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「標的殺害」で高まる戦争リスク

2020.01.05 Sun

2010年代が正常(ノーマル)な時代の終わりなら、2020年代は「異常」(アブノーマル)な時代になるのか。そんな予感を「2010年代から2020年代を考える」(「樹報屋台」2019年12月31日)で書きましたが、正月早々、米国がアブノーマルな事態を引き起こしました。米軍によるイラン革命隊の司令官の殺害です。

 

http://www.johoyatai.com/2604

 

「米国が外国の主要な軍事指導者を殺害したのは、第2次大戦中に日本の山本五十六将軍を乗せた航空機を撃ち落として以来」と、米ニューヨークタイムズ紙(NYT)は報じています。これに対して、米政府は、殺されたソレイマニ司令官は、テロ活動を隠すために革命隊司令官という名称を使っているだけだと主張しています。つまり、今回の攻撃は、イランという国家への戦争行為ではなく、あくまでテロ組織のリーダーがさらなるテロ行為に走るのを防ぐための自衛行動だというのです。

 

しかし、そんな理屈がイランに通用するとは思えません。イランの最高指導者と呼ばれるハメネイ師はすぐに「米国は厳しい報復を受けることになる」と宣言しました。米国内でも、今回の作戦が米国民の安全を脅かすことになったという批判が噴出していますし、米紙によると、米軍の幹部も、イランに対するいろいろな作戦を示したなかで、大統領がソレイマニ殺害を選ぶとは思わなかった、と報じています。

 

今回の作戦は、特定の人物を狙って攻撃する「標的殺害」(ターゲテッド・キリング)と呼ばれる軍事行動です。標的殺害については、以前、紹介した杉本宏著『ターゲテッド・キリング 標的殺害とアメリカの苦悩』(「情報屋台」2018年7月14日)に詳しく書かれています。この本によると、米政府はフォード政権の1976年に「暗殺禁止令」を出していることもあり、「標的殺害」には慎重で、今回のように米政府が攻撃を認める米軍による公然型の標的殺害は、1986年4月にリビアの最高指導者カダフィ大佐の住居を狙った攻撃や1998年8月のビンラディンを狙った攻撃などに限られています。ちなみに、この2件の作戦は、いずれも標的となった人物は逃げています。

 

http://www.johoyatai.com/1838

 

実際にビンラディンを殺害した2011年5月の作戦は、米海軍特殊部隊によるものでしたが、同書によると、作戦を指揮したのは国防長官ではなく、CIA長官だったそうです。非公然型の標的殺害だったわけで、成功したあと、オバマ大統領は「正義は貫かれた」と戦果を誇りましたが、失敗していたら、ほおかむりだったのかもしれません。

 

2001年の9・11事件以来、米政府はイスラム過激派との戦いを「対テロ戦争」と位置付けたため、いわゆるテロリストを対象にした標的殺害のハードルは低くなったようですが、これまで標的になった人物は、懸賞金がかけられた「お尋ね者」で、ソレイマニ司令官のように公的な席に普通に現れていた人物を標的にした例はなかったと思います。

 

米軍の幹部が大統領の選択を予期しなかったのは、イランに対する戦術的なエスカレーションになるというだけではなく、米軍による公然型の標的殺害の対象を大きく広げる作戦になるからだと思います。標的を「お尋ね者」という枠からはずすことは、作戦の幅を広げたともいえますが、相手方からみても、同じことがいえます。特定の個人を狙った「暗殺」を含め、いろいろな手段による復讐の種をまいたともいえます。

 

トランプ大統領が無謀ともいえる作戦にゴーサインを出した理由は何でしょうか。思い出すのは、1998年12月、米国が英国とともにイラクを空爆した「砂漠の狐作戦」です。当時のクリントン政権は、イラクが大量破壊兵器に対する国連の査察を拒んだとの理由で、1991年の湾岸戦争以来、最大規模の攻撃をイラクに行いました。このとき、クリントン大統領はモニカ・ルインスキー事件をめぐる一連の疑惑を議会で追及され、イラク空爆は、下院が大統領に対する弾劾の審議を始める直前のことでした。

 

メディアは、イラク攻撃は弾劾から世間の目をそらすための「目くらまし」ではないかと批判しましたが、今回の作戦も、トランプ大統領に対する上院での弾劾裁判が始まる直前の時期ですから、同じような狙いではないか、との指摘が出ています。

 

それにしてもトランプ政権の安全保障戦略は、一貫性を欠いているように見えます。2018年末に、トランプ大統領はシリアからの米軍の撤退を表明、それに抗議してマティス国防長官が辞任しました。米国はその後、駐留の一時継続を表明しましたが、2019年末になって、撤退を実行しました。その結果、米軍に支援されていたクルド人勢力が孤立、それにつけ込むようにトルコがシリアに越境、クルド人勢力を攻撃しました。クルド人からは、米国の裏切りへの怨嗟の声があげました。

 

クルド人が米国を非難するのは、自分たちが頼りにしていた米国が勝手に撤退したという理由だけではありません。米国も参戦していたイスラム国(IS)退治で、シリアでISと戦ったのがクルド人勢力でした。米国の撤退は、IS退治が一段落したところで、用済みといわんばかりで、クルドを見捨てたことになったからです。

 

同じことはイランに対してもいえます。イラクなどで展開するIS退治には、イラン革命隊も参戦しています。米国にとっても大きな脅威であったISに大きな打撃を与えることができたのは、クルド人勢力やイラン革命防衛隊でもあったのに、その経緯を無視するような行動を米国はとっていることになります。

 

アフガニスタンを含め紛争地帯からの米軍の撤退は、トランプ大統領の公約でした。しかし、それが米国の国益に沿うかどうかは別です。今回の標的殺害も、イラン側からの報復は必至で、イランと米国との本格的な戦争に拡大する可能性は十分にあります。

 

米国にとっては不本意かもしれませんが、中東の安定の一翼を担っているのはイランです。シリアから撤退するなら、イランとの緊張関係を弱めることが必要だと思いますが、イランの核合意からの離脱からはじまって、今回の標的殺害にいたる戦略は、まさに真逆で、中東全体の緊張を高めているとしか思えません。

 

米国とイランとの極度の緊張は日本にとって他人事ではありません。日本経済にとっては命綱ともいえるのは、ホルムズ海峡を通過して日本に達する石油タンカー群がつくるシーレーンです。イランと米国が戦闘状態に入れば、そのシーレーンが断ち切られるおそれがあるからです。

 

そのうえ、日本政府は、自衛隊の艦船を中東地域に派遣することにしています。情報収集が目的で、米国の呼びかけている有志連合への参加ではないと説明していますが、もはや戦争モードに入ったこの海域に自衛隊がいったん出動すれば、戦闘に巻き込まれるおそれは十分にあります。

 

政府の計画では、1月に情報収取活動を始め、2月上旬に自衛艦を現地に派遣することにしていますが、この緊張状態がどうなるのか、それを見極めるまでは、派遣は中止すべきでしょう。

 

2020年代が米国主導でアブノーマルな世界に入ろうとしているときに、日本が米国追随の政策をとっていれば、日本のリスクも高まる、ということは肝に銘ずべきことだと思います。

(冒頭の写真はトランプ大統領のツイッター。「イランが攻撃をしてくれば、52か所を報復攻撃する」とつぶやいています)


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