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ハドソン川の奇跡・・・映画で知る真実

2016.10.07 Fri
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ハドソン川の奇跡・・・映画で知る真実
事態は2009年(平成21年)1月15日、USエアウェイズ1549便がニューヨークのラクァディア空港を飛び立った僅か二分後に、大型のカナダ雁の一群に遭遇、いわゆるバードストライクに見舞われ、全エンジンが損傷、停止した事で起きました。ただ、サレンバーガー機長始め皆の沈着な行動と協力で、ハドソン川に緊急の不時着水に成功、乗員・乗客155名全員が生還、救出されたのです。私が最近見たこの映画が焦点を当てたのは、その着水、救出の様子を迫力在る画面で描くこととともに、これをひとつの航空事故とみて、疑問点の解明・追究を行ったアメリカ合衆国国家運輸安全委員会の審議状況と、そこでのサレンバーガー機長の証言などを再現する事にありました。それも大仰に描くのではなく、また、細かに事実を積み上げるのでもなく、短めに大切な真実を語っている作品という感じがしました。

監督・製作は御年86歳のクリント・イーストウッドであり、原作はサレンバーガー機長自身、脚本はトッド・コマーニキ、主演はトム・ハンクスなどです。2016年のアメリカ映画で、原題は「Sully」と言い、機長のミドルネームに由来するものです。

以下、幾つか印象に残ったことを記します。
1  この想定されなかった緊急事態の中で、サリー機長はいったん副操縦士に委ねていた機の操縦を自らに戻し、エンジン停止後の僅か四十秒弱の間に、真冬のハドソン川への着水・滑走を決断します。そして、この対応について、後刻、「私のパイロットとしての42年間は、この瞬間のためにあったのだと思います。」と語ります。
これは確かに格好良く聞こえますが、彼は、「あの大都会の上空で、幅が広く、それなりの長さのある空間は、眼下のハドソン川しか無かった。」とも言っているのです。飛び立ったばかりのラクアディア空港へ引き返すのも、隣のニュージャージー州のテターボロ空港へ右旋回して向かうのも危険すぎました。高度は不足、そして下は連続したビル街だったのです。咄嗟の判断として、ハドソン川の水面が選ばれました。やむを得ない選択であったと言うわけです。
とはいえ、川には橋が懸かっていますし、船の行き来もあります。実際、機はジョージワシントン橋の上をすれすれに飛んだと言い、そのことを後で聞いた乗客が、事が結んでから肝を冷やしたと申します。それに不時着水は水平になされなければならず、機体も救助が完了するまで浮いていなければならないのです。これらの事はサリー機長も経験が無いし、どうやら確信までは無かったようです。
さて、やむを得ない選択の結果、冷静に不時着水をした機長は「奇跡ではありません。」と言い、「英雄と呼ばないで下さい。」と静かに訴えました。 イチかバチかの試みをしたのでは決して無かったからです。だが、この訴えは逆に後で疑問の声を引き起こす事となります。
世の中には別の立場や職責というのが在るのですね。これは本当に勉強になりました。
2   国家運輸安全委員会の開催と、そこでの追及・聴聞

広く絶賛され、当時のブッシュ現大統領、オバマ次期大統領からも電話が掛かってきた、サリー機長の決断と対応でありましたが、一方で疑問と批判が出て参ります。そられは、ハドソン川に不時着水すると言う、敢えて無謀なことをせずとも、若干の時間的余裕が在り、陸上のどちらかの空港に機を向けると言う途があったのではないかとの指摘と、片方のエンジンに少し出力が残っていたのではないとか疑問でした。
こうした論点は、何と事態発生後一年半も経って開催された「国家運輸安全委員会」で出てきたのです。それらは、国の担当機関としての職責であり、高価な機体の所有者の立場を反映したものでもあり、保険会社のものでもありました。この作品を鑑賞しながら、日本でならどうだろうと考えましたが、国家機関の存在意義と公正なる機能からしてあり得るとも思いましたし、訴訟社会のアメリカならではの事であろうとの印象も持ちました。
その一方で、事態後、サリーや副操縦士は時折、話し合いをもったり、飲み会を楽しんだりしつつも、夜は所謂PTSDに悩まされることがしばしばでした。 二人ともあの緊急時に結局対応が上手くいかず、機体もろともビルに激突する夢をよく見たのです。映画でもその悪夢を再現していました。二人はこうした悪夢に何度も悩まされながら、委員会による追及も抱えることになりました。しかも、それは何ヶ月も続いたのです。
サリー機長は今回は調査される側でしたが、ベテランのパイロットですから、調査する側の経験も有していました。そうした体験をふまえつつ、再現シミュレーションを二ケース行い、ともに陸側空港の何れにも緊急着陸が可能であったと推論する委員会側に対し、機長は、「其処にはヒュウマンファクター」が考慮されていないと落ち着いて反論します。その反論の核心は豊富な飛行経験のあるサリー機長からすると、「調査側が言うような陸側避難飛行の時間的余裕などとても無いかった」という所に在りました。
そして、更に損傷エンジンが引き上げられ、バードストライクによる被害が凄まじいもので、まるで推力の残っていなかったことも確認されたのです。

 

3  大都会のニューヨークの西側を流れ、海にいたるハドソン川は、危険な一方で、救助や援護されやすい優位性を持っていました。 それは、その任に在る船舶を始めとする数多くの船、ヘリコプター、緊急自動車、病院、診療所、ホテルの存在などでした。サリー機長はニューヨーク地域のこうしたことに詳しかったと言います。大海原に突っ込むのでは無いのです。

斯くて、実際、緊急事態発生後の救助や援護の動きは速かったですね。見ていて気持ちが良かったくらいです。そして、9.11のテロの体験が、ニューヨークの町を鍛えていたようです。

 

4  町の好意

ニューヨークの町は実に好意的でした。象徴的なシーンは、最後に救助されたサリー機長などが収容されたホテルで、着替えの衣服を持参したメイドが、余りの感謝の思いにあふれ、機長自身を強くハグした事に現れていました。彼女はキスまでしてい行きました。余程嬉しかったのでしょう。機長始め、みんな「あれは何だ?」と呆気にとられていました。

思えば、2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件では、ニューヨークで最大の犠牲者が生じました。三千人を越えたと言われます。しかし、今度は対照的に、超高層ビル街ではなく、それを避けて、ハドソン川に不時着水し、死傷者は一人も出ず、全員救助されたのです。そして町の側には、何の被害も出ませんでした。
5    現存する人を演ずるということ

サリー機長始め、多くの人がなお存命しています。そして、トム・ハンクスなどがその人々を演ずるのです。それが効果を上げるためにも、イーストウッド監督は入念な打ち合わせや稽古などをあまりしなかったといいます。極く自然体で出てくる仕草やセリフが決め手になると言うのです。

トム・ハンクスの演ずるサリー機長の最後の演説は、その決定版のような気がしました。

また、現存者を他者が演ずること、それはその方の人生に影響することと申します。重い現実ですね。


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