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あたらしい野生の地 リワイルディング

2016.11.06 Sun
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「あたらしい野生の地 リワイルディング」 と言う邦題の映画

これは、英題が「THE NEW WILDERNESS」となってる、2013年作のオランダ映画です。日本でオランダ制作の映画作品が上映されるのは希なことと思います。鑑賞したのは東京渋谷の「UP LINK」という映画館でした。

それは、オランダの干拓失敗地で起きた野生の再生 を扱ったドキュメンタリーです。私はこんな事が、この同じ地球で生起しているのかと、大変興味深く思いました。 そこで私はこの目で確かめようと、急いで同館に足を運んだのです。以下,幾つかポイントに分けて記します。

1  それは、「オランドのオーストファールテルスプラッセン自然保護区」と呼ばれるところで、

起きていることです。

オランダはもともと狭い国土の国です。斯くて、その自然保護区は、決して辺鄙なところではなく、アムステルダム近郊に在り、面積は約56平方km 程の地域です。従って、非常に広大なところと言う訳ではありません。かつて、ゾイデル海と言い、今はアイセル湖と内水化した中の一角に在り、孤立している由です。

そこは実は1970年代に干拓が試みられた箇所なのでした。しかし、折しも石油ショックが発生、経済情勢が急速に悪化し、干拓事業の採算は取れなくなって、事業は放棄されます。つまり、その干拓地は事業の失敗地として放置された所なのです。
2   驚くべき自然のもたらした変化

失敗した結果、人々はその場所に関心を持たなくなりました。ここが、かつて悪名高かった、東京湾のごみ埋め立て地「夢の島」などと異なる点です。夢の島は埋立ての素材として使われた、ごみから蝿が大発生、全島が真っ黒になる程でしたが、そこで不衛生ゆえ利用困難、よって放棄とはなりませんでした。当初からの構想に沿い、圧密・覆土され、やがて大きな都市公園や文化施設、清掃工場、道路、鉄道などが整備され、駅が出来て行きました。駅名は「新木場」となり、夢の島という町名の街が誕生しています。

一方、オランダの干拓失敗地は、宅地や農地とならず、程なく人々は注意を払わなくなったのです。すると、いつしか経つうち、そこに野生の植生が生まれ、小動物が集まり、おびただしい野鳥が群れる所となりました。驚くべき変化が起きたのです。
3  コニック馬の導入と自然の牧場

これを見た、二人の動物学者が其処に先駆的な可能性を見い出します。「海辺に近い、湿地帯と草原」、此処ならと言う訳で、彼らは政府の助成を得て、区域全体をフェンスで囲み、其処へ、ポーランドから野生馬の原種に近いコニック種の馬27頭を試みに導入したのです。

ここに、27頭と言う数は、実に意味ある数値と思われます。或る種に属する動物の集団が親から子、子から孫へと存続していける数はざっと三十頭と言われるからです。これをかなり下回れば、やがて、世代承継が続かなくなり、その動物は絶滅すると言います。自然界では、雄雌二頭とその子二頭位いが居ても続かないのです。

斯くて、この試みは成功、現地のコニック馬は今や一千頭を越す大集団に発展し、それを写すスクリーンは実に壮観でした。その数は、現在ではコニック馬の世界最大の群体数と申します。この馬は、サラブレッドなどと異なり、やや小振りで概ね灰色の個体ですが、映画でも見るのは初めてです。

そのコニックは草原をゆっくり移動しながら、草を食んでいましたが、それは地表に低く広がる牧草でした。これは和辻哲郎が名作「風土」で形容したとおり、ヨーロッパの「牧場」たる特徴をよく示していました。将に、それはヨーロッパの自然を物語っていると思います。他方、温帯モンスーンに属し、雨の多い日本なら、とてもそうは行かないでしょう。日本では、野生の力がもっと発揮されて、雑木と雑草の生い茂る空間となっていたに違いありません。

4   45年という歳月  野生の全盛へ

この囲われた放棄地が、基本的に野生となって放置されてから、早や45年という歳月が流れます。これだけ経つと、野生の力が存分に発揮されて、凄い変化が起きるようです。

フェンスで囲われているだけですから、小動物が自由に入ってきて、やがて繁殖します。この作品が取り上げている代表例は、狐とビーバーです。

他方、野良犬や野良猫は見当たりませんでした。犬や猫は飼われるのが普通ですから、規制されていると思われます。要は、家畜は入れないという方針が取られていると見えます。

また、干拓されて淡水となっていますから、魚では鯉が代表例でして、たくさん棲み、大きくなっていました。もとより錦鯉は居ません。他方、蛙とおたまじゃくしはおびただしい数が居て実に賑やかでした。

一方、空を飛べる鳥は実に多種多様、中でも美しく可愛いカワセミが撮影されて、狩りを親から子に教えるところが紹介されていました。親が三、四回実地に捕食し、それで子は学び、実践にに移ると言うから厳しいものです。それにしても、こうした場面を良く撮った感があります。

水鳥も豊富、小ガモの大群が印象的でした。中には、遠くロシアの大地から、渡って来た雁の仲間がいる由、それは何世紀ぶりかの飛来の現象と言います。猛禽類も現れ、斯くて、この自然保護区だけで、各分野の頂点捕食者が揃った感となりました。

5   特異でないところに出現し、再生する野生

この映画は、遠くの異国に在る特別な場所こそ自然だと思っている一般の認識に挑戦するのが、ひとつの大きな狙いのようです。例えば、そうした特別の場所とは、南米のアマゾン流域、アフリカ中部のセレンゲッティー高原、南極大陸などです。

これに対し、この映画は、人口密度世界最大のオランダに焦点を当て、その大都市のアムステルダム近郊に、こんな凄い野生の出現と再生があることを示したのです。

将に、野生化ないし再野生化であり、英語で言えば Rewildering ですね。

6   導入された赤鹿と、捉えられた死の神秘

コニックに次いで、赤鹿が導入されます。なぜ、赤鹿か。 良く分かりませんが、
まず、鹿が家畜でないことが上げられます。人間に近い所にいながら、鹿は家畜化しなかった数少ない例と言います。家畜だと、野生の再生・維持という自然保護区の趣旨が
失われるのでしょう。

もう一つは、この種の鹿なら、その草食の種類と量から見て、コニックともども、この地区の植生とバランスが取れると見たのではないでしょうか。

この赤鹿では、凄まじい死のシーンが撮られていました。それは瞼に焼き付きましたね。本当にそうした所をよくみ見つけ、撮影したものと思います。

雪の積もったある日、弱った雌の赤鹿が、自ら死が近いことを自覚します。そして、寂しく群れから離れ、地面にそおっと横たわります。カメラは、その姿を静かに捉え、間もなく、その目を大きく映し出します。暫くして、鹿の目が閉じられます。程なく、鹿は息を引き取ります。 それは自然の死で在り、もとより、演じられたものではありません。人なら演じられますが、その実写は撮影されないでしょう。 斯く考えると、この決定的場面の意味は凄く大きく、深いものがあるように思います。
そして、ナレーションが告げます。生き物の死は終わりではありませんと。死体は、他の動物の餌となり、残った腐肉は微生物により分解され、更に植物の根からその栄養源として吸収されます、などなど。生物の死に無駄は無いのです。生も死にも意味があるとは、其処から更に深い認識が生まれます。

7  キリギリスの鳴き声

最後に、この映画で、珍しいと思ったのは、夏や秋の虫が鳴くところでした。欧米では、蝉や虫の音は雑音と捉えられ、良く消されると言います。しかし、この作品では、キリギリスの大写しとともに、羽根をこすって音を出しているところまで写っていました。これは、今まで例が無い事のように思いまます。欧米人の感覚や考え方に変化が起きたのでしょうか。
それに、この辺りは北緯53度付近で、通常、この種の昆虫が棲息していないとされているところです。ほぼ同緯度のドイツのベルリン出身の人からもそう聞きました。でも、オランダの海岸地方は暖かいのでしょうか。風雨の影響か、海の暖流に近いからか、とても不思議で、興味深く思える場面でした。


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