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ベートーヴェンの第九交響曲を踊る   

2017.12.24 Sun
文化

ベートーヴェンの第九交響曲を踊る
平成29年 2017  12月
仲津 真治

1)  「第九を踊る」とは如何なる事?

「第九を踊る」と言う映画の題名を見て、先ず驚きました。 あの大曲は、
先ず交響楽であり、オーケストラが演奏し、終章にはソリストと合唱団が加わり、歌うもので、私も何度となくコーラスに参加して参りましたが、踊るという発想はありませんでした。 ただ一度、映像ですが、「中央ユーラシアで遊牧民が輪を為して、踊っている」のを見かけたので、良く聴くと「第九のメロディー」だったという話を聞いたことがありますので、そうしたお話しかと思って、予告している映画館(有楽町 イトシアビル ヒューマン・トラスト)自体に問い合わせました。

すると、本当の第九の演奏で大人数でバレエを踊ったと言う事が分かってきました。これは、初めて聞く話ですが、第九に縁のある者として鑑賞してみなければなるまいと思い、早速出かけました。 実際鑑賞すると、なかなかの感動作で、バレエも実に美しく、うったえてく来るものがありました。

踊る姿はバレエのチュチュ姿などでは無く、レオタードなどでした。 そう言えばこれに関連して、面白い遣り取りがあります。

指揮者メータとのインタビューで、フランス女優のマリア・ロマンと言う人が、「ベートーヴェンがこの曲を作ったときは耳が聞こえなかったと言うではありませんか。ならば、この「ダンシング・ベートーヴェン」を御本人に見せたら、それこそ喜んだでしょう。」と尋ねたのです。指揮者メータは答えて曰く、「それは面白い指摘ですね。気がつかなかった。 これを仮にベートーヴェンに指揮させたら、ぴたりと一致したかもしれませんね。」

これは実に、有意義な視点です。実際、1824年の第九初演の時、ベートーヴェンの指揮がオーケストラの実演と合わず、少し早めに終わったというエピソードが伝えられています。

2) 第九を奏で、踊った演奏の実際

この映画が取り上げた作品では、先ず、指揮者はズービン・メータと言う人で、インドのボンベイ(現ムンバイ)出身、「イスラエルフィルハーモニー交管弦楽団の音楽監督」をしています。 欧米系で無くて、日本人以外でもこういう人が居るのですね。 音楽世界の国際性を物語ると思います。

なお、今回の演奏は、メータ自身の指揮で、同楽団の演奏でした。

その演奏は、平成26年(2014)11月、東京NHKホールで行われました。
通常の第九の構成員に加え、バレエ団が入りました。その総数、もともとの
オーケストラや合唱団などを入れて、総勢三百五十名と申します。その中で大舞台を所狭しと踊るのは、日本の「東京バレエ団」と、スイスはローザンヌに本拠を置く「モーリス・ベジャール・バレエ団」などでした。見せ、魅せる主力は、この大バレエ団で、指揮者やオーケストラ同様、第一楽章から第四楽章の全てを演奏し、踊ります。実に魅力的で、迫って来るものがありました。

映画を良く見ていると、指揮者は大ホールのせり上がり客席の真ん中当たりに立ち、その直ぐ後に四人のソリスト(内二人は日本人、残る二人は外国人)、即ち、ソプラノ、メゾ・ソプラノ、テノール、バスが居て、更にその後ろにオーケストラが着席していました。この両翼に大合唱団が立っていました。 やや照明の工夫がされていたのか、合唱団は淡い光を浴び浮き上がっているように見えました。栗友会合唱団との事でした。

3)  2014年の冬に始まった練習

11月の公演日程が決まると、練習がその冬に始まりました。そして、この映画の撮影も開始されたのです。

最初は、モーリス・ベジャール・バレエ団の稽古の様子から紹介されました。雪のローザンヌで、寒々とした銀世界に在るスクールでした。室内では見事な肢体の男女が大勢、練習に励んでいました。 スクリーンのバックには、第九の各曲が流れ、全曲演奏という事が良く分かりました。 映画の監督は、アランチャ・アギーレと言い、主にフランス語を話していました。スイスの中でも其処は仏語圏なのでしょう。

オーケストラの練習もあり、メータ自身が指揮指導していました。此処の言葉は英語でした。

3)  次は春となり、東京に移りました

撮影班もやって来ました。 桜の頃で、皇居の御濠が映っていました。 ある種の余技なのか、渋谷の有名なスクランブル交差点が撮られ、紹介されていました。
東京バレエ団の稽古の様子が撮られ、ダンサーの一人、ブリンシパルがインタビューに応じ、日本語で答えていました。緊張した様子が伺え、日本人の生真面目さが察しられましたね。

合唱団(栗山文昭指揮)の練習風景も紹介されました。私どもも住まいのある取手で経験を思い出し、懐かしく感じたものです。 第九の練習には何処も似たところが出るようです。 私の隣で映画を鑑賞していた御夫妻は、実際のこの練習と演奏の経験者たった由、話しかけてみて、良かったと思います。

4)  夏は再びローザンヌの様子、次いで秋は東京、そして本演奏とバレエへ

この大舞台は東京バレエ団の創立50周年記念公演として企画された由です。
そのDVDには、「音楽とダンスを融合させた一大スペクタクル、ベジャールの第九交響曲をメータが指揮、東京バレエ団とモーリス・ベジャール・バレエ団が共演」と記されています。実際、それは大成功を納めたようですね。

この映画作品も、その事を良く示しています。

では、「モーリス・ベジャール」とは誰? その事を記しましょう。

5) その人は、第九交響曲をバレエで踊り、上演すると言う事をそもそも企画し、振り付けた人物・・・「仏系スイス人 モーリス・ベジャール」

面白いエビソードがあります。 1964年、カラヤン指揮の第九のレコードを聴いていたとき、ベジャールは突然、ベートーヴェンから松明を受け取ったと感じたと言います、曰く、「ひとつになれ、人類よ!」と。使命感から来る「閃きの一種」でしょうか。

6)  ブリュッセルでの初演

この初演の事業から、第九のバレエのアイデアが動き出し、遂に同年10月27日、今日EU本部の所在地であり、ベルギーの首都でもあるブリュッセルで、第九が上演され、ともにベジャール振り付けのバレエが踊られます。 それは同人が率いる20世紀バレエ団が演じましたので、大きな驚きをもって迎えられました。

それはひとつの事件となったと言います。

つまり、「春の祭典」「ボレロ」などと手がけていたベジャールだからこそ、挑むことの出来たと受け止められた由です。

この後、1968年のメキシコ・オリンピックの開幕イベントや、欧米各地で披露され、そして1978年のモスクワ・クレムリン宮殿での上演まで、繰り返されます。

そこで、これをもって、封印されてしまいます。斯くて映像が無く、次か次へと走り続けるタイプのベジャールの下、再演は不可能と思われました。

しかし、1996年、パリはオペラ座が再演を決断、すると、極く部分であるが当時の映像が発見されます。 これを見たベジャールに、全ての振り付けの記憶が蘇り、奇跡的な復活が遂げられたのです。 平成11年(1999年)には日本公演も行われたと言います。斯くいろいろあって、今度は映像が残されたのでしょう。 そして、この辺りを潮に、2007年、ベジャールはこの世を去りました。

だが2014年に至って、それはバレエ版の第九がこの世に登場して五十年後の事ですが、この傑作を再び送り出そうと言う動きが出て参りました。 それが今回です。 それは、モーリス・ベジャール・バレエ団と東京バレーエ団との共同企画となりました。斯くて第九の盛んな日本でのバレエ版の再演は15年振りとなります。

7)  レオタードや衣装の色

ベジャールは、古代ギリシァの世界観に沿って、この世を四大元素に分けていた由です。更に彼は、それを第九の四つの楽章に結びつけました。まず、第一楽章が「地」、第二楽章が「火」、第三楽章が「水」、最後の第四楽章が「風」です。そして、それぞれに色を当てはめています。 地が褐色、火には赤色、水には白色、風には黄色との事です。(青春、朱夏、白秋、玄武と言った東洋古代の風水思想に少し似ていますね。)

もう一つ、舞台の上では、ダンサーのステップの音や手を叩く音が聞こえてきました。音楽演奏ながら、こうしたことは、バレエと一緒に演奏すると、矢張避けられないのでしょう。

また、バレエのステージでは、この色を各楽章毎のカラーとして、ダンサーのレオタードや衣装に統一的に用いていました。 現に作品の最後に登場した色は、黄色一色でした。なぜなら、第四楽章だったからです。第四楽章の色は思い出して下さい、黄色でしたね。
こうした内容始め諸々の事については、やはり映画作品自体を見て戴くことでしょう。お奨めします。
因みに、私が見たところは「ヒューマントラストシネマ有楽町」で
電話番号は、 03-6259-8608 です。


この記事のコメント

  1. 山下広之 より:

    興味深いお話を有難うございます。私も見に行きたくなりました。

  2. 瀬藤澄彦 より:

    俳句 奥様のも含めて感激しました。
    一度中津様にお会いできますか。
    電話 080 2565 0433

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