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「Voyage of time 」宇宙の創造から現世人類の課題までを描く

2017.03.15 Wed
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ここに、Life's Journey と言う副題が付きます。実に美しい映像が繰り広げられます。斯くて気楽に筆を走らせるが如く、幾つかの印象を記します。
(1)  女優のケイト・ブランシェット(エリザベス一世を演じた。)が語ります。原映画を見れば、その聴取りは可能でしょう。だが日本での上映では、日本人の声に吹き替えられていますから、元はどんな英語のナレーションか、ついぞ分りませんでした。

当地での語り手は、中谷美紀という女優でした。率直に言わせてもらえば、それは子供の様な甘え声で、この映画の持つ深みや荒々しさ、それに神秘さが消えていました。大変残念でした。

英語を活かし、字幕を用いる手があるのに、懸かる方法を採らなかった理由について、上映館で聞いたところ、美しい映像が「売り」の映画なので、少しであっても字幕で邪魔したくないと言う理由のようだとの答えでした。
(2)  この作品では現宇宙の始まりを描いていました。

現宇宙は約138億年前に、所謂ビッグバンによって始まったとされています。これは、天文学や物理学の発展と諸観測の成果、それに膨大なデータの解析の結果によって分って来た事と聞きます。それらを支えたのがコンピューターの素晴らしい進歩でしょう。

宇宙開闢の物語は、次々といろんな学説や理論が唱えられている様ですが、この映画では、突然宇宙の一角が大爆発を起こして始まったと言う風には、描かれていません。それは、現代宇宙論では、何と「宇宙は、「無」から「有」がぽろりとこぼれ落ちるように始まったと説かれていること」を反映していると思われます。素人には想像もつきませんが、そのサイズは、1mmの一京分の一の一京分の一(10のマイナス32乗)の大きさより小さい所から始まった由です。その瞬間は実質零(0)の世界ですから、画面は真っ暗闇でした。

この作品では、そこで、「お母さん」と言う声が聞こえて来るのです。始めに述べたように、それは少女のような声でした。宇宙創造の母への、子からの声掛けでしょうか。

やがて気が遠くなるような時間が流れて、宇宙はどんどん大きくなり、今では1mmの千兆倍の千兆倍(10の30乗)まで膨張したと言います。そして、なお膨張は続いている由です。

ただ、この時間の流れは「悠久水天の昔より」と言う如く、とてつもなく長いもので、私どもが見る星空の姿は、何十年、何千年前の昔から変わりません。有名なオリオン座は今も其処に在るのです。

でも、長い時が過ぎる間、様々な変化が起きました。「母」は太陽を生み、地球を生み、命を生み、やがて人間を生みました。
(3)   宇宙の晴れ上がり

現宇宙が始まって間もなく、感動的なシーンがありました。それは原始宇宙の誕生後、約三十万年程経った頃と推定されています。それまで、宇宙には陽子も、電子も、光子も、その他の量子もばらばらに好き勝手に飛び回っていたところ、或る頃から、陽子に電子が結びついて水素原子が出来、次いで、それらが二つくっついて、水素分子が生まれるなどして、プラズマ状態が次第に解消し、光の進路を妨げないように変化して行ったと申します。

この変化で、新成宇宙の見透しが開けてきました。宇宙はプラズマの雲から、普通の基礎的な原子や分子が散在飛翔する空間に変わり出したのです。斯くて、遠くまで光が通るようになりました。

これを「宇宙の晴れ上がり」というそうです。まだ誰も眺める者が居ない熱い宇宙ですが、世界は急に明るく開けて来たと想像されています。この映画は、この晴れ上がりの場面を実に美しく描いています。

それは、約138億年前の宇宙の姿を想い描いた世界ですが、実に荘厳でした。ビッグバンのことは随分と聴いてきましたが、どうしても爆発のイメージが強く、斯様な「宇宙の晴れ上がりのようなシーン」は初めて見るものでした。静かに美しい音楽が流れていました。
(4) ギリシア語の名前は誰?

この映画は、独仏米の三カ国が制作国に掲げられていましたが、脚本と監督は、テラス・マリックというアメリカ人でした。

あれっと思ったのは、プロデューサーに「ソフォクレス・タシオリス」とのギリシア語の名前があった事です。

何故、ギリシア人の名前がと不思議に思い、プログラムに当たったところ、その人は、実はドイツ人と言う事が分りました。ベルリンを拠点とする国際的な映画プロデューサーで、ベルリン工科大学の航空宇宙工学科を卒業、更に絵画学校でメディアアートを学んで来た由です。

この作品は、90分で終わりますが、物語や台詞がほとんど無く、詩的な映像が流れるのを主としますから、その長さが限度だと主張したのは、このソフォクレス氏のようで、結局、マリック監督はその通りにしたと申します。
(5)  恐竜の場面

中には過酷なシーンがあるものの、この映画は、あらためて、この宇宙や、太陽と地球に惚れ直すような美秀なる場面が続きます。そして化石や遺跡から再現した生き物や、古人類が登場します。其処には、古生物学や人類学の成果が生かされていると思われます。

そのうち、恐竜では、ムッタブラサウルスと言う種が現れ、のっしのっしと歩き回ります。草書か肉食などの解説は一切ありませんが、ごつい甲羅と短い首、後ろ足による二足歩行から推定すると、肉食型と思われました。

この恐竜は白亜紀の一億四千五百万年前頃から棲息していた模様です。

そして、約六千六百年前の大隕石の地球への激突で起きたと推定される、大爆発・大火災・巨大津波・大噴煙による日光の遮断などがもたらした動植物の死滅などにより、他の恐竜ともども絶滅いたします。この作品もこの立場を取っており、中米の米のユカタン半島付近の上空を巨大な尾を引いて、海に落下して行く隕石を再現していました。
(6) 人類の祖先も登場します

解説の資料では、ホモ・エレクトス即ち、直立原人と書かれていましたが、見た印象では、ネアンデルタール人か、ホモサピエンスでした。と言うのも、  ホモ・エレクトスならば、額がもっと引いていて、眼窩上隆起が出ていると思われるのに、ほぼ、真っ直ぐの額・顔立ちをしていたことです。これは原人と言うより、現世人類に近く、大脳皮質前頭葉の発達を物語っています。それは、二十万年前以降に居た、進化せる人類の姿のように思えました。
この人々が狩りをする所がありました。彼らは背丈より高い棒か木の幹か枝を持ち、待ち伏せし、動物を襲っていました。そして捕獲すると火を使い、焼いていました。

ただ、弓矢は使っていませんでした。飛び道具を持たないのは、ネアンデルタールの文化の特徴と聞きます。

斯くて、結論としては、彼らはネアンデルタール人の仲間と推定されるのですが、最後に別の狩のシーンで、飼い慣らした狼を使うところが出てくるのです。これには、矛盾を感じました。狼の飼い慣らしとは犬の始まりですから、これはホモサピエンスの特徴を示す感じがするのです。

と言う事で、困惑したイメージが残ったのですが、出来たら、映画制作者に問い合わせたいところですね。皆さんは、どうお考えになりますか。紹介していない他の多くの場面と同様、御関心をお持ち頂ければ幸いです。


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