策協調を誇示する首脳宣言など出せる環境ではないのでしょうが、だからこそ首脳会議の意味があるのだと思います。貿易をテーマにしたセッション(25日)では、貿易摩擦が世界経済に与える影響について、各国の首脳からは、懸念が表明されたようです。その矛先は、中国との貿易戦争をエスカレートしている米国だったと思いますが、それだけではなく、韓国との問題をこじらせている日本やEU(欧州連合)からの離脱をめぐって欧州経済を混乱させている英国へのけん制も含まれていたと思います。主催国フランスのマクロン大統領は、「あちこちで起きている貿易戦争」という言葉を使った報じられています。

 

こうした意見交換を通じて、首脳たちが自国の関与する貿易摩擦について、他国からは評価されていないことを改めて認識してもらう、そのことが首脳会議の「意義」だと思います。官僚たちがお互いの政策の違いを隠すために、玉虫色の表現で宣言文を取りまとめる過程は、大変な努力だと思いますが、その成果として立派な宣言文ができるよりも、首脳たちが他国の首脳たちの考えを肌で感じ取ってもらうほうがよほど重要です。

 

第2の理由は、いま米中摩擦と並ぶ大きな懸念材料だったイラン問題について、今回のG7の議長であるマクロン大統領がイランのザリフ外相をサミットの開催地に呼んで協議したうえで、トランプ米大統領から「イランのロハニ大統領との会談に条件付きながら会談に応じる」との発言を引き出したことです。G7で、議長国からイランとの首脳会談を迫られれば、さすがのトランプ大統領も拒否はできなかったのだと思います。これがイラン危機の回避に結びつくかはわかりませんし、マクロン氏にとっては、自国民に向けた政治的なパフォーマンスというかスタンドプレーだったと思いますが、こうしたハプニング的な行動があるのもG7の意義だと思います。

 

第3の理由は、先進国がそれぞれの自国ファースト主義に走り、G7がこれまでの仲良しクラブでなくなった今こそ、G7という磁場を設けることで、先進国が政策協調という方向に向けて話し合うことが重要になるということです。サミットは、もともとフランスのミッテラン大統領の呼びかけではじまったものですが、次第に首脳同士がひざを突き合わせての会議という意味よりも、先進国の政策協調の成果を首脳たちがなぞるという場になり、サミットの形骸化が問題になっていました。その意味では、7週目の起点となるフランス開催のサミットで、首脳同士の話し合いという原点に戻る方向が出てきたことは、成果だと思います。

 

今回のG7は、包括的な首脳宣言の文書の代わりに、簡単な「声明文」を「首脳宣言」として発表しました。「貿易」「イラン」「リビア」「香港」の5項目を1ページにまとめたものです。貿易については「G7は、開かれた公正な世界貿易及び世界経済の安定にコミットしている」、イランについては「我々は、イランが決して核兵器を保有しないことを確保し、地域における平和と安定を促進する、というふたつの目的を完全に保有する」、香港については「G7は、1984年の中英共同声明の存在と重要性を再確認し、暴力を回避することを求める」など、簡単というかそっけないものです。しかし、これは、首脳間の話し合いの議題と最低限の合意だと考えれば、こうした簡単な宣言もひとつのスタイルになるのではないかと思います。

 

貿易問題で、「自由な貿易」という言葉が入らなかったのは残念ですが、「世界経済の安定」という言葉には、「不安定になるようなことはするな」という意味が込められているでしょう。イラン問題で、イランの核の非保有と、地域における平和と安定が目的としてうたわれたことは、イランが核保有しないことで米国を納得させることができれば、米国はイラン攻撃をしない、ということです。これも今後の米国とイランとの交渉の出発点になると期待します。さらに、香港問題に出てくる「中英声明」は、中国は一国二制度をもとに、「社会主義の制度と政策を香港で実施せず、香港の既存の資本主義制度と生活様式を保持し、50年間変えない」ことなどが盛り込まれていますから、これをG7が再確認することは、香港への圧力を高めようとしている中国へのけん制になると思います。

 

ところで、私が「首脳宣言」を重視しないと書いたのは、日本のメディアに宣言文書に対する過大な期待があると思うからです。古い話で恐縮ですが、私は1987年から90年までのサミットをワシントンの駐在記者として、それぞれの現場で取材したことがあります。そのときに、私たち取材記者に課せられた最大の使命は、宣言文を抜く、ことでした。サミットになると、参加各国の駐在特派員が全員、集められるのですが、私を含めた特派員の仕事は「紙取り」で、それぞれの国の言語で書かれた宣言文の案文を抜くために、各国政府の記者団に入ることができる特派員が必要になるわけです。

 

私も「紙」を求めて、結果的にはむなしい努力をしましたが、その過程で世界標準がそんなところにないことに気づきました。米国の新聞は、宣言などにはまったく触れず、首脳が何を話し合ったかを中心に記事を書いていたからです。日本の新聞で、サミットの「本記」と呼ぶメイン記事を書くのは、日本政府の同行記者団で、各紙とも経済部と政治部の代表がないように応じて書き分けます。

 

だれが書こうとかまわないのですが、記事の内容は、日本の記者が書くのは日本政府のブリーフィングがもとになるので、どうしても日本の首相発言が中心になります。しかも、日本の新聞は、家庭に届けられる時差を考えるので、「首脳宣言採択へ」といった未来形が多くなります。そうなると、「これからの討議は、こうした内容になると思われ、我が国の首相はこんな発言をすると思います」といった日本側のブリーフィングに頼ることになるのです。

 

さすがに、今回のサミットについての新聞記事をみると、何が話し合われたのか、という過去形の記事が中心になっていましたから、過去の悪弊は改善されているのでしょうが、「首脳宣言」へのこだわりは、過去の悪弊の遺物のように思えてなりません。

 

いまから30年前の1989年のアルシュ・サミット(フランス)は、直前に天安門事件が起きたことで、G7は中国への非難とともに、どのような制裁を課すかについて、議論をしました。香港での混乱がつづくなかで開かれた今回のサミットと似ているのです。そのときに出席した日本の首相は宇野宗佑氏で、歴代の首相のなかでも、格別に存在感のない人でしたが、G7では、中国を孤立させてはいけない、と奮闘したそうで、このときの中国について「宣言」には、「中国の孤立化を避け、可能な限り早期に協力関係への復帰をもたらす条件を創り出すよう期待する」との文言も入りました。

 

のちに江沢民主席は、サミットでの日本の対応を感謝したそうで、これが天皇の中国訪問(1992年)や江沢民主席の訪日(1998年)につながったといわれています。いずれの出来事も、さまざまな評価があると思いますし、当時の私は、日本は対中借款の早期再開を期待して、人権重視のG7の足並みを乱していると考えていましたが、サミットでの日本の首相発言が日中の歴史を動かしたのはたしかでしょう。

 

米国とイランとの懸け橋の役割は、マクロン大統領に奪われた形の安倍首相ですが、トランプ大統領がイランとの会談に向かうためには、引き続いて安倍さんがトランプさんを説得することが必要でしょう。イラン危機の回避は、日本の国益そのものです。たった1枚の「G7首脳宣言」に盛り込まれたイラン問題への言及は、たった2行ですが、日本の首相の役割は、これからが大事だと思います。


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