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「コロナ蜂起」vs「優性思想」

2020.08.04 Tue

トランプの続投は困る、という一点だけで、支持を広げているようにみえるバイデン前副大統領が好きな言葉は「すべては変わった。完全に変わった。恐ろしき美が生まれた」(All changed, changed utterly/A terrible beauty is born)だそうです。アイルランドの詩人、ウィリアム・バトラー・イェイツ(1865~1939)の「復活祭1916年」という詩の一節。アイルランドの独立をめざして1916年の復活祭に起きた蜂起を想って書いたものです。

 

11月の大統領選によって、トランプ政権が行った政策の多くが変わることを期待したいところです。振り返って日本のコロナ対策を見れば、行けと言ったり、行くなと言ったり、場当たり的なご都合主義(GoToGoism)が目に余りますが、それにたまりかねての「コロナ蜂起」も起きはじめています。

 

東京都医師会の“蜂起”

 

東京都医師会の尾崎治夫会長は7月30日の記者会見で、日本各地で形成されつつある「エピセンター」(感染拡大の震源地)への施策として①法的強制力を持った14日間程度の補償を伴う休業要請を行う②集中的にPCR検査などを施行し、無症状者も含めて感染者の発見・対策を行う、などを提言。「コロナウイルスに夏休みはない」として、早期に臨時国会を開いて上記の政策を実行できる法整備を急ぐように求めました。尾崎会長は会見の前夜には、「これ以上国の無策の中、感染者が増えるのは我慢できない」とSNSに投稿しています。堪忍袋の緒が切れた、ということでしょう。

 

同医師会は、検査について、医療的必要性(保険診療)と公衆衛生的必要性(行政検体)と社会活動・経済活動等からの必要性の3分野に分けて、それぞれの目標を提示しています。①保険診療については、都内1400か所(人口1万人に1か所程度)の地域医療機関でPCR検査ができるようにするとともに、都内250か所の2次救急病院へのPCR検査機器を配備する、②行政検体については、これまでの検査機関である保健所や衛生研究所だけでなく、大学や研究機関などの協力を求めて検査が迅速にできるようにする、③社会・経済活動に向けての検査については、種々の場面で求められる検査体制の確保を求めています。

 

東京都医師会の提言は、これまでの検査の中心だった保健所などによる「行政検査」から医療機関による「診療検査」に重点を移そうとしているように思えます。このまま感染者がふえていけば、検査を必要とする人たちも大幅にふえ、行政検査だけでは対応できないからでしょう。

 

これまでの検査体制は、発熱などコロナ感染が疑われる人がかかりつけの病院で受診しても、保健所やコールセンターなどの相談窓口に電話しても、最終的には保健所の判断で検査を受けるのが「主流」でした。これは行政検査ですから、検査そのものは無料ですが、検査数が絞られたり、検査結果がでるまで時間がかかったりする問題がありました。

 

しかし、診療のための検査が「主流」になれば、治療費に含まれた検査費用を患者が支払うことになりますが、保険適用が適用されるので、患者自身の負担は、全額負担よりは軽くなります。医師らが集めた検体の検査をするのは民間の検査機関ですが、医療機関自身が検査装置を持つようになれば、医療機関の検査能力はふえますし、検査期間も短縮される可能性があります。現状の検査の実情をみれば、大きな改善になると思います。

 

とはいえ、この提案には既視感があります。安倍首相は2月29日の記者会見で、次のように述べました。

 

かかりつけ医など、身近にいるお医者さんが必要と考える場合には、すべての患者の皆さんがPCR検査を受けることができる検査能力を確保します。

 

あれから5か月をすぎても、その体制が整わないことに、お医者さんたちがしびれを切らしたということでしょう。

 

PCR検査装置の値段はピンキリでしょうが、たとえば1億円程度と見込めば、都内250か所の2次救急病に供与しても250億円で、アベノマスク予算でもおつりがきます。これまでの対策でも、検査機器の導入などへの補助金は出されてきたと思いますが、全国の医師会に対して人口に応じて検査機器を供与し、それを活かせる検査センターの設置や人員配置に予算を出していたら、医師会の「蜂起」は起こらなかったと思います。

 

世田谷区長の“蜂起”

 

蜂起したのは医師会だけではありません。東京都世田谷区の保坂展人区長は、「誰でも、いつでも、何度でも」という検査体制を目標にした「世田谷モデル」の取り組みをはじめると7月末に表明しました。

 

世田谷区は、保健所による行政検査ルートとは別に世田谷区の医師会による検査センターによる診療検査ルートを設けていました。しかし、第2波とみられる感染拡大を受けて、検査センターなどに大量に検査できる機器を導入するとともに、複数の検体を混ぜて検査するプール方式によって、現在の1日300件程度の検査能力を2000~3000件処理できるようにすると、区長は表明しました。

 

こうした量的拡大によって、区民が「いつでも、何度でも」検査を受けられる体制をめざすとし、まず、医療、介護、保育などの従事する人たちが定期的に検査を受ける「社会的検査」を進めるとしています。私は、これに小中高校の教職員も加えてもらいたいと思いますが、コロナがはびこる社会で、市民や子どもたちの安全・安心を担保するには、社会的検査は不可欠だと思います。

 

とくに医療機関や介護施設での院内感染を防ぐには、全員検査は必須で、国が検査に消極的ななかでは、世田谷区が先鞭をつけたことになると思います。保坂区長は、東京新聞のインタビューで、次のように語っています。

 

従来の保健所中心の感染症対策では手に負える状況ではなくなっているからで、保健所の外側に大量の検査をできる体制をつくる政策転換が必要。具体策が進まず、絶望感や失望感が社会に渦を巻いている。住民が安心できる地域社会を実現していく。やってみせることで「検査は可能だ」と展望を示したい。

 

財源については、寄付金などを例示していますが、本来であれば、国や都が率先して出すべき費用であるとの考えがあるのでしょう、国や都に協力を求めたいと語っています。

 

全員が無料で、何度でも検査を受けられるというのは、ニューヨーク州方式といわれ、世田谷区の場合、全員が無料とは言っていませんが、少なくとも社会的検査は無料にしようということだと思います。また、「誰でも」という目標を掲げた以上、私費だと数万円かかる検査費用の負担を大幅に引き下げることが求められると思います。

 

「(検査体制を拡充することで)安心して働けて、街が歩けるということに、その土台をつくるということに、はっきりお金を使うべき」(FNNインタビュー)という保坂区長のメッセージはわかりやすく、「感染拡大/特別警報」などという掲示板を知事に見せられ、自粛を求められている都民にすれば、世田谷モデルを東京モデルにしてほしい、と思う人が多いのではないでしょうか。

 

優性思想の顕在化

 

コロナ禍のなかで、京都市に住む筋委縮性側索硬化症(ALS)の51歳の女性の依頼を受けて、この女性を殺害したとして、宮城県名取市と東京都港区の医師2人が嘱託殺人の疑いで逮捕されるというショッキングな事件が起きました。

 

亡くなった女性にとっては、「死ぬ権利」の行使だったと思いますが、日本では、投薬などによる「積極的安楽死」を他人が行えば自殺関与・同意の殺人罪(刑法202条)に問われます。免責されるのは、これまでの判例では、患者の明確な意志、回復不可能な病気の終末期、心身への耐え難い苦痛、死や苦痛の回避策がない、などに限られています。今回の事件では、死にたいという明確な意志はあったようですが、ほかの条件は満たされていません。また、女性の主治医でもなく、SNSを通じての会話以上に、長時間の会話はなかったようで、「生きる権利」について話し合い、翻意を促す努力もなかったようで、報道されている限りでは、「安楽死」とはかけ離れた行為をしたように思えます。

 

それなら、お前は、この女性に生きる希望を与えられたかと問われれば、その自信はありません。ただ、同じALSを患う舩後靖彦参議院議員(写真)のつぎのコメントには、心を打たれました。

 

報道を受け、インターネット上などで、「自分だったら同じように考える」「安楽死を法的に認めてほしい」「苦しみながら生かされるのは本当につらいと思う」というような反応が出ていますが、人工呼吸器をつけ、ALSという進行性難病とともに生きている当事者の立場から、強い懸念を抱いております。なぜなら、こうした考え方が、難病患者や重度障害者に「生きたい」と言いにくくさせ、当事者を生きづらくさせる社会的圧力を形成していくことを危惧するからです。

 

私も、ALSを宣告された当初は、できないことがだんだんと増えていき、全介助で生きるということがどうしても受け入れられず、「死にたい、死にたい」と2年もの間、思っていました。しかし、患者同士が支えあうピアサポートなどを通じ、自分の経験が他の患者さんたちの役に立つことを知りました。死に直面して自分の使命を知り、人工呼吸器をつけて生きることを決心したのです。その時、呼吸器装着を選ばなければ、今の私はなかったのです。

 

「死ぬ権利」よりも、「生きる権利」を守る社会にしていくことが、何よりも大切です。どんなに障害が重くても、重篤な病でも、自らの人生を生きたいと思える社会をつくることが、ALSの国会議員としての私の使命と確信しています。

 

この「事件」で不可解なのは、法的な訴追を受けるのは確実な状況で、主治医でもない2人の医師が行動を起こしたことです。宮城県の名取市で開業していた医師は、それ以前に石巻市内の病院に勤務していたことがあり、そのときに会食したことがあります。おとなしいお医者さんという印象を持っていたので、事件の当事者と聞いて驚きました。この医師と思われる人がSNSで発信していた「つぶやき」をたどってみると、患者を苦痛から解放させられないかといった医師としての使命感というよりも、社会的に価値のない人間は淘汰されるべきといった「優性思想」を感じました。

 

物もないしカネもない、報道や言論の自由だのと権利だけを声高に主張する状況で、医療従事者が必死こいてアホを助けるいわれはないだろ。淘汰されたらいいじゃねえの(2020418日)

 

子どもができない、ってお嘆きのカップルもいるが、むしろ出来損ないの子共を引いちまって、人生詰まなくてよかったよね、と俺は思う(202065日)

 

生活困窮の病人を医者が助ける必要はなく、淘汰されるべき、というのは、「貧乏人は死ね」ということでしょうし、出来損ないの子どもをつくるぐらいなら、つくらないほうがまし、というのも、社会的価値で命を選別しているように思えます。コロナについてのツイートも多いのですが、ここでも、選別が行われているように思えます。

 

悪いけど、一定程度は死ぬってことで、この感染症にアホみたいなリソース投じてるのやめたらよくね?(2020412日)

 

老人が自粛せずに徘徊してて、てめえらが延命するため社会で犠牲をかぶってんだクソが(2020425日)

 

これらの「つぶやき」はSNSですから、こうした投稿をすれば、注目されたり、人気になったりする、という「受け」をねらったものかもしれませんが、その一方で、匿名で書かれたものだけに、本音が出ているようにも思えました。

 

  • 優性思想の浸透

 

優性思想は、社会を発展させるために、価値のある人間の遺伝子を残していこうという考え方で、私たちが真っ先に思い浮かべるのは、ヒットラー率いるナチスドイツで、ドイツ民族を優秀な民族にするため、その障害とみなされたユダヤ民族の絶滅をはかろうとしました。日本で1948年に成立した優生保護法も、1997年に母体保護法となるまでの間、ハンセン病患者や精神障害や知的障害の人たちなどを断種の対象として運用され、なかには本人の承諾を得ないままに不妊手術を受けさせられた人たちもいました。

 

優生保護法は改正されましたが、社会的に価値のある人を残し、価値のない人たちは淘汰していく、という考え方は、市場経済を重視する新自由主義思想が1990年代以降、日本でも浸透するようになると、かえって盛んになっているように思えます。

 

コロナ対策でも、緊急事態宣言による自粛が経済を委縮させたという「反省」が生まれ、経済を殺さないためには、コロナによるある程度の犠牲はやむをえない、という考え方が次第に強くなっているように思えます。コロナの感染症が重症化するのは高齢者や基礎疾患のある人が多い、というこれまでの知見は、高齢者や病弱の人を守らなければならない、という結論を導いているように見えますが、その一方で、社会的に淘汰されるべき人間のために、若い人たちや健常者が犠牲になることはない、というのが「ホンネ」となってよどんできているのではないでしょうか。

 

国も東京や大阪などの自治体も、感染者数よりも重症者数を重視する傾向を強めています。経済を動かすためには、感染者がふえるのは仕方がないが、重症者が治療を受けられる体制だけは整えておきましょう、ということでしょうか。重症者がふえてくれば、死者数がまだ少ないと抗弁し、死者数がふえてくれば、若者が少ないのが救いだ、とでも言うのでしょうか。

 

嘱託殺人事件に見え隠れする優性思想は、日本のコロナ対策の位相を別の角度から見せているように思えます。コロナ蜂起が対決すべきは政府だけではなく「優性思想」でしょう。

(舩後靖彦氏の写真は同氏の公式HPから、冒頭の保坂展人世田谷区長の写真は世田谷区のHPから、それぞれ取りました)


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