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映画『オフィサー・アンド・スパイ』を見て

2022.05.24 Tue

19世紀末にフランスで起きた「ドレフュス事件」を監督が映画化した『オフィサー・アンド・スパイ』が6月3日から公開されます。それに先立って日本記者クラブで試写を見ましたが、2時間11分という長編にもかかわらず、ロマン・ポランスキー監督(1933~)がつくる緊張感あふれる物語に引き込まれ、気がついたらエンドロールが流れていました。

 

ドレフュス事件は、1894年にフランス陸軍のアルフレド・ドレフュス大尉(1859~1935)がドイツと通じるスパイ容疑で逮捕されたのが始まりでした。大尉は無罪を主張しましたが、軍事裁判で終身刑の判決を受け、服役しました。1896年になって、陸軍情報部長となったジョルジュ・ピカール大佐(1854~1914)が真犯人を見つけたことで冤罪事件であることがわかり、逮捕から12年後の1906年に再審裁判で無罪判決が確定しました。映画はピカール大佐に焦点をあて、冤罪の隠ぺいをはかろうとする軍上層部との対決を描いています。

 

この事件の背景には、普仏戦争(1870~71)でフランスに勝利したプロイセンがドイツ帝国となるとともに鉄鉱石と石炭を産出するアルザス=ロレーヌ地域をフランスから奪い取ったことで、フランスのドイツに対する敵対心が根強いところに、ドレフュスがユダヤ人であったことから、フランス国内の反ユダヤ感情が高まったことがあり、それがずさんな捜査と審理による判決に結びつきました。

 

この映画のなかにも、ユダヤ人対する反発や嫌悪感からドレフュスや彼の冤罪を主張する人に怒りをぶつける人々の場面が何度も描かれています。母親をアウシュビッツのユダヤ人収容所で殺されたポランスキー監督がこの事件を取り上げたのも、人種的な偏見がもたらす過ちを映画として後世に伝えたいという思いがあったのでしょう。

 

ドレフュスの冤罪を世に訴えたのは、フランスの小説家、エミール・ゾラ(1840~1902)で、1898年に「オーロール」という新聞で、「私は告発する」(J’accuse)と題した大統領への公開書簡の形の記事を寄稿しました。ゾラはこの記事によって軍を誹謗した罪に問われますが、大統領によるドレフュスの恩赦、さらには無罪判決への道筋をつけました。フランスでは、ドレフュス事件といえばゾラなのでしょう、英語の映画の題名は原作と同じ「An Officer and a Spy」ですが、フランスの題名は「J’accuse」となっています。

 

ドレフュス事件は、ゾラが論陣を張ったこともあり冤罪事件から政権を揺るがす政治問題に発展しますが、歴史的には、ユダヤ人国家の建設を目的とするシオニズム運動のきっかけになったと評価されています。ドレフュス事件を取材していたオーストリア人の記者、テオドール・ヘルツル(1860~1904)がこの事件でユダヤ人への偏見の強さに衝撃を受け、ユダヤ人の安住できる場所をつくることを国際社会に呼びかける運動を始めました。1897年にはスイス・バーゼルで第1回シオニスト会議を開き、この運動が1948年のイスラエル建国につながりました。

 

この映画の字幕を監修した内田樹氏は「1948年のイスラエル建国、三次にわたる中東戦争、現在に至るパレスチナ紛争ももとをたどればこの事件(ドレフュス事件)に帰着する」(内田樹の研究室「ドレフュス事件と反ユダヤ主義陰謀論」)と書いています。

 

原作者の英国の作家、ロバート・ハリス(1957~)は、政治ジャーナリストから作家になった人物で、「An Officer and a Spy」は2013年の作品。ポランスキーとは、原作をハリスが執筆、ふたりで脚本をつくり、ポランスキーが監督して映画化するという共同作業を『ゴーストライター』(2011)などで行っています。『オフィサー・アンド・スパイ』についても、ポランスキー氏が長年、ドレフュス事件に興味を持っていたことに触発されて執筆したと語っています。ポランスキーは、1977年に少女への淫行疑惑で有罪判決を受けたスキャンダルがありますが、ハリスは「文化とファッションの問題」だとしてポランスキーを擁護しているそうです。

 

ハリスはニューヨークタイムズ紙のオピニオン面に寄稿した「ドレフュスを解放した内部告白者」(The Whistle-Blower Who Freed Dreyfus、2014年1月17日)という記事で、ピカール大佐を「ビクトリア女王やセオドア・ルーズベルトの時代に世界でもっとも有名な内部告発者として尊敬と罵倒を同じように受けた人物」と紹介しています。ハリス自身がピカールに着目したのも内部告発者の先駆だったからでしょう。そして、ピカールが立ち向かった不正は、いまも生き続けているとして次のように語っています。

 

彼が勇気をもって闘った不正行為―非公開の法廷や証拠における本質的な信頼性の欠如、無頼の諜報機関が自ら法律になる危険性、過ちを隠ぺいする政府や国家安全保障機関の本能的な反応、民主的な調査を抑圧するための“国家安全保障”の安易なはびこり―これらすべてが続いている

 

世界も日本も見渡せば、いろいろなところで、「私は告発する」という勇気が求められる時代になっています。そのことを思い起こさせる映画です。

 

(冒頭の写真:© Guy Ferrandis-Tous droits réservés)

 


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