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映画『ナディアの誓いーOn Her Shoulders』を見て

2019.01.15 Tue

2018年のノーベル平和賞を受賞したナディア・ムラドさんの活動を追ったドキュメンタリー映画『ナディアの誓い―On Her Shoulders』が2月1日から公開されます。日本記者クラブで試写会を見たときに、難民キャンプで子どもたちといる場面をのぞくと、ナディアさんの笑っている姿がほとんどないことが印象に残りました。イスラム国(ISIS)に家族を殺され、「性奴隷」になったという過酷な人生を体験してきたこともあるのでしょうが、それ以上に、自分と同じような境遇にある人たちを助けたいという過大な使命を肩に背負っていることがあるのだろうと想像しました。

 

1993年、イラク北部のコーチョという村で生まれたナディアさんは、少数派宗教のヤズィディ教徒の一家に生まれました。イラクには、イスラム教のシーア派とスンニ派、さらに独立を悲願とするクルド人がいることは知っていましたが、ヤズィディ教徒の存在は、この映画で初めて知りました。ナディアさん自身は、ヤズィディ教徒は少数民族と語っていますが、言語はクルド語で、これまでは、クルド人のなかのイスラム教徒ではない少数派とみられていたようです。

 

牧畜や農業で生計を立てていたナディアさんの一家に悲劇が訪れたのは2014年のこと。イスラム国の兵士が村を占領、多くの村びとを殺害し、若い女性たちを戦利品として「性奴隷」にしました。ナディアさんの一家も母親と6人の兄弟が殺され、ナディアさんも「性奴隷」として売買され、イスラム国の兵士たちにレイプされ続けました。ナディアさんは3か月後に囚われていた家から脱出、その地域に住むスンニ派の住民の助けを借りて、クルド人地域の難民キャンプに逃れ、そこから国際的な支援組織によって姉が避難していたドイツに移りました。

 

2015年になって、ナディアさんが報道機関に「性奴隷」の体験を語ったことで、英国の弁護士、アマル・クルーニー氏と知り合い、ふたりはイスラム国の蛮行を国際社会に訴えるため世界を回り、国連なかでも国連安保理が行動するように働きかけました。この映画は、2016年のふたりの動きに焦点を当て、ギリシャの難民キャンプ、ベルリンでのイスラム国の虐殺に抗議するデモ、カナダオタワ州の議会、そして国連本部へと行脚するふたりを追いかけています。

映画のクライマックスは、ナディアさんの国連での演説の場面でしょう。ナディアさんは壇上から、次のように呼びかけます。

 

「斬首やレイプで数百万人が故郷を追われても、動かないなら、皆さんは一体 いつ動くのですか?」

 

ナディアさんの勇気ある証言と活動によって、国際社会はイスラム国によるヤズィディ教徒への「ジェノサイド」(人種や民族への集団殺戮)を知り、国連は「人身取引被害者の尊厳のための親善大使」にナディアさんを任命するなど、イスラム国の蛮行の阻止に向けて動く手ごたえが見えたところで終わっています。

 

この映画は、ナディアさんの活動記録としては、いわば中間報告で、この映画が撮影されたあとの2017年5月には、ナディアさんが生まれ育ったコーチョの村がイラク軍によって「解放」され、同年12月には、イラクの首相がイラク全土をイスラム国から解放したと「勝利宣言」します。そして2018年10月にはナディアさんのノーベル賞受賞が発表されました。

 

映画では、「性奴隷」として扱われたというナディアさんの証言が何度も出てくるのですが、どんなふうに扱われたのか、という具体的な内容はあまり語られません。この映画に寄せたアレクサンドリア・ボンバッハ監督のメッセージを読んで、その理由がわかりました。監督は次のように語っています。

 

「成功へのロードマップが存在しないなか行動する彼女が、疲れ果てる表情を見せたこともあります。メディアから『ヤズィディ人に何が必要ですか?』と問われるよりも『どのようにレイプされたのですか?』という人を矢で射るような質問が数多く飛んできたのが理由です」

 

私たちがナディアさんに関心を持つのは、「性奴隷」という体験とセットになっているからで、「イラク難民」というだけであったら、これほどの関心を持たなかったかもしれません。この映画が撮影されている当時は、イラク北部のヤズィディ教徒が居住していた地域はイスラム国の支配下にあり、ナディアさんが世界に訴えたい優先順位のトップは、同胞の解放だったに違いありません。「性奴隷」を告発したナディアさんにとって、いまわしい過去を語ることは、慣れることのない苦痛だったと思います。しかし、それ以上に、いま苦しんでいる人々を助ける行動よりも、過去の「性奴隷」の体験に興味を抱く私たちと、私たちの代理人であるメディアに「疲れ果てる思い」をしていたのかもしれません。

 

ナディアさんがジャーナリストの助けを借りて書いた『The Last Girlイスラム国に囚われ、闘い続ける女性の物語』(2018年、東洋館出版)を読みました。ここでは、「性奴隷」としてどんなふうに扱われたのか、という記述がナディアさんの一人称で克明に書かれていました。それを読むと、イスラム国では、「性奴隷」は異教徒であるがゆえに、モノとして扱い売買してもよいという身勝手な正当化の論理がイスラム国の文書として存在することがわかりました。多くの戦争で、「性奴隷」やレイプが容認あるいは黙認されてきましたが、イスラム国はそれを極限化したということでしょうか。

ナディアさんの著書で感動したのは、イスラム国が侵入する前の故郷、コーチョでの暮らしぶりで、貧しいながらも、心の豊かな人々の暮らしぶりが、ヤズィディ教徒の文化や伝統行事などとともによく描かれていることでした。この映画は、現代の「戦争」を語るうえで必見の映画だと思いますが、ナディアさんの著書も、映画が描いていないところを補ってあまりある好著でした。

 

映画の原題は「On Her Shoulders」で、邦題では「ナディアの誓い」の副題として、この言葉が付けられています。同胞を助け、この世界から性被害をなくすという重い使命が彼女の肩にかかっているという意味でしょう。ナディアさんの著書の最後に、彼女の「誓い」ともいえる言葉がでてきます。それを引用して、筆を置きます。

 

「私は人前で話をするようには育てられていない。けれどこの日(国連の親善大使に選ばれたとき)、自分の体験を語り、それが終わったあとも話し続けた。どのヤズィディ教徒も、ジェノサイドの罪によるISISの告発を望んでいるのだと、世界中にいる弱い立場の人々を守れるかどうかは、あなたがた次第なのだと、それから、私は、私をレイプした男たちの目を見据えて、彼らが法の裁きを受けるのを見届けたいのだと、この場で伝えるために。そして、ほかの何よりも、この世界でこのような体験をする女性は、私を最後にするために」

 

(映画は2019年2月1日アップリンク吉祥寺ほか全国順次ロードショー。映画の写真は©RYOT Films)


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