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安倍銃撃犯が”予言”した「麻原的なものの復活」

2022.08.01 Mon

「考えてみりゃ世の中テロも戦争も詐欺も酷くなる一方かもしれない。信じたいものを信じる自由、信じるものの為に戦う自由。麻原的なものはいずれ復活すると思う。それがこのどうにもならない世界を精算するなら、間違ってはいないのかもしれない。人は究極的には自分が味わった事しか身に沁みないものだ」

 

安倍元首相を銃撃した山上徹也容疑者のものとみられるツイッター(現在は閉鎖)にことし6月23日、こんなツイートがアップされていました。銃撃事件の2週間前、すでに標的を定めていたかもしれません。ここに書かれた「麻原的なものはいずれ復活する」という不気味な“予言”がずっと気になっています。

 

◆「麻原的」とは何か

 

山上容疑者が言う「麻原的」とは、何なのでしょうか。私が理解するオウム真理教は、無差別テロも辞さなかったカルト宗教ですから、麻原的なものの復活といえば、オウムのようなカルトがこれからはびこる、という意味だと思いました。

 

しかし、このツイートをじっくり読むと、山上容疑者の考える麻原的という言葉は、そうではないようです。というのも、この言葉のあとに、「それがどうにもならない世界」を「精算」(清算という意味でしょう)するのなら間違っていないと、麻原的なものを否定していないからです。そう考えると、麻原的なものとは、この言葉の前に書かれている「信じるもののために戦う自由」ではないでしょうか。それは憲法で保障された「信仰の自由」ではなく、宗教であれ、思想であれ、怨恨であれ、信じるもののため戦いであれば、手段を選ばない、という「戦いの自由」です。一言でいえばテロリズムの肯定です。

 

山上容疑者の考える麻原的をテロリズムと置き換えることができるのなら、「自分が味わった事しか身に沁みない」というのは、テロリストの資格要件であり、自分が味わった苦痛が深ければ、テロを実行する資格があるということになると思います。

 

テロリズムというのは、相手の生命を奪うことに直結しますから、それが許されるのは、イスラム過激派のテロのように、絶対的な正義がテロを実行する側にあるという信念というか思い込みが必要です。こちらには「神の国」、相手には「地獄」が待っている、というわけで、他者からみれば、「狂信的」ということになります。

 

しかし、山上容疑者のテロリズムの原点は、絶対的な正義ではなく、自分の味わったことという個人な出来事、おそらくは統一教会(現、世界平和統一家庭連合)による家庭崩壊への恨みでしょう。絶対神がいなければ、個人の正義は相対化されてしまいます。だから、山上容疑者のテロリズムは、神から見放された孤独なテロリズムです。事件の前日、山上容疑者が統一教会に対する批判的なブログを書いていたジャーナリストに送った手紙には、こんなくだりがあります。

 

私は『喉から手が出るほど銃が欲しい』と書きましたが、あの時からこれまで、銃の入手に費やして参りました。その様はまるで生活の全てを偽救世主のために投げ打つ統一教会員、方向は真逆でも、よく似たものでもありました

 

銃を入手するため努力した様子を「偽救世主のために投げ打つ統一教会員」と似ている、と書いています。どちらも「信じるもののために戦う」という点では、皮肉にも同じようだと言うのでしょう。孤独なテロリストは、アイロニーの世界に生きるニヒリストでもあります。

 

山上容疑者には、「復讐するは我にあり」という絶対神はいませんから、自分の信念や行動が絶対正義だとは考えていないと思います。「テロも戦争も詐欺も酷くなる一方」と、テロを戦争や詐欺と同列にして、ひどくなる一方だと、突き放しています。また、前述の手紙は、「安倍の死がもたらす政治的意味、結果、最早それを考える余裕は私にはありません」と結んでいますが、暗殺の結果を考えないのは、自分の正義がもたらす結果に自信を持てなかったのでしょう。

 

◆「麻原的なものの復活」とは

 

山上容疑者にとって、テロリズムの原点は個人的な出来事です。山上容疑者のものとみられる1300本を超えるツイッターへの投稿記録(「魚拓」と呼ぶそうです)で、「私たち」という単語を検索すると、他人のツイートを転載するリツート(RT)に出てくる2回を除くと1回しかありません。それも「私たち日本人」です。

 

「麻原的なものがいずれ復活する」と言うからには、麻原的なものを志向する人たちが自分だけではなく社会的に出てくる必要があります。山上容疑者は、統一教会による被害者は私だけではない、たくさんいる、と考えたのでしょうか。そうではないと思います。統一教会を離れて、この「どうにもならない世界」がある限り、そして、この世の苦しみや恨みが充満する限り、テロリズムは復活すると考えたのだと思います。

 

山上容疑者のものと思われるツイッターで、ことし6月29日(銃撃の9日前)にRTしたのは、「るろうに@臨床心理士のメンタル回復bot」というツイッターの下記の投稿でした。

 

「若い人が自殺すると『まだ若い、これからの人だったのに』という意見が出るけど、むしろ若いから亡くなってしまうんだと思う。将来への希望が持てず『あと何十年もこれが続くのか…』と思うと生きる気力が剝がれてくる。そのくらい今の日本で若い人が希望を持って生きるのはすごく難しいんだよ」

 

山上容疑者がこのツイートにどのくらい共感したのかはわかりませんが、若い人が希望を持って生きることが難しい社会であれば、麻原的な行動(テロリズム)に走る人がふえるという自分の考えを補強するツイートだと思ったのかもしれません。

 

政治学者の中島岳志氏は、朝日新聞(8月1日)の文化面のインタビューで、山上容疑者のものとみられる下記のツイート(2020年1月21日)を引用しながら、孤立している人を社会の中に包み込んでいく「社会的包摂」の必要性を語っています。

 

金が金を産む資本主義社会において最も金が必要な脱落者には最低限の金が与えられるが、何故かこの社会は最も愛される必要のある脱落者は最も愛されないようにできている」

 

山上容疑者は、母親を統一教会に奪われたのですから、愛情の脱落者であり、愛情が必要なのに誰からも愛されない、という思いを抱いていたのでしょう。しかし、この文章の主語は「この社会」ですから、自分と同じような愛情の脱落者はたくさんいるという思いも持っていたと思います。中島氏は、そこに社会的連帯の可能性を見出したのだと思いますが、山上容疑者はこの社会が愛情の脱落者を生み、放置していることに、麻原的なものの復活を想像したのかもしれません。

 

◆ルサンチマンの社会

 

「ルサンチマン」という言葉があります。広辞苑によると、「弱者が強者に対する憎悪や復讐心を鬱積させていること」とあります。ルサンチマンが世の中に充満し、その回路がテロリズムということになれば、まさに「麻原的なものの復活」という山上容疑者の予言が成就することになりかねません。

 

中島氏は前述のインタビューで1921年の安田善次郎刺殺事件が引き金になり、事件のすぐあとに原敬暗殺事件が起きた歴史を取り上げ、「戦前期の教訓は、暴力の連鎖を決して許してはいけないということ。いま僕たちは重大な岐路に立っています」と語っています。

 

その通りだと思います。ルサンチマンの回路をテロリズムに向けさせないためには、この世界が「どうにもならない」ものではなく「自分たちの力で変えることができる」と思わせる回路が必要です。それには、虐げられている人々が声をあげたときに、それを支えるさまざまな仕組みが必要です。国会は、そうした声を政策や法律に反映させる場であり、メディアはそうした声を世に知らせる役割がありますが、山上容疑者にとっては、政治もメディアも「どうにもならない」世界のつくっている側に思えたのでしょう。

 

統一教会による被害の実態について、もう少し政治やメディアが注意を払っていたら、今回の悲劇は防げたように思えます。ところが、事件後に次々と明るみに出る自民党などの保守政治家と統一教会グループとの癒着は、政治が被害者の声を聞くどころか圧殺する役割を果たしてきたのではないかという疑いすらもたらしています。

 

自民党の福田達夫総務会長は、自民党と統一教会との関係を問われて「なんでこんなに騒いでいるのか正直わからない」という発言したそうです。私からみれば、なんでこんなに世の中が騒然となっていることが理解できない政治家がいるのか、正直わからない、という思いです。

 

福田氏は「明確に我が党が組織的に、ある団体から強い影響を受けて、それで政治を動かしているのであれば問題かもしれないが、僕の今の理解の範疇(はんちゅう)では、そういうことが一切ない」とも語ったそうです。

 

しかし、2015年に、統一教会を「世界平和統一家庭連合」に名称変更する際に、当時の文科相だった下村博文氏の関与したのではないか、という疑惑が出ています。福田氏の発言は、そういう疑惑を封印するかのような発言で、またぞろ役人たちは当時の決裁文書などから政治の介入を隠ぺいするのに四苦八苦しているのではないかと勘繰ってしまいます。名称変更についての経過を知るための公文書を共産党の議員が文化庁に要求したところ、開示された文書のコピーは、ほとんどが黒塗りだったそうです。(下の写真は、日本共産党のフェイスブック7月29日に掲載された文化庁から開示された文書)

漆黒の闇が深ければ、そこに「麻原的なもの」が潜む余地が生まれます。闇があれば、光を当てるのが政治やメディアの役割だと思います。この闇の深さは、“モリカケ”以上かもしれません。

(冒頭の写真はネット上に公開されている山上徹也容疑者のツイッターの「魚拓」)


この記事のコメント

  1. 高成田 享 より:

    自民党に食い込んでいた統一教会の動きをニュースで見ていると、自民党の憲法改正草案にみられる個人よりも家族重視の思想は、保守的な自民党の思想なのか、統一教会の思想なのかと疑ってしまいます。私も個人よりも家族の視点で、私たちの子孫の将来をあらためて考えてみたいと思います。

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