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映画『WORTH 命の値段』を観る

2023.01.29 Sun

2001年9月11日に起きた同時多発テロの被害者(死傷者とその家族)を救済するため、米政府は事件から1月も経たないうちに「9.11犠牲者補償基金」を立ち上げます。映画『WORTH 命の値段』(サラ・コランジェロ監督)は、補償基金の特別管理人として、補償プログラムをまとめ、5560人の被害者やその家族に総額70億ドル(約9100億円)の補償金を給付したニューヨークの弁護士、ケン・ファインバーグの実話を物語にしたものです。

 

私は事件当時、ワシントン駐在の記者として9.11を取材していたのですが、事件の背景や米政府の報復措置を追っていたせいか、この基金のことは全く知りませんでした。米政府は事件を起こしたアルカイダをアフガニスタンのタリバン政権がかくまっているとして、英国軍とともにアフガニスタン攻撃に踏み切りました。事件から1月も経たない10月7日で、その速さに驚いた覚えがあります。この映画で、補償基金の設立を含む法案が議会の承認を得て成立、発効したのが事件から11日後の9月22日だったと知り、この速さにも驚きました。危機に対しては、拙速を恐れずというのが米国流なのでしょう。

 

この映画で、マイケル・キートン演ずる特別管理人は、任命されるとすぐに被害者を集め、自分が作成した補償金の算定式を示して補償プログラムへの同意を得ようとします。しかし、拙速がたったのか猛反発を受け、目標とする80%の同意が得られません。批判されたのは、補償金が一律ではなく、交通事故の損害賠償金などと同じように被害者の「得べかりし利益」(逸失利益)をもとにしたことです。この方式では、高給を得ていた金融関係などの被害者が高額の補償金を得られるのに対して、救助活動などで殉職した消防士などの公務員や低賃金の一般労働者の補償金が低く見積もられることになります。命の値段に差をつけるのはおかしい、という素朴な感情が強く出たのです。

なぜ、逸失利益による算定方式が採られたのかというと、この法案が被害者救済というよりも、航空会社が被害者への補償金で倒産することを防ぐのが狙いだったからです。航空会社が請求されるかもしれない補償金を政府が肩代わりして訴訟リスクを減らそうというわけですから、訴訟で持ち出されるのと同じような逸失利益による算定が採用されたのです。補償基金を設けた法律の名称は、「航空運輸安全及びシステム安定化法」で、ほかの政策も含めて、航空業界の安定が大きな目的でした。

 

特別管理人が示す算定額に不満を持つ被害者は、航空会社などへの集団訴訟を起こそうとします。これに対して、特別管理人は、裁判になれば補償金が得られるまでに長期の時間がかかるが、補償プログラムに同意すれば、すぐに補償金が得られると、説得します。このあたりの駆け引きは、訴訟社会の米国の実際を浮き彫りにして、映画の面白さのひとつになっています。

 

特別管理人は、こうした駆け引きでも多くの同意が得られず、プログラム申請の締め切りが迫り、焦りが募るなかで、あることに気付きます。さまざまな生活環境の被害者や家族に対して、算定方式を押し付けるだけでは、多くの被害者の納得を得ることは難しいということです。そこで、被害者ひとりひとりに寄り添って、話を聞きながら、同意を得ることにします。

 

そうなると、ドラマの主役は特別管理人から脇役だったはずの被害者たちに移っていきます。犠牲者の家族やパートナーがそれぞれの物語を語るなかで、同時多発テロが多くの不条理な死をもたらしたことをあらためて私たちに教えてくれます。特別管理人の側が被害者に心をひらくことで、補償プログラムの展望もひらけていきます。

 

こうした物語の展開に感動しながらも、訴訟社会である米国での実際は、お金をめぐるどろどろしい話が中心で、特別管理人たちの人間性が状況を動かすような場面はなかったのだろうと、想像しました。しかし、この稿を書くにあたって、ひょうご震災記念21世紀研究機構の安全安心社会研究所(現、同機構研究調査部)の林敏彦所長(当時)が2007年に公表した「米国同時多発テロと犠牲者補償基金」と題したワーキングペーパーを読むと、補償基金はプログラムが「成功」した理由として、基金が「申請を待つのではなく、犠牲者家族のところに出向いて事情聴取をするといった行動的なアプローチをとった」、「裁判所での事情聴取に加え、申請者から個人的な思いを聞く機会を設けた」、などをあげていたことが紹介されていました。

 

特別管理人が被害者の声に耳を傾けるようになった物語は、それなりの「実話」だったのかもしれません。映画では、命に値段をつける側の特別管理人チームの人たちの苦悩、付けられる側の人たちの苦しみ、法律上、補償金を手にできないひとたちの悲しみなどをマイケル・キートンのほか、スタンリー・トゥッチ、エイミー・ライアンらの俳優が巧みに演じていました。

2001年の同時多発テロ以降、米国主導のアフガニスタン戦争やイラク戦争が続き、2022年にはロシアによるウクライナ侵攻で、多くの市民の命が奪われています。命が粗末に扱われている時代のいま、この映画は「命の値段」から不条理な世界を考えるきっかけになると思います。

 

(映画は2月23日から一般公開されます。ポスターや写真は© 2020 WILW Holdings LLC. All Rights Reserved


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