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アスベストとパワハラを貫くもの

2021.05.21 Fri

繊維状の鉱物であるアスベスト(石綿)には、長い歴史がある。古代エジプトではミイラを包む布として使われ、ギリシャではランプの芯として利用された。中国では「火浣布(かかんぷ)」と呼ばれ、貢ぎ物として珍重された。石綿でつくった布を火に投じると、汚れだけ燃えてまたきれいになるからだ。

そのアスベストが社会で広く使われるようになったのは20世紀に入ってからである。日本では戦後、大量に輸入され、建設現場や工場で断熱材や絶縁材として使用された。産業界では「奇跡の鉱物」と呼ばれたりした。

だが、「きれいなバラにはトゲがある」の例え通り、アスベストにも「トゲ」があった。微細な繊維を吸い込むと、やがて肺がんや中皮腫を引き起こす。一部の研究者は早くからその危険性を指摘していた。長い歳月を経て発病することから「静かな時限爆弾」と呼ぶ人もいた。

にもかかわらず、政府も業界もそうした声に耳を傾けなかった。建物の防火材や断熱材にとどまらず、化学プラントの配管接続材など用途は広く、「経済発展に欠かせない」と考えたからだ。その構図は、有機水銀が水俣病の原因と指摘されても政府や企業が否定し続けた歴史と重なる。

アスベストが原因で命と健康を奪われた人たちが起こした裁判にようやく決着がついた。最高裁判所は5月17日、政府と建材メーカーの賠償責任を認める判決を出した。政府が吹き付けアスベストの使用を禁止した1975年から46年、大阪・泉南アスベスト訴訟の提訴(2006年)から15年。この国では、まっとうな結論に至るまで、何事も長い年月を要する。

最高裁が被害者救済の根拠にしたのは、労働安全衛生法という法律である。この法律は1972年、労働基準法にあった労災防止関係の規定を分離・独立させ、より充実させて制定したものだ。

労働基準法が、雇用する側に労働時間の制限や差別的取り扱いの禁止など「最低限守るべきこと」を定めているのに対して、労働安全衛生法は雇用側に「快適な職場環境」をつくることを義務づけている。

つまり、雇用する側に対して、制限を超える長時間労働や国籍・性別などによる差別的取り扱いが許されないのは当然のことであり、さらに一歩進めて「働く者が安全で健康な状態で働けるような職場環境をつくりなさい」と求めているのである。

何とまっとうな法律であることか。アスベスト訴訟はこの法律にあらためて光を当て、世に広く知らしめることになった。愛する者を失った悲しみと病による苦しみを乗り越え、長い裁判を闘ってきた人たちの大きな功績と言わなければならない。

昔に比べれば大きく前進したとはいえ、働く者の立場は依然として著しく弱い。「安全で健康な職場環境」とは程遠い状態で働いている人が何と多いことか。差別やパワハラがまかり通っているのが現実だ。

私が暮らしている山形県でも最近、陰湿なパワハラ事件が発覚した。その舞台となったのは山形県総合文化芸術館(やまぎん県民ホール)である。山形県はこの新しい県民ホールを2019年秋に完成させ、その指定管理者にサントリーパブリシティサービスを中心とする共同企業体を選んだ。その会社の幹部がパワハラを繰り返していた。

この会社によるホールの運営は、当初から摩擦が絶えなかった。地元スタッフの退職が相次ぎ、幹部による特定の女性社員に対するパワハラが常態化していた。彼女は「睡眠障害と適応障害の疑い」と診断され、山形労働基準監督署に労災申請をして認定された。彼女を支援してきた労働組合が今年の4月末に記者会見して明らかにした。

本人から事前に詳しく話を聞く機会があった。上司が日々、信じられないような言動を繰り返していた。極め付きは「あなたは生きていることが恥ずかしいですか?」という発言だ。

2019年9月17日、本社から社長らが来訪して山形市内で懇親会が開かれた。その席で、県民ホールの支配人が場を盛り上げようとして「皆さん、今まで恥ずかしかったエピソードを披露していきましょう」と水を向けた。その時、副支配人が彼女にささやいたのだという。

その席には複数の地元スタッフがおり、近くにいた人にも聞こえた。サントリー側も否定することはできず、こうした発言も労災認定の決め手になったと思われる。

アスベスト被害でも、このパワハラでも、その根底にあるのは「働く者の安全と健康より利益追求を優先する姿勢」である。法律で「それは許されないことですよ」と規定しても、それに思いをいたすことなく、平気で違法なことをする人たちがいる。

企業の経営者や雇用主は、労働安全衛生法が何を求めているのか、あらためて読み返さなければなるまい。そして、働く者の憲章とも言うべき「労働基準法」の文言もかみしめてほしい。労働基準法は、その第1条(労働条件の原則)で次のように規定している。

「労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない」

労働基準法の制定は1947年、戦後間もなくだった。その頃、国民は敗戦の焼け跡の中で食うや食わずの生活をし、巷には失業者があふれていた。多くの人にとって「人たるに値する生活」など夢物語のような状況だった。

それでも、法律をつくった人たちは、日々の糧を得ることの先を見据えて、この言葉を盛り込まないではいられなかったのだろう。未来を信じ、その実現を後に続く人たちに託したのである。

人たるに値する生活。重い言葉であり、はるかなる道である。

 

 

*山形県総合文化芸術館の指定管理者については、山形県当局がきわめて不明朗な選定手続きをしており、情報屋台のコラム(2019年3月29日)でその内実をお伝えしました。次のURLをご参照ください。

http://www.johoyatai.com/2211

 

 

≪参考サイト&記事≫ *ウィキペディアのURLは省略

◎石綿(ウィキペディア)

◎中皮腫について(独立行政法人環境再生保全機構のサイト)

https://www.erca.go.jp/asbestos/mesothelioma/what/what_about.html

◎「国・石綿建材業者に賠償責任 最高裁、初の統一判断」(2021年5月18日付、朝日新聞)

◎「建設石綿、国と企業の責任認める 最高裁が統一判断」(2021年5月17日、日本経済新聞電子版)

◎大阪・泉南アスベスト国家賠償請求訴訟(ウィキペディア)

◎労働安全衛生法(ウィキペディア)、労働基準法(同)

◎労働安全衛生法とは? 経営者がやるべきことをわかりやすく解説

https://squareup.com/jp/ja/townsquare/what-is-industrial-safety-and-health-act

 

≪写真説明&Source≫

◎アスベスト訴訟で勝訴し、垂れ幕を掲げる原告団(日経新聞電子版2021年5月17日)

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE14BXJ0U1A510C2000000/


この記事のコメント

  1. 長岡 昇 より:

    サントリーグループは、東北ではビジネス面でずっと苦しい状況にあります。1988年に当時の佐治敬三社長が「東北は熊襲の産地。文化的程度も極めて低い」という差別発言をし、製品ボイコットなどの騒動になりました。こうしたことがいまだに響いているのかもしれません。コンサートホールの運営などを手がける「サントリーパブリシティサービス」も、これまで東北で大きな仕事をした経験はなく、山形県の県民ホール運営は「東北初進出」という意味合いがありました。

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