大手メディアが伝えない情報の意味を読み解く
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社会

ネットニュースを軸にした読者コミュニティの原点が明治初期にあった。

2017.04.25 Tue

◇會津熱中塾

先日會津熱中塾というところで講義をしました。以前「熱中小学校の勢いがとまらない(上・下)」という記事でご紹介した熱中小学校の会津版です。会津の場合、廃校を利用しているのでなく、酒蔵など複数の施設を使うため「塾」という名称になっています。今回の会場は会津藩校のあった日新館でした。20170416iPhone会津 060

◇メディア3.0

講義は「メディア戦国時代のゆくえと新・メディア活用法」と題して行いました。まず、明治以降のメディアの歴史を3期に分け、メディア1.0、2.0、3.0と区分しました。これは佐々木紀彦さんの近著『日本3.0』(幻冬舎刊)になぞらえたものです。

メディア1.0は近代化の幕があけ、日刊新聞というニューメディアが登場して、マスメディアが発展途上の期間。

メディア2.0は戦後の高度成長期にテレビが登場して、新聞とともに2大マスメディアとして大量生産大量消費の時代を写し出したマスメディアの黄金期。

そしてメディア3.0は、ネットメディアが乱立して戦国時代のような時期を迎えているという現在。

メディア3.0は、もちろんインターネットの登場が変化の大きな要因です。メディア3.0の時代の特徴をひとことで言い表すのはなかなか難しいのですが、メディア1.0の時代までさかのぼると、その初期の現象はメディア3.0の源流と言えるのではないかと思えるのです。

◇メディア1.0の初期に登場「新聞縦覧所」

メディア1.0の口火を切るのは、明治3年の横浜毎日新聞という日本初の日刊紙の創刊です。その後、明治5年に東京日日新聞(いまの毎日新聞)をはじめ、順次新しい新聞が登場するのですが、読者は漢文調の記事を読める特定階層に限られ、部数も数百部ないし数千部と非常に少ないものでした。

そこで明治5年から登場して、政府の後押しもあって全国に広がったのが新聞縦覧所でした。たとえば、戯作者(げさくしゃ)から新聞記者になった仮名垣魯文は、横浜の野毛山に「諸新聞縦覧茶亭(ちゃみせ)窟螻蟻(くつろぎ)」を開き、一服一銭で客に茶を出して新聞を縦覧させたそうです。これすなわち、「定額読み放題」の元祖のようなものです。この場が、一種のサロンとしてSNS的な情報・意見交換の場となりました。これはイギリスで17~18世紀に盛んだったサロン「コーヒーハウス」の日本版とも言えます。

◇記者、読者、投書家の三位一体の交流

この時期の新聞は、記者、読者、投書家の三者が三位一体となって作られる様相を呈していました。(山本武利著『新聞記者の誕生』新曜社、1990年刊、による。) 新聞縦覧所はそうした人たちがお互いに顔を見ながら交流することができた場所でした。各紙には上記の仮名垣魯文のほか、柳河春三、福地源一郎、岸田吟香、成島柳北など著名な人気記者が輩出しました。また、明治前期の新聞においては、読者による投書がおおいに奨励され、紙面で大きく扱われていました。当時は、取材力に限りがあり、今風に言えば、コンテンツ不足だったので、読者による情報提供や意見の表明が歓迎されたわけです。特に熱心な人は投書家と呼ばれており、中にはその中から選ばれて記者となった人も出ました。

このように、新聞というメディアを軸に、記者、読者、投書家三位一体のコミュニケーションが回っていたわけですが、その時期は短く、明治中期以降は大衆的な大部数の新聞がどんどん成長していきます。

◇総表現社会におけるニュースメディアと読者の関係

その後、戦後のメディア2.0の時代となると、ほぼ完全にコンテンツを単方向にマスに分配する時代が確立し、長く続きました。しかし、1995年頃からの、インターネットの登場で幕を開けたメディア3.0の時代は、SNSの普及が象徴する、誰もが発信できる「総表現社会」となっていきました。

いまや乱立と言ってもいいくらいたくさんあるニュースメディア(下欄参照)は、キュレーション型メディアと言われていて、自分ではニュースの取材をせず、旧来のマスメディアからの配信に主として頼っています。そして、それらニュースメディアの多くは、記事に読者がコメントを書き込めるようにしています。書き込み欄がない場合も、読者は記事をツイッターやフェイスブックで共有ないし引用して、しばしばコメントを付けて発信しています。さらにそのコメントをつけた人をフォローする人がまた、それを拡散したりということがさかんに行われています。

このように、メディア3.0時代のニュース記事の読者は、メディア2.0時代において読み手にとどまっていたのと明らかに違って、ニュース記事を題材に、コメントないしオピニオン・意見を付けて発信、拡散しています。いわば、プロの書くニュース記事に、一般個人が追加発信者として連なっているのです。その個人の発信を、マスメディア側がコンテンツとして使うという“逆流”現象もよく起きています。(この、個人がニュースの発信の一翼をになうという見方は、松林薫氏の近著『「ポスト真実」時代のネットニュースの読み方』(晶文社、2017年3月刊)に教えられました。)

◇明治初期の三位一体構図の再来

ここで気付くのは、このような、現在広がりつつあるニュースメディアを軸とした読者コミュニティの原点が明治初期にあったということです。つまり、今の状況は、明治初期のごく限られた階層内の、メディア(新聞)を軸とした記者・読者・投書家の三位一体の構図が再現されているということです。ただし、インターネットによって、新しい方法と巨大な規模で再来しているのです。これこそが今進行しつつあるメディア3.0の状況です

ただし、意見表明の仕方が、言いっ放しであったり、攻撃的であったりして、前向きの議論にはほど遠いケースが氾濫していると言ってもいいくらいです。それらは、生身の人間が向き合う新聞縦覧所のようなサロンと違って、ネットを介したことばだけの“断片人格”的やりとりの限界を表しているとも言えます。また、事実と意見の区分もあいまいなまま語られるようなことがざらであるなど、混沌とした状況でもあります。偽ニュースというような一種の病理現象も総表現時代のメディアリテラシー201704そのような中で出てきています。

しかし、第4権力とまで言われた、マスメディアのきわめて大きな存在の時代を経て、明治初期の限られた小さな世界と共通の構図の超拡大版がいま再現されていると思うと本当におもしろいことです。

この混沌としたメディア生態系がある程度整理され秩序づけられて、落ち着いたものになってほしいものですが、当分は模索が続くのでしょう。ひとつ言えることは、個人が単なる情報の受信者にとどまらず、表現者・発信者になっていることに鑑み、従来のようなメディアを賢く読むという意味のメディアリテラシーだけでなく、適切に表現・発信するリテラシーというものが求められていると言えましょう。

會津熱中塾では、私の話について、“思いもかけなかった発想でメディアの発展段階が語られ、さらにこれからどうなっていくのかと想像するとわくわくする”というとてもうれしい感想を言ってくれた人がいました。とはいえ、今回、上で述べたような構図をうまく伝え切れたとは思えず、さらに整理していきたいと思っているところです。

今年度第2期を迎えた會津熱中塾。事務局長の宮森光子さんは「堀田さんの呼びかけに、ついその気になって」始めたといいます。「たいへんなこともあるけど、仲間が支えてくれているのでここまで来ました」と宮森さん。堀田一芙さんは山形県高畠町の熱中小学校第1号を発案した人です。日本IBM時代に、大型集中システムと異なる文化を持つパソコン事業を担当したことから、外部の人材との連携の価値を実感したと言います。その堀田さんが、山形県高畠町の熱中小学校の成功をバックに、その後「用務員」として各地の熱中スクール立ち上げの後押しをしています。會津熱中塾はその中でも早く立ち上がったひとつです。

かつて何度も通ったお気に入りの場所会津を再訪でき、聴講してくれたみなさんと、会津の実にうまい酒を味わいながら長時間談笑できたのは何にも代えがたい経験でした。

會津熱中塾20170416

 

 

20170416iPhone会津 063

 

 

 

※おもな新興ニュースメディアの例(主としてスマホ対応):

Yahoo!ニュース https://news.yahoo.co.jp/

スマートニュース https://www.smartnews.com/ja/

News Picks   https://newspicks.com/

Line News https://news.line.me/about/

ニュースパス https://newspass.jp/

News Suite   http://socialife.sony.net/ja_jp/newssuite/

参考:熱中小学校の勢いがとまらない http://www.johoyatai.com/863

続・熱中小学校の勢いがとまらない http://www.johoyatai.com/914

参考文献:

山本武利著『新聞記者の誕生』新曜社、1990年刊

松林薫著『「ポスト真実」時代のネットニュースの読み方』晶文社、2017年3月刊

松岡正剛ほか『クラブとサロン なぜひとびとは集うのか』NTT出版、1991年刊

注)「総表現社会」という言葉は、校條諭編著『メディアの先導者たち』(NECクリエイティブ、1995年刊)の中で編著者が使った言葉。後に、梅田望夫が『ウェブ進化論』(ちくま新書、2006年刊)で用いたことにより広く知られるようになった。


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