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「ブリッジ オブ スパイ」と言う映画

2016.01.16 Sat
社会

「ブリッジ オブ スパイ」と言う映画
平成28年(2016)1月

以下は、原題「BRIDGE of SPIES」と言う米国映画を、本邦公開の期に鑑賞した印象記です。邦題は「ブリッジ オブ スパイ」と記し、日本語ゆえ単複の区別をしない片仮名表記となっています。なお、原題には「INSPIRED BY TRUE EVENTS」という副題が付いていました。端的に言えば「実話に基づく」と言う事でしょう。

翻って見れば、1989年東西冷戦が終結し、旧東独始め、所謂旧東欧諸国が開放され、91年に旧ソ連が崩壊して四分の一世紀が立ちます。こうした時の流れが、多くの発見、調査研究、真相の解明とともに、懸かる脚本と映画の製作を可能ならしめたように思われます。其処には、監督と主人公を演じた俳優など多くの人々の寄与を感じますね。
1 二つの実話が結ばれる:実在のソ連スパイと米国U-2型機の撃墜

スピルバーグ監督の本作品は、或る画家が写生する所から始まります。暫くすると、その人は妙な行動を取ります。屋外に置かれたテーブルの下に手をやり、其処に貼り付けられたコインを剥ぎ取ったのです。「あれっ」と思い、動きを追って行くと、その人物が画家ながら、在米国で他国のため情報を収集し、遣り取りするスパイで在る事が知れ、間もなく、米国のFBIの数名の係官に、住まいを急襲されるシーンへと発展します。そのとき、この画家はやや下手な英語を話していました。演じているのは米国の俳優なのですが、わざわざそうしている感じでした。母国がソ連という所を出しているのでしょうか。

ここで面白い場面がありました。ひとりのFBIの係官が「大佐」と呼び掛けると、画家が「何故、大佐と呼ぶんだ?」と聞き返したのです。これには、FBI側が、この画家を追う内、この人物がソ連のKGB(秘密諜報機関)の大佐である事を掴んでいた事が背景にあるようでした。この組織は、ソ連崩壊後も、実体としてロシアに継承され、現在は「FSB」(連邦保安庁)と呼ばれる由です。

さて、話を戻しますと、件の画家は「ルドルフ・アベル」と言うソ連の在米エージェントであり、ニューヨークを主な活動拠点としていて、其処で逮捕・起訴され、その弁護を「トム・ハンクス」演じる「ジェームズ・ドノバン弁護士」が引き受ける展開となって行きます。時代は1957年(昭和32年)6月のことで、将に米ソ冷戦の最中、斯く記す小生は中学生になったばかりの頃でした。

もう一つの実話は、映画では間もなく起きた印象を与えますが、実は三年後の1960年5月に発生した、米国の秘密偵察機U-2型機が、当時のソ連領空で撃墜された事件です。当初は気象観測機が行方不明になっているとの米側発表でしたが、六日後にソ連側がフランシス・パワーズと言う操縦士を拘束している事を公表したため、事態は一挙に重大事へと発展します。これで、時のフルシチョフソ連首相が激怒を表明、予定されていた米ソ英仏の四大国巨頭会談を一方的に欠席したため、流会します。これに対し、当時の米国大統領はアイゼンハワーで、事実を認めた上で、「米ソ間のミサイル・ギャップの懸念から、秘密主義のソ連側を優位に立たせないため、上空からその兵器や戦力展開の状況を把握しておく必要がある。真珠湾の悲劇を繰り返してはならないのだ。」との趣旨を述べ、反論します。斯くて、米ソ間を始めとする東西関係は一気に悪化、冷戦は頂点に達した感がありました。

当時、私は高校生になったばかりでしたが、少年の歳ながら、この間の緊張した雰囲気を良く覚えています。確かに往時、ソ連はロケット開発で先行していて、それを反映し、既に1957年10月には人類初の人工衛星の打ち上げに成功していたのです(スプートニク  ショック)。

斯くて、物語はソ連スパイの「アベル」と米操縦士「パワーズ」と言う二人の人物にポイントが絞られて進みます。
2 ドノバン弁護士の信念 :何人も公正な裁判を受ける権利がある

刑事法ではなく、保険事案を専門とするドノバンでしたが、間もなく、弁護士会を通した公式のルートで、アベルの弁護(所謂 国選弁護人)を依頼されます。でも、時は米ソ冷戦が激化している最中であり、米国内の反共意識と敵国ソ連への反感は、かのマッカーシー旋風が納まって十年ほど経つとは言え、なお根深いものがある頃でした。ローゼンバーグ夫妻が有名な原爆スパイで処刑されたのがまだ四年前の事だったのです。

そうした中でソ連スパイを弁護する任は、明らかに当人や家族を危険にさらします。現に、後日ですが、自宅が銃撃されています。米国は憲法上、市民に武器を持つ権利が認められている国なのです。

しかし、ドノバンは、この任を受けました。それは「何人も公正な裁判を受ける権利を持つ。それは、ソ連のスパイとて同じだ。」と言う考え方に基づくものでした。この裁判に係る認識は、ドノバンに留まらず、米国憲法に由来するもので、更に、その淵源は、日本などを含む自由社会に於ける、普遍的な基本的人権の尊重にあります。そして、これは、この映画を貫くテーマであるのです。市中上映される映画とは言え、スピルバーグがこの作品の監督となり、トム・ハンクスが主演するのも、その他、諸々の人々が関わるのも、このテーマを支えるためと言えましょう。
3 ドノバンとアベルとの面会

間もなく、ドノバンは拘留されているアベルと面会します。アベルはプロのスパイである事を如実に示していました。騒がず、落ち着いていて、覚悟を決めている感じが良く出ていました。007シリーズに出て来る、ジェームズ・ボンドのような派手な動きは全くしませんでした。

二人は対面します。ドノバンは、お互いに了解に達すれば、自分が弁護を引き受けることになる。」と話した上で、静かに聞きます。「どんなことを当局側に話したのか」と。すると、アベルは「何も言っていない。」と答え、「当方の側に就けば、罪を軽く出来る。」と取引を持ちかけられたが、「断った。」と言います。 これは大事なポイントでした。この他、二、三遣り取りがあり、両人の閒に、或る情感と通じ合うものが流れた事が分かりました。アベルは、趣旨を聴いた上で、サインします。ドノバンに弁護を依頼する事が、これで決まりました。以降、ドノバンは弁護士として、その職責を全うせんと弁論及び諸活動に全力を尽くすのです。

斯くて、この二人の間の相互理解と人間関係の進展が、以後、この映画の主たる流れとなります。御関心の在る方は御自身で鑑賞方、よろしくと存じます。
4 ソ連側の裁判

一方、ソ連側でも裁判が行われます。前述のパワーズ操縦士が被告人です。彼は密命を受け、パキスタンのペシャワールにあるCIA秘密基地からソ連上空に高高度で侵入し、同国のミサイルなどの戦力展開の状況を撮影する内に、ソ連側の防空ミサイルで、スベルドロフスク上空で撃ち落とされた由、米側はそれまで約四年間近く、懸かることがなかったため、ソ連側に撃墜能力が無いと見ていたと言われます。つまり、事態は米側の過信であった事が分かったのでした。

斯くて、ソ連側も、このパワーズの裁判を開きます。ただ、映画が描いているシーンは、一党独裁の体制を良く現しているものでした。審理を終えて判決が読み上げられた瞬間、一斉に裁判会場全体が拍手に包まれたのです。1960年8月の事でした。もし、その時に、一緒に立ち上がらず、拍手しなければ、回りの注目を浴び、然るべき筋から事情を聞かれる事になったと思われます。往時のソ連ではそれが普通であったと聞きます。自由社会なら当たり前の「各自まちまち」と言う反応ではありません。

ただ、あの裁判では、パワーズにソ連側の弁護人が就き、「被告人は、命令を受けて実行しただけ。本当に裁かれるべき人はここには居ない。」と言う趣旨の弁論を展開したように、私は記憶しています。それは、当時の日本の新聞にそう報道されたからですが、今回の作品には、そうした場面はありませんでした。
5 ベルリンの壁が築かれた

翌1961年の8月、旧東独は、人々がベルリンを通して西側へどんどん逃げていき、このままでは人口減のため、国が成り立たなくなる状況に陥ったので、遂に所謂「ベルリンの壁」を構築し始めます。映画は、その場面を随分丹念に描いています。斯くて、「戦争による破壊跡が残って、汚い町並みがいっぱいの旧東独が再現した」と、ドノバンを演じたトム・ハンクス自身が、記念の写真をいっぱい撮りたくなったと言っていますし、映画でも迫力在るシーンが連続していますから、そっくりのセットが組まれたに違い在りません。旧東独の兵士などの、あの妙な鉄兜も結構写っていましたね。

その一方、築かれたばかりの壁を何人かの東独側の人がよじ登って逃れようとしたところ、警備兵から一斉射撃を受け、そのまま動かなくなった所も撮られていました。東西のベルリンを環状で廻る、米側運転の列車に乗ったドノバンは、其処を目撃し、哀しみのあまり、涙ぐんでいました。その後、何度も繰り返された悲劇です。
6 ベルリンの橋でスパイ交換

いよいよ本作品の終盤になり、凄まじい折衝と恐ろしい転変の数々を経たあと、遂に話がまとまって、アベルとパワーズはベルリンのグリュニケ橋で交換されます。それは西ベルリンの西南端に位置し、橋の対岸は旧東独の支配下にある領域でした。

その場面は劇的であり、極めて緊張に満ちたものでした。そして、立ち合ったドノバンにとっては、思い出多い、感極まる、アベルとの別れのシーンでもありました。それはアベルにとっても同様でしょう。ちなみに、このグリュニケ橋では、冷戦期に四十人近くのスパイなどの交換が行われたと言います。

冷戦終わって約四半世紀の今日、この映画は旧ソ連、今日のロシアでも上映されるのでしょうか。


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