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震災から9年目を迎える宮城被災地紀行(上)

2020.02.23 Sun

この3月11日で9年目となる東日本大震災の復興状況を見るため、日本記者クラブが企画した宮城取材団に加わり、宮城県南三陸町、女川町、石巻市を回ってきました。取材以外では訪れる機会の多い宮城県ですが、取材者として被災地を歩くと、9年目の重い現実が見えてきました。

 

最初に尋ねた仙台市の河北新報社で、復興の概況を説明した同社の今野俊宏編集局長は「錯綜する思い」という言葉を使いました。震災直後の被災地は、被災者も行政も心をひとつにして復興に向けて尽力してきたわけですが、年月がたつと、復興に対する考え方や取り組みが異なってきて、ときには対立も生まれる、といった現在の状況を述べたのだと思います。あらためて今回の取材全体を振り返ってみると、たしかに「錯綜する思い」をあちこちで感じました。

 

◇造成されたニュータウン、南三陸

仙台市から南三陸町まで貸し切りバスで移動、昨年末に一部が開園した復興祈念公園の「祈りの丘」に登りました。標高20メートルの築山の山頂には、震災による犠牲者の名簿を安置する石碑が建てられ、そこからは、かさ上げ工事が進んでいる町の様子が見渡せました。まるで新しく造成されたニュータウンのようでした。南三陸町といえば、多くの町職員が犠牲になった防災庁舎が知られていますが、その遺構が6.3haの公園内に収まるように建っていました。(写真は復興祈念公園に設置された慰霊碑、眼下には志津川湾が見える。ほかの写真も含め筆者が撮影

防災庁舎は、津波からの避難を防災無線で最後まで呼びかけ、殉職した職員がいたことが多くの人に感動を与えました。津波でほとんどの建物が消失した町のなかにポツンと建つ庁舎に対しては、悲しみを呼び起こすとして解体を求める住民も多く、町もいったんは解体を決めました。しかし、震災遺構として残すべきだという意見も多く、保存か解体かの最終的な判断は20年後とすることで、県が所有、管理することになった経緯があります。

 

現状をみると、土地のかさ上げで、庁舎の周辺の土地も高くなった結果、庁舎はくぼみのなかから頭だけが出ている形で、「見たくないのに目に入ってくる」という状態ではなくなったように思えました。この震災遺構は、防災庁舎でありながら津波を防げず、この建物だけで40人を超える犠牲者を出したということ、そして、亡くなった職員たちが最後まで町を守るために努力したということで、後世に残すべきものだと思います。物理的に見えにくくなったということではなく、町民が次の世代に伝えるべきものとして庁舎の遺構を見据える、そんな日が来ることを期待したいと思いました。

 

公園を案内してくれた町観光協会の西條美幸さん(25)は、高校1年生のときに震災を体験、「できるだけ海から離れたい」と、内陸に就職したそうですが、町の復興に寄与したいという思いから、現在の仕事に就いたとのこと。震災時には、海岸に近い4階建ての町営住宅の屋上に避難、そこで膝まで津波に襲われた体験をしたそうで、いまは語り部として町を訪れる人たちに、その体験を話していると語っていました。震災の思い出は辛いものだと思いますが、それを語ることで未来を切り拓いていこうという若い人たちがいる、そのことが震災復興だと思いました。(写真の中央は西條美幸さん

2017年に高台に移転、新築された町役場で、南三陸町の佐藤仁町長(68)から復興の現状について話を聞きました。町長は防災庁舎の屋上のアンテナなどにつかまって津波を逃れた10人のひとりで、「生き残ったのは、再建を託された」との思いから復興に尽力してきました。仮設住宅から復興住宅などへの転居が終わり、役場など公営施設の改築移転などもほぼ完成、「津波が来ても逃げなくてすむ安全安心の町になった」と話しました。(写真は新しい庁舎で復興を語る佐藤仁南三陸町長

町の主軸となる産業は水産加工業と観光です。佐藤町長は、水産業では、震災後、Uターンで戻ってきた人も含め若い後継者たちがワカメ、カキ、ホタテ、ホヤ、ギンザケなどの養殖業を中心に「持続可能な漁業」をめざしていることに期待を寄せる一方で、人口減少による人手不足への懸念を述べていました。

 

町の人口は震災前の2010年末には17,687人でしたが、2019年末は12,691人で、28%減っています。若い人が定着できるような企業が少ないためで、水産加工業では人手不足からベトナムなどから100人を超える技能実習生を招いているとのこと。また、海水の温度が上がっているためか回遊して志津川湾に戻ってくる秋サケ(シロザケ)が不漁になるなど気候変動による漁業への影響も心配だと語っていました。

 

震災後、町の賑わいを支えてきたのは、さんさん商店街などの仮設商店街で、復興を助けようと多くの観光客が訪れました。商店街は2017年3月に、かさ上げした土地に移転して、「本設商店街」となりました。その結果、南三陸町を訪れた観光客数もさらにふえ、2018年には過去最高の140万を記録しました。しかし、2019年は50万人程度に減ったそうです。佐藤町長は、夏場の台風や10月からの消費増税の影響だと分析していましたが、震災の風化で、被災地ツアーの旅行者が減っていることもあると思います。「被災地」「復興」というキーワードだけで観光客を呼び込むのは難しくなっているのでしょう。

 

先細りが心配される観光ですが、佐藤町長が「インスタ映えする」と期待しているのは、復興祈念公園とさんさん商店街のあるエリアとの間を流れる八幡川をまたぐ「中橋」と名付けられた人道橋です。隈研吾氏のデザインした2層構造になっている長さ80mのアーチ橋で、上部でも下部でも歩いて渡れるダブルデッキになっています。人道橋では日本初だそうで、今秋に完成すれば、観光の目玉になりそうです。(写真は建設中の中橋、右は町の資料に掲載された中橋のイメージ図)

◇宿泊税の暗雲

この日の宿泊先は、志津川湾に面した南三陸ホテル観洋でした。震災直後から避難してきた住民に宿泊場所を提供、5月からは2次避難所として半年間にわたって約600人の住民の避難施設になりました。その後も、子どもたちのための図書館やそろばん教室を設けたり、ホテルも宿泊客のための「語り部バス」を毎朝運行したり、南三陸復興の活動拠点となってきました。

 

このホテルを切り盛りしている女将、阿部憲子さんの頭をいま、悩ませているのが宿泊税です。村井嘉宏宮城県知事が2月議会に提出した宿泊税条例案は、2021年度から3000円以上の宿泊料を支払う宿泊客に対してひとり300円の宿泊税を課税し、県の観光振興事業に充てるという内容。

 

人口減が予想されるなかで、観光産業は地域経済を活性化させる柱ですが、県の観光関連予算(2020年度、24億円)の約7割を占めてきた国からの東北観光復興交付金や復興関係基金の交付が震災復興期間が終わる2020年度で打ち切られるため、新たな財源が必要。それを補うには、東京都や大阪府、京都府・市、金沢市などで導入されている宿泊税が適当というのが県の言い分です。

 

これに対して、猛反発したのが県内の旅館やホテルを経営している事業者たちで、①東京(1万円以上100円~200円)、大阪(7000円以上100円~200円)、京都(2万円未満200円、2万円以上500円~1000円)などに比べて高い、②観光産業全体が負担すべき支出を宿泊業に負担させるのは不公平、③京都は修学旅行など学校行事を免税にしているのに課税免除がない、などの理由をあげています。また、県観光振興財源検討委員会が1月に宿泊税の導入案を答申、その直後の2月議会に提案というのは拙速にすぎる、という批判も出ています。

 

阿部さんは、県内の旅館やホテルの女将で組織する「みやぎ女将の会」の会長でもあり、宿泊税の動きが本格化してからは、県議会などへの陳情など反対運動の先頭に立っています。(写真は復興の現状を語る南三陸ホテル観洋の女将、阿部憲子さん

「私たちは入湯税を支払っているうえ、昨年秋からは消費増税があり、そのうえに宿泊税となると、宿泊客は宿泊税のない他県に逃げてしまうおそれもあります。湯治客や復興関連で長期滞在のお客様や家族客にとっては、負担感はさらに大きいと思います。会の仲間からは、宿泊税を考えると夜も眠れないという電話が夜遅くかかってくることもあります。ネット時代は、100円でも安いところを検索して選択する人たちも多いという実情を県には理解してほしいと思います」

 

県からすれば、県内の観光地を全国にPRしたり、今後の増加が期待される外国人観光客を呼び込んだりするには県単位での誘致活動が必要ということなのでしょうが、実際に宿泊税を徴収することになる旅館やホテルの経営者にとっては、価格競争にマイナスになるような宿泊税は困るということでしょう。国からの復興財源が縮小することになると、県と宿泊業者との思いが錯綜するということでしょう。

 

増税には、負担する人たちからの理解が必要で、県は各地で説明会を開きましたが、会場からは「拙速」との声が多く出ているそうです。県議会の最大会派である自民会派からも、丁寧な説明や修学旅行生の免除などの要望がなされたこともあり、村井知事は県議会の質疑が始まると、答弁のなかで、修学旅行生を免除する条例案を追加提出すると、方針の変更を示しました。旅行業者の声に一部応えることで、導入案を通すというのでしょうが、旅行業者の理解を得るのは難しそうです。

(冒頭の写真は、南三陸復興祈念公園内の旧防災庁舎)


この記事のコメント

  1. KG小林 より:

    「津波でほとんどの建物が 焼失 した町のなかに」
                ↓
    「津波でほとんどの建物が 消失 した町のなかに」
    とした方がよいと思います.

    「宿泊税」の直接の負担者は宿泊者ですが,直接の意見を聞くことは困難で,宮城県への宿泊忌避という間接的な行動で答えるでしょう.その分を取り戻せるほどの観光事業に充てるということですが,具体的な使途も施策も見えないので,宿泊業者がシワ寄せを受けるのではと反発するのは当然です.村井知事は,理不尽な「税」でアメリカという巨大な植民地を失った大英帝国の教訓をご存じでしょうか?

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